第十六話 信仰を捧げよ
「じゃあ、始めます。……絶対、助けます」
三輪さんは手を傷口に翳す。彼女の能力は、対象の治癒だ。けれど簡単にとは行かない。
彼女の魔術は自律式ではなく、細かな作業すら任意で行われる。彼女曰く、頭の中に患部の情報が流れ込んできて、その精度は細胞の数すら数えられるほどだとか。情報の取捨選択が精一杯で、手先を動かすことに思考を割けない彼女の為に、私たちは代理で動く。
和馬君はソーマさんの体内を鑑定して、体内にある異物や、もう壊れてしまって"生物"とは認められない、鑑定の出来るようになった組織を見つけて伝える。ピンセットやメスは土門君が形を変えながら、最も合った状態で使う。
それでも三輪さんの負担は大きい。真っ当な輸血が出来ない以上、三輪さんは魔術で輸血をして、同時に血管を修復し、その上で治療を続ける必要があった。
「こ、こんなに脳みそ使うの生まれて初めて。なんか視界が暗くなってきたんだけど……大丈夫かな……?」
「大丈夫じゃない気がするけど手術優先しよう」
「分かった……。土門君、上の方の筋組織もうぶっ千切っちゃっていいよ。大分邪魔なの取り除けたし、修復始めます」
三輪さんの手元から淡い光が漏れる。たちまちの内に切れた血管は塞がっていき、色んなものが元ある姿に戻っていく。
ソーマさんの様子を伺うと、彼は麻酔が効いてぐっすり眠っていながらも冷や汗をかいていた。雪ちゃんがそれを拭っている。
「しゅ、手術せーこー……。うああ……の、脳みそ沸騰しそう。雪ちゃん、頭冷やして、本当に、死んじゃうかも」
三輪さんの容態は心配だが、ソーマさんの容態も同じぐらい心配である。傷口を見ると、表面上は皮膚の色が少し薄いだけで、完治しているように見えた。
「多分治ったと思うんだけど、魔力関係はちょっと分かんなくて……。呪いとか、ないか調べて欲しいな。あと、体力はどうにも出来ないし、細かい、とこ、は自然治癒に、ま、かせるの、が、吉か、も。……ごめん、寝るね」
三輪さんをソーマさんの横に転がし、二人共を看病する。三輪さんは頬を紅潮させていて、ソーマさんは顔面蒼白だった。相対的にどちらも酷く見えて、私たちは固唾を飲んで見守っていた。
一時間が過ぎた頃、ソーマさんが目を開いた。思わず飛びつきそうになるが、意識を失う前、彼が周囲の人間を拒絶したことを思い出し、身を留める。
「ソーマさん、大丈夫ですか……?」
「……ぁ」
「ソーマさん?」
彼の口は微かに動く。音は聞こえなかったが、何となく唇の動きで何を言っているのかわかった。
「"なんでここにいるんだジジイ"?」
「見知らぬ小娘にジジイ呼ばわりされる謂れは御座いませんな」
背後に、人の気配があった。
声を聞くまで気づくことが出来なかった。知らない、大人で男の人の声だ。心臓が握りつぶされたように絞まり、喉がひくつく。
だれ、だれだ、だれでも関係ない。ここに、ソーマさん以外の人が居る。それだけが事実で、それだけが重要だった。
未だ眠るソーマさんに覆いかぶさり、ぎゅっと頭を抱きかかえる。無防備に晒した私の背中に視線が突き刺さるより先に、雪ちゃんが水桶の中身に手を触れて水蒸気を発生させた。和馬君は必死で私の後ろの人を震えながら睨みつけ、身につけている道具の効果を読み取ろうとしている。
私たちに出来る精一杯の防御だった。祐太君が静かに剣を抜いて身構える。
「貴方は誰ですか? ソーマさんの敵ですか? ソーマさんに怪我をさせたのは、貴方ですか?」
祐太君の質問には答えが返って来ず、無言で眉が潜められる。お爺さんの目は間違いなく私たちの首輪に向いて、それから――酷く馴染んだ視線で私たちを見下した。
「奴隷の分際で主人に許可無く触れるとは。ソーマ様は暫く見ない内に随分調教が下手になられたようですな」
それは私たちを物として見る目だった。彼は私たちの意思も言葉も存在も何もかもが無意味だと見なしていた。
体が硬直してしまうが、それでもソーマさんをお爺さんから隠す。がたがた震えてしまうが、私なんかでソーマさんが救われるならそれで良かった。
「……しかし上手く手懐けてはいるようですな。貴様ら、ソーマ様から離れよ。不敬であるぞ。私はその御方の執事だ。負傷を知りここへ駆けつけた次第である」
逡巡の後、そっと体を退ける。経験上知っていた。この世界の人は物であり、その上消耗品である奴隷に、一々言葉を取り繕ったり嘘を言ったりしないということを。
