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精霊公女の憂鬱



 ティアナを乗せた馬車が城門を越えてレメンタム方面の街道に消えるまで、人気の無い見張り塔の上から見送ったアリアンロッドは、そのまま日差しの色が黄を帯びるまでぼんやりとそこで物思いに耽ってた。正直な所、ティアナ羨ましい、とアリアンロッドは思う。確かに彼女も気の毒ではある。どっぷりと浸かっていた甘い夢からいきなり引きずり出され、冷や水を浴びせられるようにして惨い現実を教えられ、無理矢理目覚めさせられたのだ。ショックではあっただろう。けれど彼女は五体満足のままこの国から逃げられたのだから、他の『つがい』達よりは幸運なのではないか、と。そこまで考えたところで、アリアンロッドはそう感じた自分を恥じるように目を伏せた。アリアンロッドは自身は、たとえカレトヴルッフと結婚し寝室を共にしようとも、彼に害されることは決してないのだから、ティアナを羨むこと自体筋違いだと他の『つがい』たちならば言うだろう。それでも、とアリアンロッドの中の年相応の少女の部分が抗う。


(自分を蛇蝎の如く忌み嫌う男に嫁いで一生を共にするよりは、ずっと幸運なのではないかしら?)


 アリアンロッドは生まれた時からカレトヴルッフの妃になることが定められていた『精霊公女』だった。

 アリアンロッドより五年早く生まれたカレトヴルッフは、生まれ落ちたその瞬間から燃えさかる炎の如き赤毛と赤眼を持っており、歴代のどの王よりも濃い竜の血を持っていることが誰に眼にも明らかだった。実際彼は五歳を迎える頃には成人男性に匹敵する膂力と運動能力を開花させ、七歳になる頃には近衛騎士達でさえ彼の剣の稽古相手が務まらなくなった。思春期を迎え体格が大きくなると魔獣討伐の先頭に立つようになり、兵達が束になっても叶わぬ大型魔獣を単独で撃破する、まさに一騎当千の働きを見せ、初代竜王の再来と囁かれた。

 一方でカレトヴルッフの“狂乱”が始まったのも、歴代のどの竜王よりも早かった。

 通常竜の狂乱が始まるのは、男児ならば精通、女児ならば初潮を迎えてからとされてた。しかしカレトヴルッフは幼児期から年に数度荒れ狂い、解放のしようがない衝動を暴力として発散するようになった。それは年々頻度と激しさを増していった。

 前例のない事に、王宮の者達は困り果てた。前代の『精霊公女』である伯母がカレトヴルッフの乳母を務めていたが、アリアンロッドが生まれるまでは史上最高の精霊血を持つと言われた伯母でさえ、抱き締めるだけではカレトヴルッフの狂乱を抑えるには足りず、何度となく外傷を負う羽目になった。

 故に当時精霊公だったアリアンロッドの祖父は、竜太子の狂乱が本格的に始まるであろう思春期になる前に、より力の強い精霊公女をもうけねばならぬ、とまだ十代だったアリアンロッドの父に結婚を命じた。父は急ぎ親族の中から伯母に次いで精霊血の濃かった従妹を娶ることになった。竜太子の狂乱を抑えられる強力な『精霊公女』を産まなければならない、という重責がまだ若い両親の肩にのしかかったのだ。そうして精霊公家の必死の努力の結果、漸く生まれたのがアリアンロッドだった。

 精霊血の濃い者の特徴である混じりけのない銀の髪と瞳を持って生まれた女児は、初代の『精霊の血を引く娘』アリアンロッドの再来だと言われ“アリアンロッド”と名付けられた。

 何も知らない中流以下の貴族達はアリアンロッドの生誕を祝福し囁きあった。竜太子の持つ燃えるような赤と対照的な冷たい白銀の色彩を「なんとお似合いな二人だろう」と褒め称えた。竜王の再来に呼応して生まれた 精霊の血を引く娘の再来。二人の生誕はこの国の未来が祝福されたという証拠だろうと。


「……皮肉なことだわ」


 五歳になったアリアンロッドは、生まれる前から決まっていた婚約者、カレトヴルッフに引き合わされた。このときカレトヴルッフ十歳。狂乱さえしなければ理知的で温厚篤実な性質と言われていたカレトヴルッフは、しかしアリアンロッドを見るなり盛大に顔を顰めた。


