第74話 エルフお姉さんたちと命の少女
民衆に囲まれピンチだった俺たちのもとに現れたのは、全長十数メートルもの首長竜の魔物と、それを従えているらしい謎の少女だった。
少女は見たところ、りんぜやサクラと同じくらいの背丈だ。右側だけ結んでサイドテールにしてある銀髪は日光を受けて鈍く輝いている。瞳は透き通った紅で、日傘と衣服は真っ白でフリルがたくさんついている。
俺が受けた印象としては、美しく清浄で触れられざるもの、といった感じだ。
「ふう。危なかったね」
かいていない汗を拭うような仕草をしながら、少女は微笑んだ。
彼女の言う通りに首長竜の背中に乗り込み、暁の国からの脱出には成功した。すでに竜は出発しており、洋上を進んでいる。
その背中は、十人近い人数ではさすがに狭いかと思われていた。だが少女が指を鳴らして合図をすると、なんと竜の身体から客室が生え、全員収容可能であることが判明する。俺も驚いた。
恐らくこの首長竜自体が、彼女の魔法の支配下にあるものなんだろう。
「あなたは何者なの? この魔物はなに?」
「彼はキムラ。私の頼れる相棒さ」
キムラ。それがこの竜の名前らしい。やけに日本人の苗字っぽいのは気のせいか。
いや、そんなことよりも少女が何者であるかの方が重要だ。ラミカもその部分を重ねて尋ね、俺たちが警戒の視線を向けている中、再び少女は口を開く。
「では逆に聞くよ。誰だと思う?」
「ふざけないで」
周囲に広がる張り詰めた空気などきにもとめない様子で、彼女はくすりと笑った。胸ぐらを掴もうとするラミカをモンブランが止め、その様を少女は楽しそうな顔で眺めている。
「ヒントが欲しいのかな? じゃあそうだね、私はきみたちの力を知っているし、当然きみたちも私を知っている。
それに、私を探し求めてくれていただろう?」
ヒントと言いつつも、頭のこんがらがるようなことを言ってくる。彼女は素直に教えてくれるような人ではないのだろう。楽しそうな表情がその証拠だ。
会った記憶はまったくないのに、力を知っている、と彼女は話す。そのうえ、俺たちが彼女を探していたこともある。
首を傾げる者も多い中、ふとモンブランがかすかな声で呟いた。
「……命の王、ですか」
「正解! ベルなら当ててくれると思ってたよ」
確かに俺たちは命の王の存在は知っていたし、どこかにいるはずのそれを探してベリア大陸を目指していた。
その途中でラミカからのSOSがあって、暁の国へと飛んで、そうして今に至るわけだが、まさか当初の尋ね人の方から会いに来てくれるとは。
「改めて自己紹介をしようか。私の名前は『ネフェミア』。ベルの言う通り、命の王だよ」
ネフェミア、と名乗った彼女。命の魔王覚醒者だというのなら、その証である紋章が瞳に浮かんでいるはずだ。
俺は彼女の目をじっと観察し、紋章を見つけようと試みる。
彼女の虹彩は魔王覚醒者の紋様と同じ色で、仮に浮かび上がっていたとしてもよく見えないだろう。それを考慮したとしても、紋章らしきものはどこにも見当たらない。
すると、俺からの視線に気がついたのか、ネフェミアは顔を隠した。
「あまり見つめないでおくれよ。照れてしまうじゃないか」
そういうわりには、照れている気配はない。俺をからかっているのだろう。
ともかく、どういうわけか魔王覚醒者の証は彼女の瞳には刻まれていなかった。
俺たちの言っていることに乗っかって、適当なことを並べ立てているだけなのではないか。そういった邪推はいくらでもできる。
「……あの。ベルって、私のことですか?」
モンブランが控えめに尋ね、ネフェミアは意外そうな顔をした。そして、あぁそういうことか、とひとりで合点がいったらしく、何度か深く頷く仕草を見せ、モンブランの言葉に答えた。
「あぁ、きみのことだよ。ちょっとしたあだ名さ」
「ってことは、記憶を失う前の私を知ってるんですか?」
「もちろん、旧友さ。でもね、失われた過去は自分で探した方がいい。私の口から聞くようなことじゃないよ」
怪しさはあるが、ベル、という呼び名にはどこか引っかかるところがあるみたいで、モンブランは何度も繰り返し呟いていた。
彼女の過去に関係する人物だとすれば、嘘はついていないのだろうか。
「さ、私については後でもっと詳しく聞いてくれればいい。
