39 聖女の濡れ衣
「彼女の欲をすべて満たしてやれる権利は、ただひとり俺だけが持っている」
エドガルドのはっきりとした断言に、どうしても泣きたくなる。
「聖女を崇めるだけの者や、ましてや搾取するだけの愚劣な人間に、強欲などと評させるつもりはない」
「エドガルドさま。私……っ!」
勇気を出して顔を上げ、抱き締めてくれている彼を見上げた。
「私は、あなたのことが……」
けれどもエドガルドと視線が重なった瞬間、メアリは息を呑む。
(やさしい、まなざし)
夜の海の波打ち際に居るかのような、寄る辺ない気持ちで立ち尽くした。
(……私が、魅了魔法で無理やりエドガルドさまに芽生えさせた感情……)
「――――メアリ?」
愛おしそうに頬を撫でながら名前を呼ばれて、メアリははっとする。
「なんでも、ありま……」
震えるくちびるで否定しようとした瞬間に、ふわりと柔らかな光が舞う。
「!」
「……あら」
落とされたのは、愛らしい鈴の音にも似た声だった。
「皆さま、こちらにいらしたの?」
転移によって現れたのは、春の花びらを重ねたような水色のドレスに身を包んだ少女である。
さらさらとした金色の髪に、桃色の瞳。ぱっちりした丸い瞳に、愛らしい小さなくちびる。
随分と久し振りに顔を見た気がする十五歳の少女は、拗ねて甘えた声音で言った。
「ひどいです、私を混ぜて下さらないなんて。せっかく姉妹が再会する機会だというのに、皆さまとっても意地悪なのですね?」
その少女が首を傾げると、金糸のような髪が流れる。
「ね。……メアリお姉さま」
「ニーナ!」
異母妹が目の前に現れても、クリフォードの時ほどは驚かなかった。
(他国民の出入りが制限されている神殿でも、例外はあるわ。ひとつは聖女や大神殿の司教さまのような、どの国にも属さないとされている存在……それから)
先ほど抱いた疑念が解消されて、クリフォードの方を見遣る。
(聖女を守る存在も。クリフォード殿下はレデルニア国の王太子としてではなく、ニーナの護衛としてこの国の神殿にいらしたのだわ)
だからこそ転移魔法の許可が降り、結界が限定的に解除されたのだろう。
(そうだったのね。……それから、エドガルドさまが私を追っていらっしゃったのが、あのタイミングだった理由も……)
あれはメアリをすぐに追ったというよりも、誰かと話をしてきたかのような頃合いだった。
「ニーナ。どうしてあなたがこの神殿に?」
「どうしてって……噂が聞こえて来たのですもの。聖女の地位を奪われてアイゼリオン国に逃げ出したお姉さまが、なんだか未だにその真似事をなさっているって」
ニーナはくすっと微笑んで、楽しい悪戯を考えている子供のような目をする。
「だから私、止めたくて。――だってそんなの、おかしいではありませんか」
「ニーナ……」
「お姉さまは司教さまたちに認められなかったのです。だから追い出された、そうでしょう? ようやく大神殿からお姉さまが居なくなって、皆さまが私の凄さを知って下さると思いましたのに……」
拗ねてくちびるを尖らせる、幼い仕草も愛らしい。
「大神殿よりも広い世界で、お姉さまが崇められるなんて。そんなのは許されるはずありませんよね?」
「……メアリ」
エドガルドの低い声に、はっきりとした苛立ちが滲んでいる。
「あの女も、お前が構わないならすぐさま排除してやるが。……どうする?」
「お、お待ちくださいエドガルドさま」
排除という言い方は間違いなく、不穏当な手段を表すのだろう。
「ニーナ」
メアリは妹の名前を呼びながら、エドガルドに守られていた腕からするりと離れる。
「私が居なくなった後、ご飯はちゃんと食べている? ちゃんと眠れているかしら」
「……当然ですわ。クリフォード殿下が大袈裟に仰ったのかもしれないけれど、私はもっともっと浄化出来ますの。それなのに司教さまたちが、私からお勤めを取り上げるのですよ?」
ニーナの愛らしい顔から感情が消えると、その面差しは人形のようだ。
「これでは、お姉さまがいらした頃と何も変わりません」
「……ひとつだけ教えてほしいの、ニーナ」
メアリは切実な思いを込めて、彼女に切り出した。するとニーナはクリフォードの傍に膝をつき、治癒魔法を掛けながら微笑む。
「どうぞ何でもお尋ねになって? 便利に働いてくれていたはずのお姉さまが追放されることになった、その計画を主導した人間をお知りになりたいでしょうか。あるいはお姉さまの味方だと言っていたのに、今は手のひらを返したように私を崇める国王さまたちの一覧を?」
「そんなことはどうでもいいの。それより」
メアリはおずおずと挙手をして、ニーナに尋ねる。
「――聖女の真似事、とは?」
「……は?」
その瞬間、微笑みでも無表情でもない表情がメアリを見上げた。
「この期に及んで、何を白々しいことを仰っているのですか?」
「私は大神殿を出るときに、もう二度と聖女にはならないと決めているの。エドガルドさまの元に来てからは、聖女ではなく別の業務を頑張っているところなのよ」
「別の、業務」
「ニーナ。私ね」
メアリは振り返り、たたっとエドガルドの方に駆け寄る。エドガルドの隣に立つと、きらきらの笑顔で堂々と胸を張った。
「エドガルドさまの元で、今度は悪女を目指しているの!」
「――――……」
しん、と神殿が静まり返る。
エドガルドだけは俯いて、何やら目元を覆っていた。複雑そうな顔をしているクリフォードの隣で、ニーナが瞬きを繰り返す。
「何を、仰っているの……?」
「ちょっと失敗ばかりだけれど。今度は人に憎まれて嫌われる、そんな悪女になるため頑張っているわ」
「つまり……お姉さまは意識して聖なる者のように振る舞っていなくとも、紛うことなき聖女でいらっしゃると?」
ニーナの声が震えている。心配になって傍に行こうとしたメアリの体が、抱き上げられてふわりと浮いた。
「その通りだ」
「!」
エドガルドがメアリのことを抱き込み、再び腕の中に庇ってくれる。
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