22 ご乱心気味の旦那さま
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夜会の会場に到着したとき、メアリは心の中でひっそりと感動していた。
目の前に広がっていた光景が、『夜会』というものについて本で読んだときの想像よりも、ずっと華やかなものだったからだ。
エドガルドの腕にちょんと掴まって、エスコートされながら、桃色をした瞳を輝かせる。
(まあ……)
シャンデリアの光がきらきらと瞬く会場内は、着飾った男女に埋め尽くされて、さまざまな色彩に溢れかえっていた。
楽団によって奏でられる音楽の中、みんながその手にグラスを持っている。会場内のあちこちに設けられた円卓には、美味しそうな飲み物や軽食が並べられていた。
「これが夜会というものなのですね……! とても心がわくわくします。あれはなんでしょう? 見たことのないお菓子……」
「……まさかケーキを知らないのか? あの白いのが生クリーム、黒いのがチョコレートだ」
「あれが本物のケーキさま! そして噂に聞く生クリームさまに、チョコレートさま……!」
後で絶対に食べてみたいと思いつつ、まずは役割に集中する。
「会場内にいらっしゃるのは、十代後半から二十代前半の男女ですわね。さすがはエドガルドさま。女性がたくさん参加なさっている夜会がいいという、私の計画にぴったりな場をありがとうございます」
「……」
シュニいわく、エドガルドのもとには日々夜会の招待状が届いているらしい。基本的にエドガルドは参加しないそうなので、参加者にとっては珍しい出来事のはずだ。
とはいえその物珍しさ以外にも、メアリたちが注目を集める理由がある。
参加者たちはこちらを遠巻きにしつつ、どこか青褪めた顔をしていた。
「皆さまとても怯えていらっしゃるのは、エドガルドさまが怖いお顔をされていることも一因のようなのですが……」
「……俺の腕に掴まっているお前が可愛いので、それに耐えている」
「しかめっ面の理由が公表できたら、きっと皆さんご安心くださいますのにねえ……」
しみじみ残念に思うのだが、魅了魔法によってメアリにめろめろになってしまっているのは、エドガルドにとって不名誉なことだ。
第一、彼は王にならないために様々な手段を講じているので、怯えられたままで都合が良いということなのだろう。
「エドガルド殿下が、何故このような夜会の場に……?」
「つい二週間前も、殿下によって建国から続く名家が没落してしまったばかりだというのに。路頭に迷ったシュレー家一族が自死を選んだことに、なんの罪悪感もお持ちでは無いご様子だわ」
楽団による演奏に搔き消され、彼らが何を話しているのかが聞き取れない。しかし、エドガルドの方に向けられるまなざしによって、噂話の内容は想像がつく。
(噂をされているのは、エドガルドさまだけではないわね)
彼らの視線は、メアリの方にも向けられている。その内容がどんなものかも、聞かなくてもよく分かった。
「あれが、神殿を追放された『悪女』……」
「……」
エドガルドのまなざしが、先ほどまでよりもひときわ冷える。
メアリはそんな彼を見上げ、微笑んで告げた。
「嬉しいですね。エドガルドさま」
「……メアリ?」
周囲の物言いたげな視線を浴びながら、メアリは小首をかしげる。
「どうかなさいましたか? 私が悪女だという噂が巡るのは、エドガルドさまの望まれるところですよね……?」
「!」
そう尋ねると、エドガルドははっとしたように目を見開いた。
「……その通りだ。なのに、なぜ俺はこんな苛立ちを……」
(なんだかお悩みのご様子になって、ますます近寄り難い雰囲気だわ)
この会場にいる男性陣は、エドガルドの顔色を窺っている。表情も体も強張っており、緊張と恐怖が見て取れた。
けれども対する女性陣が持つのは、エドガルドに対する恐怖ばかりではないようだ。
(女性たちのあのまなざし。怯えの他には、私への嫌悪感……見下しと、怒りのようなものが見えるわね)
やはりメアリの読み通り、彼女たちはエドガルドの妃の座を欲している。メアリが妻の立場を自慢すれば、さぞかし悪女めいた振る舞いに見えるだろう。
「エドガルドさま。早速ですが私、女性たちのお喋りの輪に入って自慢をして来ようと思います」
「……」
「なのでその。掴んでいらっしゃる私の手首を、離していただきたく」
メアリの手が捕まえられてしまったのは数秒前、エスコートをしてくれるエドガルドの腕から手を離そうとした瞬間だ。
「分かっている」
エドガルドは、自分がしっかりと掴んでいるメアリの手を見下ろして、とても難しい顔をした。
「……分かってはいる……」
「やっぱりお可哀想なエドガルドさま……!」
エドガルドがメアリの手を捕まえているところを、周囲の人々がざわつきながら見ている。ここから離してもらえるまでには、たっぷり二十秒以上を必要とした。
「とっても怖いですね。魅了魔法……」
「恐ろしいな。本当に」
ふたりでしみじみ言い合ったあと、メアリはエドガルドの瞳を見上げる。
「それでは、行ってまいります!」
「……」
エドガルドの周りには、さまざまな人たちが集まり始めていた。
完全に怯え、エドガルドの顔色を窺っている彼らだが、やはり社交上は目通りをしておきたいのだろう。
(エドガルドさまに、ああした余計なご負担を掛けているのだもの。きっちり働かないと)
気合を入れ、きりっと前を向く。
(――いざ、尋常に悪女!!)