それより、怪我人や疲れている者もいるんだろう? 狙われている身なんだ、体力は回復させておくべきだよ」
疲れた様子でへたりこんでいるりんぜと、ラミカの背中で寝息をたてているアルカ。それにシルキィも肩に弾の痕があったし、モンブランが尽力してくれるとはいえ、休まなければ体力は帰ってこない。
りんぜに肩を貸して、部屋に戻って休息をとってもらうことにする。
「ごめんね、大変なときにうまくできなくて……」
「りんぜが謝ることじゃないよ、こっちが礼を言うべきなんだ。ラジエルを止めててくれてありがとな」
「圭くん……」
りんぜがラジエルを止めていてくれなかったら、妹たちを助けることも難しかっただろう。彼女が本気で妨害しようと動き出せば、すべてのエルフが洗脳されていたかもしれない。
りんぜとアルカを寝かせ、シルキィはモンブランに肩の傷を治してもらって、あとは各自の部屋でゆっくりすることになった。キムラがなるべく揺れないように泳いでいるのか、ベッドに寝転がっても海上にいる感じはしなかった。
暁の国では、大きく体力を消耗した。歩き詰めどころか、走ってばかりいたからか。ベリアへ向かう船を乗り捨てて一日も経っていないのに、もう何日も経った感覚だ。
おかげで、急激に睡魔に襲われて、目蓋がとても重たくなってくる。このまま身を任せてしまえば、ぐっすりと眠ることができそうだ。
◇
シルキィはモンブランとともにネフェミアに呼ばれ、りんぜが休憩している部屋にお邪魔していた。
個人的に知りたいことがあるんだと告げられて集められたが、いったいなんのことだろう。
先程部屋を出現させたのと同様に、ネフェミアが指を鳴らして合図をするだけで床から椅子とラウンドテーブルが生えてきた。恐ろしい絵面ではあるが、勧められるまま座ってみると、座り心地はいい。
「あまり警戒しないでくれると嬉しいな。ベルも……シルキィくん、だったかな? きみも」
たとえサクラに裏切られた直後でなかったとしても、ネフェミアはすこし胡散臭い。事情を知っていて、それをあえて話さないような態度だからか。
「わざわざ集まってもらってすまないね。これは私の個人的な興味なんだが」
ネフェミアは真剣な顔をし、その一言を放つまでに一拍おいた。
「きみたちはあの少年のことが好きなのかい? どんなふうに? 教えてくれないかな」
シルキィは目を丸くした。どうすればいいかわからず、周囲を見回した。
モンブランは少し恥ずかしそうに視線をずらし、りんぜは逆に隠す必要などないと言わんばかりにネフェミアを見つめ返している。
「私は圭くんがなによりも大切だよ。圭くんがいうならなんだってする」
りんぜは一途でどこか狂信的で、今の言葉もまったく偽りはない。ただ彼の隣に、幼馴染みでいることが彼女にとって一番に大事なことで、その幼馴染みとは彼を知り彼に自分を捧げた者なんだろう。
「その、私は……受け入れてもらえるのが嬉しくて。だからきっと、捨てられたくないだけなんだと思います」
モンブランはなにがあっても彼が受け入れてくれるという約束に安心している。逆に言えば、彼がそうしなければ、彼女は深く傷つくことだろう。
このふたりはきっと、ネフェミアの言う通り、危うくもありながら彼を好いているのかもしれない。
けど、シルキィはどうだろうか。
確かに何度も助けようとしてくれたけれど、いなくなることが怖いか、全部を捧げたいかと言われればそうではない。りんぜたちのような恋愛感情は、きっとここにはない。
「でも、どうしてわざわざそれを聞きに来たの?」
「興味があったんだ。他人を好きになるってどういうことなのか、ね」
他人を好きになるということ。そんなもの、シルキィにもよくわからない。妹たちのことは勿論、仲間たちのことだって大切だ。
でも、シルキィは彼らに擦り寄ってはいけない。無意識の奥底で自分に言い聞かせている。目を逸らしたがっている。
そんなシルキィの目を見てか、ネフェミアは背中を撫でるように触れてきた。彼女の隠そうともしない強大な魔力がびりびりと伝わって、特に肩のあたりがくすぐったくなる。
「な、なにするの……?」
「別になんでもないさ。でもやはり、きみたちは面白いね。久しぶりのお出かけは大正解だ」
命の王と名乗る少女、ネフェミア。
シルキィは、彼女のことが苦手であるかもしれない。




