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混沌の十二日  作者: 藤原時照


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一日目(5)

 このお婆さん、死期が近づいている。

 彼女はそれを知っているから、世話をしている子どもたちに気を遣わせないよう、意地悪ババアを演じている。どんなに辛かろうと、弱っているところを見せないようにして。

 医者は延命治療を提案した。でも、彼女は残った時間を有意義に使いたいと願った。病院のベッドで死期を待つなんて耐えられない。それに、病院で生活するなら、倹約生活などできやしない。蓄えはどんどん減っていくだろう。それでは子どもたちに残せるものが減ってしまう。彼女の計算によると、延命治療をしなければ、上の二人が高校を卒業するくらいまでは何とかなるのだ。

 彼女は考えた。

 戦争が自分から奪った多くのものを、この子たちには与えたい。

 だから、もう少しだけがんばる。

 少しだけならがんばれる。

 彼女が世話をしているのは、それまで会ったこともなかった遠縁の子どもたち。子どもたちの家庭は、DVの果てに離散した。父親は留置所に。母親は行方不明。母親は父親が逮捕されたと報道されたのに帰って来ない。親族は子どもたちに背を向けた。金を惜しんだから。そして、そのうち出て来る父親と関わりになりたくないから。だが、死を前にしたお婆さんには、怖いものなどない。だから、子どもたちを引き受けた。

 お婆さんは幼少期に戦争を体験している。そして、顔や身体に火傷を負った。そのせいで、生涯結婚することはなかった。だから、死ぬ前に子どもたちと生活できるのは、天からの褒美であると思っている。

 僕はお婆さんに触れ、流れ込んで来る感情に溺れていた。子どもができないという悔しさ。妬ましさ。何十年も耐えて来た思い。そして、渇望していたものが得られた、いまの喜び。その思いは、彼女の中で、死への恐怖を圧倒していた。

 いま、彼女は夢を経由してここにいる。つまり、眠っている。しかし、いまは眠るには早すぎる時間。現世にある彼女の身体は昼寝をしているのではなく、意識を失っている状態だ。病状が進み過ぎている。このままでは、医者に言われた寿命さえ全うできないだろう。

――僕に何ができる?

 僕は無力感に苛まれていた。

 だが、僕が見たお婆さんの未来には、かすかにではあるが、僕がかかわる未来も存在した。

――いま居るのは現世じゃない。いまの僕なら……。

 僕は、いまの自分なら何かができると思い始めていた。

 思いながら、僕は彼女を見ていた。

 すると、彼女の身体の中で、何かが動いているのに気づいた。

 それは影のようであり、動物のようでもある。

 僕はその影のようなものを観察した。

 じっと見ていると、その影がだんだん明瞭に見えて来た。

――カワウソ?

 それは、カワウソのような姿をした鼠色の何か。

 現実のカワウソよりずっと胴が長い。

 僕はお婆さんの身体の中に手を挿し入れ、そのカワウソのようなものに触れた。

 そいつは僕に触れられると死んだふりをした。

 指先には生き物の感触がある。

 そして、触れた瞬間、僕はそれが何かを知った。

 知識が流れ込んで来たのだ。

 それはクダ。管狐、犬神などと呼ばれることもあれば、お狐様扱いされることもある霊獣。神使、時には神そのものとして崇められることもある。

 そして、お婆さんの病の元凶。

――さわれるなら掴める。

 だから、僕はそれを掴んで引っ張り出した。

 それは僕の手の中で暴れていた。

 だけど、僕はそれを放すつもりはない。

 だけど、ずっと持っているわけにもいかない。

 だけど――

 僕はクダを掴んだまま、どうしようか迷っていた。

 調伏のしかたなど知らない。

 しかし、掴んだままでいるわけにもいかない。

 放すわけにもいかない。

 時間が経ち、僕は変化に気づいた。

 クダから色が抜けている。

 色が抜けるスピードは加速し、やがて真っ白になった。

 クダは暴れるのを止め、首をかしげて「きゅう」と鳴いた。

 クダから何かが流れ込んで来る――

 このクダは、幼き頃のお婆さんを気に入り、傍に居ることにした。しかし、戦争が彼女を変えてしまい、彼女から湧き出る穢れを浴び続けることになった。さらに、周囲から彼女に向けられた悪意までもが蓄積され、クダは病魔になってしまった。

 いま、クダは、僕を通して自分の姿を知り、穢れを吐き出した。

 どうやら、これからは僕といることを選んだらしい。

 手を緩めると、クダは僕の腕に沿って肩まで走り、首の周りを一周した。そして、僕の頭の上に登って、そこを自分の居場所と決めたようだ。

「君の名前はキヨにしよう。清いって意味だよ。もう穢れを溜めこまないようにね」

「きゅう」

 これで病の原因は無くなった。しっかり養生すれば、長生きできるはず。お金だってなんとかなるはず。いまのお婆さんはかなりの倹約生活をしている。社会保障制度を正しく理解して利用すれば、いまより生活が悪化することはないだろう。

――もし、また現世に戻ることができれば、彼女の力になりたいな。

 僕は、そんな風に考えながら、キヨとその場を後にした。

「帰ろっか」

 僕はそうキヨに言って、自宅に帰ることにした。 

 ここは現世とほとんど変わりない街並みなんだから、自分の部屋だってあるはずだ。僕はそう考え、自分のマンションに向かうことにした。

 少し歩くと、僕のマンションが見えてきた。

 自分のマンションが確かにある。

 それは少しだけ僕を安心させた。

――あとは中に入れるかだけど……。

 僕は自分の部屋の前に立ち、鍵を手に持って考えている。

 建物は半透明で手触りは50%引き。

 場所によっては手が突き抜ける。

 だが、触れると実体化するものもある。

 鍵は機能するのだろうか。

――試してみればいい。

 僕は鍵穴に鍵を差し込んだ。

 鍵の先が触れた途端、鍵穴は実体を持ち、鍵を受け入れた。

 こうして僕はキヨと一緒に自宅に帰ることができた。

 幽世の自宅ではあるが。

 家具や部屋を仕切る引き戸は、やはり、触れると実体化した。

 実体化するものとしないもの、何が違うのか。

 疑問は残る。

 精神的に疲れ切っていた僕は、ソファに触れて実体化させ、そこに横になった。

 そして、知らないうちに眠ってしまった。


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