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第九圏の欠落王 ―棺の底から始める地獄改革―  作者: カイメイラ
第一章 氷獄に火を灯す

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第二十話 黒鉄の音


 黒い鉱山の崩落から、しばらくの時が経った。


 第九圏の氷が完全に消えたわけではない。


 空は相変わらず暗く、遠くの岩稜には白い霜が張りつき、風は刃のように冷たい。油断すれば、すぐに指先から熱を奪われる。


 だが、鉱山の入口は、もう以前のような死んだ穴ではなかった。


 赤い帰還柱が、黒い岩の前で淡く光っている。


 その周囲には、骨と石で組んだ低い壁が作られ、風除けの板が立てられていた。入口脇には小さな暖所があり、炉から引いた骨管が地面の下を通って、かすかな熱を吐いている。


 坑道の手前には支柱が打ち込まれ、天井の脆い部分には黒石材と木材を組み合わせた補強が入っていた。


 換気用の骨管も、まだ不格好ながら通されている。


 排水溝は浅い。


 そり道も狭い。


 退避所と呼ぶには、ただの少し広い窪みにすぎない。


 それでも、何もなかった頃とは違う。


 そこには、戻るための道があった。


 倒れた者を運ぶためのそりがあった。


 入口で休むための熱があった。


 そして何より、そこに働く悪魔たちがいた。


「支柱の右、まだ浅いぞ!」


「奥に行くな! 王様から止められてんだろうが!」


「黒鉄はこっちだ! 魔鉱石は混ぜるな、ザグに怒鳴られる!」


「そり戻すぞ! 道を空けろ!」


 黒い鉱山の入口で、工夫の悪魔たちが声を張り上げていた。


 彼らの多くは、ついこの前まで凍りつき、坑道の闇の中で死にかけていた者たちだ。


 まだ痩せている。


 顔色も悪い。


 腕も細い。


 だが、目には力が戻っていた。


 炉の火と粥と睡眠で、少しずつ輪郭を取り戻しつつある。


 その中心に、プルトンがいた。


 彼は杖をついて立っていた。


 片足にまだ力が入りきっていない。背中もわずかに曲がっている。声にもかすれが残っていた。


 それでも、彼が坑道の入口に立つだけで、工夫たちの動きが締まる。


「そこは叩くな。音が軽い。空洞がある」


 プルトンが杖で岩壁を指した。


 若い工夫の悪魔が、慌てて手を止める。


「こっちは?」


「鳴りが鈍い。支えろ。掘る前にな」


「了解だ!」


 ヴェスパーは少し離れた場所で、それを見ていた。


 隣にはアガレスがいる。


 光の板を抱え、すでに何かを書き込んでいた。


「歩けるのか」


 ヴェスパーが言うと、プルトンは顔だけをこちらへ向けた。


「歩けるだけだ。働けるとは言ってねぇ」


「なら働くな。口だけ出せ」


「それなら得意だ」


「頼もしいな」


 ヴェスパーは鼻で笑った。


 プルトンも、少しだけ口の端を上げる。


 そこへ、そりが一台戻ってきた。


 積まれているのは黒い鉱石だ。


 表面は煤のように黒く、ところどころに鈍い銀色の筋が走っている。小さな結晶片のようなものも混じっていた。


 ザグがそれを見て、低く唸る。


「黒鉄鉱だ」


 ヴェスパーが振り向く。


「使えるか」


「使える。だが、すぐには打てん」


「理由は」


「硬い。冷たい。気難しい」


「石を人みたいに言うな」


「石にも機嫌がある」


「あるのかよ」


「ある」


 ザグは当然のように頷いた。


 その横でリトが、別の石を拾い上げる。


「こっちは魔鉱石ですね。黒鉄ほど量はありませんが、魔力の通りがいいです」


 メルツが腕を組み、鉱石の山を見下ろす。


「火受け板、骨管の接続具、支柱の固定金具あたりから作れそうだな」


 フルカスが静かに言った。


「剣はまだか」


 ヴェスパーは即答した。


