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混沌の十二日  作者: 藤原時照


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一日目(4)

 通りを歩いていたら赤ん坊の声が聞こえた。

 声のする方を見ると、半透明だった家が完全に透き通っていて、家の奥まで見通せるようになっていた。

 そこには小さな子どもが浮かんでいた。

 周りに光の玉がまとわりついている。

 そして、そのさらに外側には、黒い何かが蠢いていた。

 僕はしばらくその光景に見入っていた。だが、それは唐突に終わり、子どもも光の玉も黒い何かも消えてしまった。

 中に入って確認したいと思いはした。

 だけど、意気地のない僕は、何もせずにその場を立ち去った。

 わくわく感は消えてしまった。

 子どもを助けずに逃げたような気分になっている。

 それで、いま、僕は車道をとぼとぼと歩いている。

 それでも写真は撮る。

 作り物のような空。

 現実味のない建物。

 そして――

 気がつくと、空には星が散りばめられていた。

 現実の世界なら、近視の僕に見える星など一つか二つ。

 だが、今見えているのは千?万?無数の星。

 星雲みたいなものもいくつか見える。

 それは現実とは思えない景色だ。

――そういえば、視界がものすごくクリアだ。

 あらゆるものがくっきり見える。まるで近視が治ったように。僕はもう死んでいて、肉体から解放されたのではないか、なんていう考えも頭に浮かぶ。

――ああ、考えてもわからない。だったら……。

 僕は空にカメラを向けた。

 そう、撮るしかない。

 それが僕。

「ふー」

 写真を撮るだけ撮ると、僕は満足して溜めていた息を吐いた。そして、さきほどまでの自分を思い出して苦笑した。

 最初だけは、ちゃんと撮れているか画像を再生して確認した。しかし、その後は……。僕はほとんど息をするのも忘れて写真を撮りまくった。

 ただ空を撮る。

 でも、それだけではつまらない。

 フレームに木のシルエットを入れて。

 建物の間から。

 ローアングルから、放置してある自転車越しに。

 いろいろ試していたら、もう少し画角がほしくなった。

 

 12‐50mm F3・5‐6・3。

 これは僕が最初に買ったこのカメラ用のレンズ。

 一般ユーザーのレビューでは、あまり評価されていない。

 だけど、このレンズは、使い方次第で化ける。

 僕は、いくつかの作例を見て、このレンズを無性に使ってみたくなったんだ。

 それがこのカメラに鞍替えすることを決めた理由のひとつ。

 これはそういう思い入れのあるレンズだ。

――やっぱり良い。

 このレンズを使うのは久しぶりだ。

 ズームリングを回してワイ端にすると、ファインダーの中で宇宙が拡がった。なぜか、それだけで僕は感動していた。

――いま、僕は、この不思議な景色を独り占めしている。

 最初、僕は異界に迷い込んだことを心細く思っていた。

 でも、いまの僕は探求者。

 もっときれいに。

 もっと印象的に。

 この景色を自分流の画にしたい。

――ああ、イメージがつぎつぎと湧き出て来て止まらない。

 いろいろな構図を試して、気がつくと、ファインダー内に表示された撮影可能枚数が2500を切っていた。

 僕はいつもRAWで撮る。SDカードは32GBを二枚挿している。だから、最大撮影可能枚数は2754枚。まだ一時間程度しか経っていないのに、もう280枚近く撮ったことになる。野鳥撮影なら半日分の量だ。我ながら呆れてしまう。

 我に返った僕は周囲を見渡した。

 もとの世界に戻るのは後回しでも良い。それよりも、この異界の不思議をもっと味わいたい。画にしたい。僕はそう強く思った。

 そして、僕は彼女を見つけた。

 それは半透明のお婆さん。

「こんにちは」

 僕はお婆さんに声をかけてみた。

 だが、反応はない。

 僕はお婆さんの肩を軽く叩いてみた。

 でも、僕の手はお婆さんに触れられず、彼女の身体を素通りした。

 素通り?

 いや、ちがう。

 手が彼女の中に入ると、僕の中に「彼女」が流れ込んできたのだ。

「彼女」、それは記憶と言っても良いかもしれない。

 それは彼女のすべて。

 過去から未来まで、彼女の有り得る/有り得たすべて。

 そして、そこにはこの世の秘密も含まれていた。

 人は現世(うつしよ)にいる時は制限を受けている。

 だが現世でなければ?

 ここは幽世(かくりよ)。

 ここは人が夢を見ているときに訪れる場所。

 そして、霊界や神界もこの近くにある。

 僕は現世の身体を纏ったままここ幽世に迷い込んだ。

 だから、いまも制限を受けたまま。

 だけど、彼女は違う。

 彼女は正規の方法でここにいる。

 彼女は現世で眠り、夢を見ている。

 夢を経由して、正規の方法でここに来ている。

 つまり、彼女の中では秘密の扉が開いている。

 プロテクトはかかっていない。

 大抵、誰もが子どもの頃に疑問に思うこと――

 宇宙の果てはどうなっているのか。

 必ずこの世の事象には果てがある、と誰しもが考える。

 では、そのさらに外側は?

「果てがある」という前提では有り得ない矛盾がそこに存在する。

 それを考えると恐ろしいという人もいる。

 だが、答えは簡単だ。

 宇宙の果ては混沌。

 ほかに答えはない。

 混沌については多くの宗教の創世神話で言及されている。

 世界が創られる前、そこは混沌であったと。

 現世とは、混沌の中に創られた小さな泡でしかない。

 いくつもの泡がぶつかって、いまの世界ができたのだ。

 人は寝ている時に夢を見る。

 夢の中では物理法則は成り立たない。

 そして、自分の望むもの、あるいは恐れるものが現実となる。

 それこそが混沌の作用。

 それこそが真なる現実。

 我々が現実と思っているものこそが――

 ここでブロックが入った。

 中途半端な状態でここにいる僕には、機能にもプロテクトが掛かっている。

 とりあえず、僕にわかったのは、ここがどこかということと世界の構造。

 ここは、現世という泡の外側。

 幽世と呼ばれる場所の入口。

 この外側には生ける人々には理解できない世界が広がっている。

 この先に行けば、高天原だの根の国だのに行き着く。

 お婆さんを通じてさまざまな情報が入って来る。

 お婆さん自身の情報も。

 いま、僕は涙を堪えることができない。


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