001:ウルシュ・ファニ・スネイブル イザベラお嬢様は夢を見る
食堂でマリーさん達と昼食を済ますと、僕は午後の予定を再度確認した。
今日の午後は家庭教師が来ないし、ダイモン様の訓練課題も無かったと思うので、イザベラお嬢様と二人で自由に過ごせる日だ。
他の使用人さん達から見送られて、イザベラお嬢様の私室へと向かう。
私室をノックすると、貴族子息の日常着に着替えたイザベラ様が出てきた。イザベラ様は家庭教師や来客がある時はドレスを身に着けているけど、訓練の時や今日の様な自由な時間は男装している事が多かった。
髪も邪魔にならないように、お団子にしていたり、一本の堅い三つ編みにしていたりと、死角が出来たり動きが制限される事を極端に嫌っている。
「イザベラお嬢様ぁ、今日は自由にできますけどぉ、何しますか?」
「そうだな、まぁ今日は雨が降るだろうから、書庫で調べものでもするか」
そう言われて窓の外を見る、確かに全体的に薄っすらと曇っていて青空は見えないけれど、外は明るく雨が降りそうな気配はない。ランドリーメイドさん達は洗濯物を外に干していた。
でも、イザベラお嬢様がそう言ったときは、高確率で当たるのだった。
僕が知る限りでは、イザベラお嬢様の天気予報が外れた事がない。
このイザベラお嬢様の天候読みの技術に関して、ダイモン様も戦闘職系の使用人さんや庭師さんも、かなり評価していて、何かしらのスキルを所有しているのでは無いだろうか、と推測されていた。
「あーーーっと。ちょっとランドリーメイドさんに雨が降るかもしれないって伝えてきますねぇ」
「いいだろう。では、お………。私は先に書庫で待っているから、気を付けて行ってくるんだぞ。慌てなくていいから、安全にな。私はちゃんとウルシュが来るのを待つから、とにかく………、いや私も付いて行こう」
「大丈夫ですよぉ………僕の付き添いでお嬢様が来たら、ランドリーメイドさん達がビックリすると思いますよぉ。僕は大丈夫ですから先に書庫に行っていて下さいねぇ」
そう言って、イザベラお嬢様の背中を書庫の方へと押す。
少し難し気な表情を見せたイザベラお嬢様だったが、『急がず、慌てず、とにかく安全に』と念を押してから、書庫の方へと向かって行った。
一緒に過ごしているうちに、イザベラお嬢様は僕に対してかなり過保護な印象を受けた。
たしかに僕は、ダイモン様から訓練を受けているイザベラお嬢様よりも弱いだろうけど、同年代の男子に対するには、過剰な心配だと感じる。
3兄弟の真ん中で、実家でも放置気味でいた僕だからこそ、そう感じてしまっているのかも知れないけど、少し度が過ぎているんじゃないかなぁ? という感覚を抱いていた。
イザベラお嬢様の天気予報をランドリーメイドさん達に伝え、慌てて洗濯物を取り込みに行く姿を見送った。そのまま書庫に戻ろうとすると、別の使用人さん達が僕を呼び止めた。
天気予報のお礼の差し入れとして、お菓子を渡される。イザベラお嬢様の分も含まれた二人分のお菓子を受け取ると、書庫へと改めて向かうことにした。
屋敷の広い廊下を一人進みながら、渡されたお菓子へと視線を落とすと、自然とため息がこぼれた。
「このお菓子………どうしようかなぁ」
とはいえ、どうする事も出来ずお菓子を手にしたまま、書庫に辿り着き中へと入る。
先に書庫に向かったイザベラお嬢様の姿が見えない。これは想定通りだ。姿が見えないだけで、イザベラお嬢様は約束通り、この広い書庫の何処かに居るはずだ。
初めのうちは悪戯心で隠れているのかと思っていたが、今となってはイザベラお嬢様にそんな意図は無いのだろうと理解している。
理解はしているが、では何故いつも姿を隠すのかは分からない。ただ僕を困らせる意図が無いのは確かだった。なので探すこともせずに、僕は書庫に潜んでいるであろうイザベラお嬢様に向かって声をかける。
「イザベラお嬢様ぁ、戻りましたよぉ」
すると音も立てずに、どこからともなくイザベラお嬢様が姿をあらわす。
そして僕の前に立つと、やはり過保護または心配性の一面を見せたイザベラお嬢様が、僕の全身をサッとチェックするように見ながら問いかけて来た。
「あぁ、ウルシュ。無事に合流できたか。それで………怪我などはないか?」
「屋敷内を行き来するだけで、怪我なんてそうそうしませんよぉ」
「そうか、問題がないなら何よりだ。それでいい」
そう言って、うんうんと満足そうに嬉しそうにイザベラお嬢様は頷く。
そして表情を真顔に戻して、僕が持っているお菓子を指さした。