「まず釘だ」


「釘か」


「剣より先に釘だ。建物が崩れたら剣どころじゃねぇ」


 フルカスは少しだけ黙った。


 それから、深く頷いた。


「……道理でございますな」


「納得するの早いな」


「王の剣は、守るべき場所があってこそ振るうもの。であれば、まず釘でございましょう」


「急にかっこよくするな。釘だぞ」


 アガレスが目を輝かせた。


「王様語録、剣より先に釘!」


「やめろ」


「すばらしいです!」


「すばらしくない。普通の現場判断だ」


「普通の現場判断が、第九圏では歴史的記録になります!」


「なんでも歴史にするな」


 そう言いながらも、ヴェスパーは鉱石の山を見る。


 黒鉄鉱。


 魔鉱石。


 黒い結晶片。


 旧い支柱から外された金具。


 折れた工具。


 錆びた鎖。


 まだ量は少ない。


 だが、それらは確かに鉱山から運び出されたものだった。


 凍った穴の奥から、少しずつ、資源が戻ってきている。


「プルトン」


「ああ」


 ヴェスパーは鉱山の入口へ視線を向けた。


「鉱山は、お前らに任せる」


 近くにいた工夫たちが、一斉にこちらを見た。


 プルトンも、目を細める。


「本気か」


「俺は鉱山の専門家じゃない。現場を知ってるのはお前らだ」


「王様なのにか」


「王様だからって、岩の鳴り方まで分かるか」


「分かったふりはできるだろ」


「そんな王は坑道ごと埋める」


 プルトンは、かすれた声で笑った。


 工夫たちの間にも、低い笑いが広がる。


 ヴェスパーは図面を広げた。


 そこには、鉱山入口周辺の簡単な見取り図が描かれている。支柱、換気管、排水溝、退避所、そり道。赤い帰還柱の位置も記されていた。


「ただし、条件がある」


 工夫たちの顔が引き締まる。


「奥へ進むなとは言わない。鉱山は進まなきゃ意味がないからな」


 ヴェスパーは線を一本引く。


「だが、掘る前に支えろ。進む前に戻る道を作れ。空気を通せ。水を逃がせ。崩れたら逃げ込む場所を先に決めろ」


 誰も口を挟まなかった。


「鉱石より命を先に運べ」


 その言葉に、プルトンがゆっくりと目を伏せた。


 工夫たちも、黙って聞いている。


 かつて、この鉱山には戻る道がなかった。


 熱が途切れ、支柱が割れ、奥から崩れていった。


 救援は来なかった。


 記録上は、全滅扱いになった。


 だからこそ、その言葉は軽くなかった。


「グレルとラゴには、定期的に入ってもらう」


 ヴェスパーは続けた。


「匂いと振動で、危ない場所を先に見る。プルトンは判断役。動ける奴が勝手に奥へ行くな。行くときは組で行け。戻ったら記録しろ」


 アガレスが満面の笑みを浮かべる。


「記録です!」


「お前が嬉しそうなのは分かった」


「王様、鉱山日誌を作りましょう!」


「作れ。必要だ」


「鉱山安全規則も作りましょう!」


「作れ。必要だ」


「王様語録も併記して――」


「それはいらねぇ」


「必要です!」


「必要じゃない」


 プルトンが小さく笑った。


「変な王だな」


「王じゃねぇ。現場監督だ」


「なら、なおさら変だ」


「否定できねぇのが腹立つな」


 工夫たちが、今度ははっきり笑った。


 黒い鉱山の入口に、久しぶりに笑い声が響いた。


     ◇


 村へ戻るそり道には、少しずつ荷が増えていった。


 最初は黒鉄鉱が数塊。


 次に魔鉱石が小袋ひとつ。


 その次は、古い工具の残骸。


 折れた支柱から外した金具。


 黒い結晶片。


 まだ使えそうな鎖。


 欠けた鉄板。


 どれも大きな量ではない。


 そりの上に山のように積めるほど、鉱山は甘くなかった。


 奥にはまだ崩落の危険が残っている。


 支柱が足りない。


 換気も不十分。


 熱も足りない。


 だから工夫たちは、慎重に、少しずつ運んだ。


