土着信仰
その地その地に根付いた様々な信仰があるのはネットの普及によりその地のみでなく、調べようと思えばいくらでもネット検索を駆使すれば調べられるようになった。
東北の僻地の田舎、私の実家のあたりにもそれは存在する。
イタコ、である。
青森県の恐山にいる死者の霊を下ろし、言葉を伝えてくれるというイタコ。
それとはほんの少し違うイタコさんが存在するのをご存知だろうか。
私の知るイタコさん(その地域では「いだっこさん」と呼ばれる)はかなりお年のおばあさんだ。
盲目で、子供の頃に先代に預けられイタコになったのだと聞いたことがある。
そのいだっこさんには多くの人が話を聞きに、そして助けを求めに行く。
いだっこさん関係では特別な日がある。
『おしらあそばせ』もあるが、今回そちらは置いといて。
イタコの有名なパフォーマンスをする日『先祖の霊を下ろす日』である。
いつでもできる訳では無い。
その日は朝早く、夜が明けるか明けないかのうちから人がその家に集まり並ぶ。
持ち物はノートとペン、そしてお気持ち。
霊と対話をし慰めを聞きに行くのではない。もちろんそういう人もいるのだろうが、少なくとも私の母と近所、親戚筋の人たちは違った目的で行く。
目の見えないいだっこさんは、長い数珠を持つ。
ぐるぐると何周かめぐらせ、そして「告げる」のだ。
その家の誰がいつ何に気をつけなくてはいけないのか。
それをノートにメモし、お気持ちを置いてくる。
そしてお祓いしてもらった手ぬぐいとお菓子(お菓子など口に入れるもの。子供の頃は落雁だったが、結婚してからはたんぽぽコーヒーになった。)を家族分貰う。
例えば台所仕事をする主婦に火に気を付けろ、刃物に気をつけろと言って的中しても「まあ、そうなるかもしれないよね」その一言で済む話だ。
極端な話、そんなお告げは誰だって可能である。
しかし。
難病の私の病を当ててしまったのには参った。
当時、中学一年生の私は、途中から登校拒否を起こす。
小学校も保育園も目指せ皆勤賞!なハツラツガキ大将的だった私が朝「お腹痛い」と中学校を休む。
たまに行っても午後には高熱を出して帰ってくる。
地域の診療所に行っても「風邪」としか言われず、
ひどい下痢にはウイルス検査だと尻に綿棒を入れられたり、
たんぽぽみたいな味がする粉薬が処方されたりしたが、結局良くならなかった。
しかし学校を休んでも朝がすぎればケロリと笑ってテレビを見て、ご飯を食べ、マンガを読む。
習い事のピアノも公文も普通にこなす。
中学卒業時に知ったが、親は私が学校でなにかイジメなどがあったんじゃないか、となんども担任に話に行っていたらしい。
(……むしろ性格的にガキ大将的だった私はもしイジメがあるとすれば加害側に立ちそうだと今になって思う。
けれど田舎の少人数しかいないクラス、保育園からみんなそのまま仲良し状態なのでまずイジメはなかなか起こらない)
ただ過ぎ行く日々、とある町医者の若先生(家族経営の個人病院。若先生が総合病院から戻ってきてついにデビュー!という、親が若先生見たさの受診だった(笑)
の行った問診と血液検査で私の不登校問題に終止符が打たれることになる。
まだ一般家庭にインターネットが普及していない時代。
ケータイのドコモのFOMAの電波が届かないmovaの地域。
そんな僻地の若先生が気づいたのは奇跡的だったと今でも思う。
すぐに赤十字病院に送り込まれ、その日のうちに100キロ以上離れた県外の病院に飛ばされたのである。
きちんと診断つけれる医者がいない。
僻地って不便。
そして診断が下され私は難病患者になるのだが、母の書き溜めた「いだっこさんノート」に、私が本格的な不調を感じ始める前、とある身体症状がある時期からまるで予言のように書かれている言葉があった。
「ハラの病に長く苦労する」
小学四年生の時からその言葉があった。
ずっと、毎年、その言葉があった。
ほかの人は何月に、とか夏に、とか時期が書いてある。
私には時期がない。
中二病を発症し、イタコなるものに興味津々でノートをあさり気づいたことである。
その身体症状は『痔』である。
別にそんなに痛くないし、ぎょう虫検査のある低学年でも無い。
恥ずかしいので私は親にはずっと言っていなかった。
その出来はじめの時期とピタリと重なる。
気づいた時には思わずぶるりと震えた。
切れ痔ではなくいぼ痔だと思っていたのはスキンタグと呼ばれ、難病であるクローン病の人が病に気づくきっかけにもなったりするらしい。
治らない病と知った母は祈るようなすがるような気持ちでいだっこさんの所に行った。
そしてお祓いをしてもらったタオルと「おふだ」を持ってきたのだ。
タオルは一度腹に当ててからバサりと広げて払い、
後は枕の中などに入れて使う。
問題は「おふだ」である。
当時田舎の中学生にケータイなんて持っているはずもなく、記録できなかったことがほんとに悔しい!
「いだっこさんがアンタのこと心配してね、二枚もくれたのよ。どんな重病でも一枚のはずなのに」
その言葉にいだっこさんに感謝しつつ、白い紙に包まれた「おふだ」を母が取り出した。
一辺が2.5cmくらいの小さなお札には黒い印がおしてあった。
普通のハンコのように文字を浮き上がらせるようなハンコではなく、直接何かの文様を彫り込んだ、そんな印。
それを小さく小さく折りたたみ、
「飲め」
「えっ」
水とともに差し出したのである。
絶食治療中の娘に紙を食わせるのか……と思いながらも当時は素直な私。
ええ、飲みましたとも。
二枚あったので、次の日も。
「おふだ」を飲んだ時はまだ私自身に病名の告知はなく、親のみが知っている状態だった。
親は治らない病と知っている。
「長く苦しむ」と毎年私だけに言い続けたいだっこさんも治らないと分かっていただろう。
あの「おふだ」とタオルをくれたいだっこさんは、
私のためにというよりは、
不治の病にかかった子を持つ親をなぐさめ、はげます為のものなのだろう、と子を持つ側になった今は思う。
ノートに書かれた内容を母が話すことはほとんどなかった。
たとえ父に「〇〇に気をつけろ」という言葉があっても母は言わない。
聞いてきて、たまにノートを見返して、またしまっておく。
いくら土着信仰といえど、田舎といえども、母も化学を学んだ大人である。
イタコシステムがどういうものかは分かっている。
分かっているから細かいことを言ったり押しつけたりはしない。
けれど聞いたことのない不治の病に娘が侵され、娘の前では平静を装っていても何かに縋りたかったのだろう。
だから「いだっこさん」にすがり、「いだっこさん」はおふだとお祓いタオルというアイテムでなぐさめる。
もし「いだっこさん」のない地域で、新興宗教の勧誘おばさんが優しい言葉をかけてきたら……
そう思うと「いだっこさん」のシステムって有難いなぁ、と思うのでした。
もちろん、お札を飲んで奇跡的に回復ー☆
とかそういう話ではありません。
いだっこさんの言うとおり、私は10年以上ハラの病に苦しめられております(笑)
これにて一応フィクションということにしておきたい話は終了。
もし何か思い出したら書く……かな?
お付き合いありがとうございました。