「気色悪い女だな。なんだその瞳は! まるで虫のようだ!」


 そう吐き捨て顔を背けたカレトヴルッフに、狼狽したのは罵倒されたアリアンロッドよりも彼の父親である竜王だった。確かに、巨竜の血を引く者は精霊公女を忌避するように生まれついている。当代の竜王とて、幼馴染でもあるアリアンロッドの伯母の事を苦手にしていた。とは言え、それは嫌悪と言うよりも、どうやっても頭の上がらない相手、例えるなら面倒を掛けた母や姉に対する苦手意識に近かった。そしてそれは当代だけでの話ではなく、歴代竜王にここまで精霊公女に対する拒絶感を露にした竜王はいなかったのだ。 しかし、どれほど忌み嫌う相手であれ、カレトヴルッフほど血の濃い竜王の狂乱は、精霊公女以外に鎮めることは出来ない。少なくとも当時はそう思われていた。そして同時に、精霊公女の側は、別段竜王を必要としていないという厳然たる事実があった。竜王と精霊公女の関係は対等ではない。一方的に竜王が精霊公女を搾取するもの。故に竜王はアリアンロッドに息子の無礼を詫びた。竜を統べる王が、若干五歳の娘に頭を下げたのだ。不肖の息子がすまない、と。それは父王を尊敬していたカレトヴルッフには大きな衝撃だったらしい。結果として表面的な態度を改めたものの、アリアンロッドに対する苦手意識はむしろ増大した。


 その日から、アリアンロッドには王宮の一室が与えられた。無論、いつ何時カレトヴルッフが狂乱してもすぐ対応できるよう、竜太子の間のすぐ近くに。歴代の精霊公女も同様に部屋を与えられていたが、アリアンロッドは一年の大半をその部屋で過ごした。これもまた前例の無い事だった。

 アリアンロッドの持つ精霊血の力は覿面で、どれほどカレトヴルッフが狂乱しようとも、彼女がその肌に触れればたちどころにして鎮まった。彼女の伯母に対してはそれでも暴力を振るう罪悪感からかしおらしくしていたカレトヴルッフだったが、アリアンロッドに対しては礼一つ、どころか視線一つ寄越すことはなかった。

 精霊公女は感情の起伏に乏しい。故にアリアンロッドは初日のカレトヴルッフの罵倒にも、その後も続く、彼の無視にも、ありありと嫌悪を示す眼差しにも傷つきはしなかった。それでも、八年もの歳月を重ねれば流石に溜まる澱はある。いつまで経っても態度を改めようとしない婚約者へ抱く名状しがたい気の重さが、よりアリアンロッドの表情を失わせた。


 そんな時だった。カレトヴルッフがメアリー・アルドリッジ嬢を伴ってアリアンロッドの前に現われたのは。

 婚約破棄、の言葉に、滅多に弾まぬアリアンロッドの心が踊った。もしかしたら、この男から離れられるかもしれないと期待したのだ。『つがい』の真偽など、アリアンロッドにとってはどうでも良いことだった。


 しかし。


 仮にも婚約者と、いわば浮気相手が同時に王宮内に滞在するのは好ましくないだろうという竜王の配慮によって公爵家の屋敷に戻っていたアリアンロッドは、数日後急遽王宮に呼び戻された。渋面を隠さぬ竜王に「伏して頼む」と言われて開いた竜太子の寝室の扉の向こうに若干十三歳のアリアンロッドが見たのは――口から泡を吹き白目を剥いた裸の女を、まるで玩具のように揺さぶりながら、けだもののように腰を振りたくる、正気を失った婚約者の姿だった。


 ショックを、受けるべきだったのだろう。実際に現場を見たわけでも無い竜王妃は知らせを聞いて倒れ、一週間も寝込んだという。 しかしアリアンロッドがその時覚えたのはカレトヴルッフに対する恐怖でも嫌悪でも無く、ただ、運命への諦念だけだった。


 やはり、無理なのだ、と。


 アリアンロッドがカレトヴルッフの手首を掴むと、彼は次第に正気を取り戻し、腰の動きを止めた。そうして自身が組み敷く女が気絶していることに気づいて、慌てて女の上から退いた。すぐさま控えていた医師がメアリー嬢の脈を取り、近衛達に彼女を医務室に運ぶよう指示した。侍女達が汚物にまみれた彼女をシーツで包み運び出すのを、カレトヴルッフは呆然と見送った。


「諦めて下さいませ」


 カレトヴルッフを見ぬまま、アリアンロッドがそう言うと、カレトヴルッフは信じられないものを見るような目で彼女を見た。


「諦めて下さいませ。私も諦めますから、殿下も諦めて下さいませ」


 その瞬間、カレトヴルッフは明確な憎悪を宿してアリアンロッドを睨み付けた。


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