 それがヴェスパーの命令だった。


「急いで全滅するな」


 身も蓋もないが、工夫たちにはよく効いた。


 村の外れに作られた工房には、その鉱石や金具が運び込まれていく。


 工房は、以前よりも明らかに熱を帯びていた。


 炉の火が入り、黒鉄を焼くための火床が組まれ、骨管で熱が引かれている。まだ粗末な作りだが、悪魔の職人たちが集まると、それだけで空気が変わった。


 メルツが革の前掛けを身につける。


 ザグが黒鉄鉱を選別する。


 リトが魔鉱石を小さく割り、魔力の通りを確認する。


 ハボリムは、工房の炉を見ながら満足そうに頷いていた。


「火はよいのう」


「焦がすなよ」


 通りがかりのヴェスパーが言うと、ハボリムは笑った。


「王よ、それは何度聞いてもよい戒めじゃ」


「いや、戒めっていうか普通に焦がすから言ってるんだが」


「火はよいのう」


「聞いてねぇな」


 最初に作られたのは、剣ではなかった。


 釘だった。


 黒鉄を細く伸ばし、一本一本叩いていく。


 次は金具。


 扉の蝶番。


 そりの補強具。


 骨管の接続部品。


 支柱を固定するための輪金。


 炉の火受け板。


 鍋の取っ手。


 包丁。


 ノコギリの刃。


 黒鉄の鍬。


 採掘用のツルハシ。


 救助用担架そりの補強具。


 どれも派手ではない。


 誰かが伝説として歌うようなものではない。


 だが、それらは確実に生活を変える。


 釘があれば、板が留まる。


 金具があれば、扉が動く。


 鍋があれば、粥を大量に作れる。


 工具があれば、次の道具が作れる。


 支柱金具があれば、鉱山で死ににくくなる。


 ヴェスパーは、工房の入口でその様子を見ていた。


 カン、と音がした。


 黒鉄を叩く音だった。


 続けて、カン、カン、と音が重なる。


 工房の中に、金属音が響く。


 それは、剣戟の音ではない。


 戦の音でもない。


 作るための音だった。


 村の悪魔たちが、その音に気づいて集まってきた。


 子悪魔たちは耳を押さえながらも、目を輝かせている。


 古い悪魔が、工房の前で立ち止まった。


「この音を聞くのは、久しぶりだ」


 誰かがそう呟いた。


 別の悪魔が、黙って頷く。


 第九圏から失われていた音。


 炉の唸りとは違う。


 魔物の咆哮とも違う。


 氷が割れる音とも違う。


 何かを作る音。


 何かが戻る音。


 カン、カン、と黒鉄が鳴る。


 アガレスが両手で光の板を抱きしめるようにして叫んだ。


「王様! 第九圏に金属音が戻りました!」


「うるさいだけだろ」


「いいえ! 復興の音です!」


 ヴェスパーは眉間を押さえた。


「なんでも大げさに言うな」


「大げさではありません! 記録します!」


「それは止めても止まらないんだろうな」


「はい!」


 アガレスは満面の笑みで書き込む。


 その勢いは、工房の槌音に負けていなかった。


 フルカスが隣に立つ。


「良い音でございますな」


「剣じゃないぞ」


「釘でございましょう」


「分かってるならいい」


「釘が増えれば、門も壁も強くなります。そりも壊れにくくなる。鉱山の支柱も増える」


 フルカスは目を細めた。


「剣より先に釘。確かに、道理でございます」


「だから、かっこよく言うなって」


 その時、工房の奥でザグが声を上げた。


「熱が足りん」


「何に」


「黒鉄に」


 ザグは火床を睨んでいる。


「曲がるが、言うことを聞かん」


「だから石と鉄を人みたいに言うな」


「聞かんものは聞かん」


「それで?」


 ザグはヴェスパーを見た。


「炉が要る」


「あるだろ」


「もっと良い炉だ」


 リトが横から補足する。


「今の炉でも加工はできます。ただ、黒鉄や魔鉱石を安定して扱うには、熱量と魔力の流れが足りません。炉壁もすぐ傷みます」