お爺さんがソーマさんの布団を捲り、傷を確かめる。薄らと開かれていたソーマさんの瞼は閉じていて、また意識を失ってしまったようだった。
「ふむ……完璧な処置ですな。これならば多少の無理も効くでしょう」
お爺さんはそう呟くと、横で眠っていた三輪ちゃんを押し退けて、ソーマさんの上半身を抱き抱えた。衝撃で目を覚ました三輪さんを抱き起こし、私はお爺さんの様子をじっと見守った。
彼の手付きはとても丁寧で、穏やかだった。壊れ物に触るようで、彼の主人がソーマさんだというのは嘘でないことを理解した。
「坊っちゃま、起きてください。起きてください。――ハァッ!」
「何してるんですか!?」
敬意は払っているようだが気付けの処理は何の躊躇いもなく施せるようだった。
ソーマさんが出て行って三十分程度。部屋の柱時計が深夜二時を指し示した頃に、お爺さんとソーマさんは部屋に戻ってきた。
お爺さんは何故か失神していて、ソーマさんは先程とは立場を逆転して、お爺さんのお腹に凄い勢いでパンチを叩き込んでいた。痛そうだった。ソーマさんの手。大丈夫だろうか。
「ソーマさん、大丈夫ですか? 何か、痛いところはありますか?」
「いや……ないよ……ありがとう、三輪ちゃん、が、してくれたん、だよ、ね……今度、おれい…………」
ばたん、とベッドにうつ伏せで倒れて、ソーマさんは眠りに就いた。
「ソーマさん! ゆ、祐太君、ソーマさんに毛布掛けてあげて。あっ、三輪さんも寝てて!
それと、雪ちゃん。メスも滅菌消毒は……もう出来てるの? じゃあ後は鎮痛剤の注射器もだね、それから――」
「おい、小娘」
肩をがしりと筋張った手で掴まれ、怯えとそれを遥かに上回る不快さに襲われるが、彼はソーマさんの家臣である。顔を顰めるに留め、恐怖を耐えて返答する。彼を信じるソーマさんのことは信頼出来るが、彼自身のことなど――ソーマさん以外の人間のことなど、この部屋の中の誰が信じられるだろう。
「な、んですか……。貴方もソーマさんの僕なら、主人の方を優先してくれませんか?」
「清々しい程に口の利き方のなっていない小娘だな。ここで貴様らを殺してもソーマ様は私を罰したりはせんのだぞ。たかだか奴隷数名なのだから」
「で、ですけど、代わりに、貴方は二度とソーマさんに使ってもらえなくなります。まさか奴隷如きにそこまでリスクを背負うんですか」
自嘲の意味を込めて言う。私たちを見下すのは構わないが、ソーマさんは瀕死の重傷が治ったばかり。間違っても私たちの断末魔なんかで起こすわけには行かない。眠りが損なわれないためにも朝までじっと見守って、鎮痛剤が切れる度注射する予定である。
こちらの様子を伺いつつ、無言で祐太君が近付いてくる。楓君が鷲掴んだ偽金貨は、鋭く尖って一瞬で凶器へと変貌した。こちらは八人、あちらは一人。いくら只者ではない出で立ちの人でも、全滅はまずないだろう。なんとかして麻酔を注射する形で黙らせたい。おそらくその過程で数名が死んでしまうだろうが(というか私が一番弱っちいのだが)それでもまあ構わない。
一度は捨てた命。ソーマさんの為に使い捨てるのなら何の悔いもない。
「……死すら辞さんか。何がお前達を掻き立てる? その御方はお前達の持ち主だぞ」
「そんなの、関係ありません」
お爺さんは無言で私たちを睥睨した。眼鏡越しの目は冷たくて、私たちはそれにより却って、ソーマさんが本当に特別優しい人なのだと理解した。
「……ふん、理由などどうでも良いか。いいか貴様ら、ソーマ様を裏切ってみろ。必ず、貴様らをこの手で、惨たらしく殺してやる」
「そんな必要はありません。全く有り得ません。……そっちこそ、ソーマさんを裏切ったら――どんな手を使ってでも、絶対に殺してやる」
お爺さんは鼻を鳴らして、私の肩から手を離した。ぎりぎりと掴まれていた肩はとても痛くて、痣になっていることは確実だ。
彼は懐から紙を取り出すと、最早私たちには目もくれず、眠るソーマさんに一礼をして紙を破いた。そしてソーマさんが転移の際に使う魔法陣に包まれて消えていく。
部屋には静寂が戻った。私たちは誰からともなくベッドに乗り上げ、眠るソーマさんを見つめた。
髪が乱れてしまっているのを見咎め、そっと整える。綺麗な翠の目が閉じられているのが寂しい。
私たちの自由を奪っているのがソーマさんだとしても、関係ない。ソーマさんを守るのは、当たり前だ。
「だって、ソーマさんは私たちの――かみさまなんですよ?」
n+1年 5月中旬
今後更新速度はぐぐんと落ちる予定です