「で、それはどうした?」
「これは使用人さん達が、天気予報のお礼にくれたんですよぉ。イザベラお嬢様の分もありますよぉ」
「そうか、要らんな」
やっぱりそうなるかぁ………と思いつつ、フォローを入れる。
「一応、僕が成分とか鑑定してますけどぉ、おかしなものは何も入っていませんよぉ」
「そうか、ウルシュが調べているなら安心だな。私は必要ないから、私の分はウルシュが腹をすかせた時のための非常食として確保しておくといい」
非常食が必要なのは僕じゃなくて、イザベラお嬢様の方だと思うんだけどな。と思いつつも、こうなるとイザベラお嬢様は譲らないので、一旦素直に受け取る事にした。
こんな感じで、イザベラお嬢様から貰ったお菓子や軽食が日に日に増えていくので、日持ちのする物は貯めておいて、マリーさんが休日に一時帰宅する際には持って帰ってもらう事にしている。マリーさんには沢山の弟妹がいるので喜んでくれるが、横流しの更に横流しなので少し後ろめたい。
少し気まずい気持ちになったので、書庫のソファに並んで座りながら、前々から気になっていた事を訊ねる事にした。
「そういえばイザベラお嬢様は、なんでいつも隠れているんですかぁ?」
「ん? その方が安全だろう?」
なにを当然の事を、とでも言うように爽やかに笑いながら、警戒心が固いどころか凝固させて圧縮したような思考を開示した。
ダイモン様ですら、自宅の屋敷内でそこまで警戒しない。
もしかしてダイモン様による襲撃訓練のせいで、屋敷内でも警戒を解除できないのだろうか? とも考えた事があったけれど、それでもイザベラお嬢様の警戒心は強すぎる気がした。
それこそ、まるで
「イザベラお嬢様は………常に命を狙われている人かぁ、もしくは命を狙う側の暗殺者みたいですねぇ」
僕がそう指摘すると、イザベラお嬢様は片方の口角をあげて自嘲するような笑みを浮かべ、そして次に疲れ切ったように表情を消した。
「そうだな………そうかもしれんな」
そう言って令嬢とは思えない乱暴な仕草で、ソファの上に片足を乗せて片膝を立てるような姿勢になった、その膝に片手を乗せ、だらりと背もたれに体を預ける。
その姿は公爵令嬢というよりも、疲れ切った傭兵の様に見えた。
「ウルシュ、この話をするのはお前にだけだ、お前だけを信用する。お前を信用して話すのだから、この話は他の誰にも話すな」
視線を合わす事も無く、天井の方を力なくボウと眺めたまま、だけどその声音は力強く、どこまでも真剣だった。
きっと今から聞かされる話は、イザベラお嬢様にとって何よりも重要な話であり、途方もない秘密なのだろうと、聞く前に察する事が出来た。
決して茶化してはならない。決して疑ってはならない。
イザベラお嬢様は僕を信用した。だから僕もイザベラお嬢様を信用する。
ここは互いの信頼が試される場だ。
「こんな話をすると正気を疑われるから、家族にも話したことは無い。実際に私は正気では無いのかもしれない。だが聞いてくれるかウルシュ。そして誰にも言わないでくれるか? そして、信じてくれるだろうか?」
「うん、イザベラお嬢様が適当なことなんて、言わない事は分っていますよぉ。だって、イザベラお嬢様は家族の前で凄く無邪気だったり、子供っぽく振舞っていたりするけどぉ、本当は凄く優秀で、凄く真面目でぇ。それでいてぇ、………………とても冷酷な人だって気づいていたよ」
子供を演じているけど、咄嗟に出て来る語彙が同年代の物では無いな、と感じる事がたびたびあった。
子供らしくなくて可愛げが無い、なんて僕も周囲の大人から言われる事があったけれど、イザベラお嬢様のそれは、僕とは違うなにか別の要因があるのではないかと思った。
「イザベラお嬢様の所に来る家庭教師の数と授業時間は、同年代の令嬢達よりも数倍多いそうですねぇ。王城に住む王家の子でも、この歳でここまでの授業は受けないと、公爵夫人が言っていましたよぉ」
その授業に急に参加して、授業について来ている僕に対して驚いた様子で、公爵夫人はそのエピソードを話してくれたのだ。
僕自身もずいぶん授業が先に進んでいるな、と感じていたけど平民の僕でもわかる範囲だったから、教育熱心な高位貴族ならそんなものかと一旦流していた。だけど公爵夫人の話でそうでは無いのだと気付いてしまった。