 メルツが汗を拭う。


「火が暴れると、金属も暴れる。今は職人の勘で押さえてるが、このままだと効率が悪い」


 ヴェスパーは、しばらく工房の炉を見ていた。


 赤い火。


 黒い鉱石。


 叩かれる鉄。


 熱を欲しがる素材。


 火を扱う場所が増えれば、危険も増える。


 火は便利だ。


 だが、暴れれば全部燃やす。


「……だよな」


 ヴェスパーは小さく呟いた。


「そろそろ、炉そのものを直さなきゃならねぇ」


 アガレスが即座に顔を上げる。


「王様、炉の改修ですか!」


「嬉しそうだな」


「当然です! 炉は第九圏改革の中心です!」


「中心が不格好なまま増設され続けてるからな。そろそろちゃんと設計しないとまずい」


 ヴェスパーは工房から視線を外し、村の中心へ向けた。


 最初に作った炉。


 名もなき集落に火を灯した炉。


 そこから骨管が伸び、暖所が増え、石切り場へ熱が届き、鉱山前にも火が渡り始めている。


 だが、それはまだ継ぎ足しだ。


 現場対応の連続。


 生き延びるための応急処置。


 ここから先は違う。


「火を灯しただけじゃ足りない」


 ヴェスパーは言った。


「火を配る。火を絞る。火を逃がす」


 アガレスが一言一句逃さず記録する。


「熱は便利だが、暴れたら全部燃える。第九圏を温めるなら、まず炉を賢くしなきゃならねぇ」


「炉を、賢く」


 アガレスの目が輝いた。


「王様、それは非常に良い表現です!」


「表現じゃなくて設計方針だ」


「記録します!」


「してるだろ、もう」


 アガレスは嬉しそうに頷いた。


     ◇


 その日から、ヴェスパーはようやく研究所に腰を落ち着けた。


 正確には、落ち着けた気がした。


 鉱山はプルトンと工夫悪魔たちに任せた。


 工房はメルツ、ザグ、リトが動かしている。


 救助者たちの世話は、ハボリム、ブエル、ニムたちが見ている。


 防衛はフルカス、バルガン、グレル、ラゴが回している。


 記録はアガレスがいる。


 すべてをヴェスパーが直接見なくても、少しずつ現場が回り始めていた。


 研究所の机に向かいながら、ヴェスパーは深く息を吐いた。


「ようやく、腰を落ち着けられるな」


 隣でアガレスが筆を構える。


「王様、本日の発言、記録しました!」


「今のはいらねぇ」


「重要です! 王様が初めて落ち着く意思を示しました!」


「休むとは言ってない」


「設計ですか?」


「設計だ」


「やはり記録が必要です!」


 アガレスは楽しそうに光の板を増やしていく。


 ヴェスパーの前には、大きな図面が広がっていた。


 炉の改修案。


 現在の炉核。


 熱を通す骨管。


 排管の分岐。


 村の暖房。


 救護所。


 工房。


 温室予定地。


 石切り場への熱路。


 黒い鉱山方面への供給路。


 結界装置との連動。


 黒鉄と魔鉱石を使った炉壁の補強。


 魔力が暴走した時の逃がし口。


 火災時の遮断弁。


 熱を流す場所。


 止める場所。


 逃がす場所。


 溜める場所。


 それらを、ヴェスパーは線でつなげていく。


「炉核の熱量をそのまま増やすと危ない」


「はい!」


「だから、まず熱の逃げ道を作る」


「逃げ道!」


「工房と温室と救護所に分ける。鉱山方面はまだ細くていい。黒鉄の加工に使う高熱炉は、村の中心炉から独立させたい」


「独立炉!」


「暴走した時に全部巻き込むからな」


「安全のための分離ですね!」


「そうだ。あと、遮断弁が要る」


「遮断弁!」


「骨管に魔鉱石の制御板を噛ませる。熱と魔力の流れを切れるようにする」


「王様、これはかなり高度な設計では!」


「高度っていうか、火事が怖いだけだ」


「現実的です!」


「現実が一番怖いからな」