「ダイモン様の訓練は、本来は基礎体力作り程度のもう少し優しい物から始める予定だったらしいですねぇ。まぁ優しい物だったにしても訓練を始めるには少し早いかなぁとは思いますけどぉ、でも今みたいに苛烈かつ訓練時間が増えたのはイザベラお嬢様自身の希望と、それとイザベラお嬢様が物心つくかつかない様な幼い頃から『異常なまでに誰かに殺されることを警戒するから』そして『とにかく生き残る事に執着するから』だから、それを心配したダイモン様がいざという時に対応できるように、………それこそ誰かに殺されそうになった時を想定して訓練のメニューを考えているらしいですねぇ」
黙って天井を見上げたまま僕の話を聞いているイザベラお嬢様に、覆いかぶさるようにして、表情を覗き込む。
「きっと、これから話してくれる話ってぇ、それらに関わって来る話ですよねぇ?」
そう問いかけた僕の表情を、遠い目をして眺めるとイザベラお嬢様は呟いた。
「あぁ、やはりお前は似ているな。『スロウス・インディゴたん』とやらと、そして『萩』に」
「前も言っていましたねぇ、スロウス・インディゴタン嬢。シュウ様は初めて聞きましたけどぉ」
「あぁ、どちらも夢に出て来るんだ」
「夢の登場人物なんですかぁ?」
「あぁ、そうだ」
そう言ってイザベラお嬢様は押しのけるようにして僕をもう一度隣に座らせると、背もたれに預けていた体を起こして、僕に向き直った。
「私は物心ついたころから夢を見るんだ。あまりにも鮮明で、あまりにも長い期間ずっと夢を見続けているから、時々夢と現実の境界が分からなくなるんだ。自分が今、いったい誰なのか分からなくってしまう。どれが現実なのか。本当の私はここに居る私なのか、それとも私が夢だと思っている世界こそが現実なのかと混乱する事がある。いや、分かっている。今ここに居るイザベラである私こそが現実で、彼女達が居る世界の方が夢だと」
「さっき話題に出ていた『スロウス・インディゴタン』嬢と『シュウ』様が出て来る夢の事ですねぇ」
「あぁそうだ。いや、少し違う」
そう言って、イザベラお嬢様は顎を撫でながら、どう説明しようかと呟くと、自分で内容を整理するようにして話を続けた。
「夢は2種類あるんだ。一つは『魔法が存在せず、科学と化学が発展している世界で暮らしている、一般職の独身女性目線の夢』だ、そしてその夢に出て来るのが『スロウス・インディゴ』と言う、架空の物語に登場するキャラクターだ。『たん』というのは名前の最後に付け加える、愛称の様な物だ」
「僕、架空のキャラクターに似てるんですねぇ」
夢の中かつ更に架空の物語の登場人物に似ていると言われても、少し反応に困るけど、謎だった『スロウス・インディゴ』たんの正体が判明した。
そして、今のところ平和そうな印象を受けるので、イザベラお嬢様のダイヤモンド級の警戒心の原因はこの夢が原因では無さそうだ。
「そして、もう一つの夢がこの世界とは別の『魔法が存在し、魔族や獣人、妖精族や人族といった様々な人種間で、絶えず争いが起きている世界で生きる、王子目線の夢』だ」
「なるほどぉ、イザベラお嬢様はこの世界ではない別の世界の王子様として、夢の中で過ごしているんですねぇ」
争いが絶えない世界の王子様なら、命の危険が多そうなのも納得できる。恐らくイザベラお嬢様に影響している夢は、こっちの夢だろうな。
もしかすると、淑女教育をどんなに受けても、話し方が男性っぽいまま矯正されないのも、この夢に精神が引きずられている結果かもしれない。
イザベラお嬢様の口調が、自分が原因で治らないのではないかと、ダイモン様が気にしているらしいが、ダイモン様のせいではない可能性が出てきてしまった。秘密を守るためにダイモン様に伝える機会は未来永劫来ないだろうけど。
「そうだ、そしてその夢の中で我々兄弟姉妹で王位継承権を巡った、生き残りをかけた殺し合いをしている時期を狙って、人族が我々を滅ぼすために行った勇者召喚に巻き込まれて召喚されてしまったのが『萩』という少女だった」
「………まって、まって、情報が多い。情報が多い。ちょっと混乱しているからちょっと待ってねぇ」
「かまわん」
「まず、夢の中のイザベラお嬢様は何族?」
「ん? あぁ魔族だ」
「で、王位継承をかけて殺し合いをしていると」
「そうだ、兄弟姉妹の何人だ? 確か200人前後だったか? その全員が世界中にバラバラに転送という形で解き放たれ、王城まで自力で戻りつつ、最後の一人になるまで殺しあうんだ。ちなみに王位に興味があろうとなかろうと、拒否権は無く全員強制参加だから、生き残りたければ自分以外の兄弟姉妹を全員抹殺して生き残るしかない」
「つまり、夢の中でのイザベラお嬢様というのは………」
「魔族王家の第16王子ベイザラード。魔王の息子だ」