 アガレスは書く。


 ひたすら書く。


 炉改修案。


 熱配分計画。


 鉱山安全規則。


 プルトンの証言。


 黒鉱石の性質。


 工房の初製品一覧。


 支柱金具の規格。


 救助用そりの改良案。


 王様語録。


 王様の愚痴。


 王様が眉間を押さえた回数。


 ヴェスパーが、ふと目を止めた。


「最後の三つはいらねぇ」


「後世に必要です!」


「絶対いらねぇ」


「王様の苦悩も、第九圏改革史の重要な一部です!」


「苦悩っていうか、お前が原因の頭痛も混ざってるからな」


「それも記録します!」


「するな」


 アガレスはにこにこしながら書き続けた。


 研究所の外から、音が聞こえてくる。


 炉の低い唸り。


 カン、カン、と黒鉄を叩く音。


 そりの軋む音。


 悪魔たちの掛け声。


 ニムの笑い声。


 ハボリムの「火はよいのう」という声。


 ブエルが、採ってきたものの説明をしているのか、間延びした声も混じる。


 遠くでは、フルカスが訓練の号令をかけていた。


 少し前まで、第九圏にはほとんど音がなかった。


 氷が軋む音。


 風が吹く音。


 飢えた魔物の気配。


 弱った悪魔の小さな呻き。


 それだけだった。


 今は違う。


 火の音がある。


 食べる音がある。


 作る音がある。


 働く声がある。


 笑い声がある。


 ヴェスパーは、図面の上で手を止めた。


 しばらく、その音を聞いていた。


「王様?」


 アガレスが首を傾げる。


「いや」


 ヴェスパーは小さく息を吐いた。


「うるさくなったな、と思ってな」


 アガレスは笑った。


「はい。とても」


「喜ぶところか?」


「もちろんです」


 アガレスは外の方へ目を向ける。


「静かな地獄より、ずっと良いです」


 ヴェスパーは何も言わなかった。


 ただ、ほんの少しだけ口元を緩める。


 そして、再び図面に向かった。


 炉の改修図。


 熱配分計画。


 村の配置図。


 鉱山、石切り場、森、地底湖。


 それらを描いていたヴェスパーの手が、ふと止まる。


 図面の端に、彼は大きな円を描いた。


 アガレスが身を乗り出す。


「王様、それはどこの図面ですか?」


 ヴェスパーは、円の内側に線を引いていく。


 北東の集落。


 東の森。


 北の地底湖。


 南の石切り場。


 黒い鉱山。


 まだ遠い中央。


 旧都パンデモニウム。


「第九圏だ」


 アガレスの筆が止まった。


「全部、ですか?」


「全部だ」


 ヴェスパーは淡々と言った。


「ここだけ温めても意味がない」


 アガレスは、しばらく何も言わなかった。


 やがて、ゆっくりと光の板を持ち直す。


「王様」


「なんだ」


「これは、かなり大きな記録になります」


「だろうな」


「第九圏全体の再設計です」


「まだ落書きだ」


「いいえ」


 アガレスは首を振った。


「最初の火も、最初の粥も、最初の門も、最初の帰還柱も、最初は全部、王様の雑な一言から始まりました」


「雑って言うな」


「では、大胆な一言から」


「言い換えればいいってもんじゃねぇ」


 アガレスは笑う。


 ヴェスパーも、少しだけ笑った。


 外では、黒鉄を叩く音が続いている。


 カン、カン、と。


 ゆっくりと。


 まだ不揃いで、まだ頼りない。


 それでも確かに、音は響いていた。


 第九圏の氷の底で、黒鉄の音が鳴り始めた。


 それはまだ小さな音だった。


 だが、確かに、国が動き出す音だった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


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