第54話 きつねみみの少女のいない宿にて
モンブランと遭遇したあと、俺たちは馴染みの宿屋に駆け込み、疲れ果てたサクラを寝かせていた。
ハーピー族の女将が快く迎え入れてくれて助かった。一ヵ月以上音沙汰がないと思ったら疲れきった様子のお姫様を連れてくるなんて、我ながらとんでもないお客だと思う。
りんぜたちはなんとか荒れ狂う獣族の民衆たちをなんとか巻いてここに来ていた。女将いわく、あの民衆はヒトが通りを歩いていれば襲いかかる過激派の連中で、おかげで誰も外を出歩かないようになったのだという。
「勇者試験にも乱入者が出てきたし、世の中どうなっちゃうの?」
ハーピーである彼女でさえ抱える不安は、獣族やヒトたちにとってはもっとかぎりなく大きいに違いない。
一方で、モンブランが抱えているものだって大きいのだろう。不安も迷いも天使の囁きも、彼女をより深い闇に導こうとしている。
「どうすればいいんだよ……」
りんぜとシルキィに巫女姫の手当てを任せ、俺はまた悩んでばかりいた。考え込むのも、ふたりに仕事を押し付けるのも悪い癖だとはわかっている。だが、心には後悔がわきあがってくる。
自分の責任なんて言っていただけで、俺はなにもできていないじゃないか。異世界に来て、ラミカの魔力をもらって、勝手に強くなった気でいた。なのに、今までついてきてくれた女の子ひとりの心に手も足も出ない。
止めてやると心に決めたはずが、振るった剣には躊躇いが残っていた。俺の覚悟は中途半端だったのだ。
ため息をついて、宿屋の扉が開くのを何の気なしに見ていた。
「あら? あなたはあの時の」
入ってきたのは顔見知りだ。シャフリマ・エリアザード、魔法使いで元冒険者。モンブランがかつて所属していたパーティのリーダーだった。りんぜとは二度対決しており、ライバル関係だ。
そんな彼女は大きな怪我の手当をされたらしく、左腕を木で固定して包帯を巻いてもらっていた。骨が折れているのだろうか。
「その腕……」
「折れてますわよ。あいにくと私は治癒魔法は苦手で、療養中ですの」
シャフリマによると、獣の村から移住してきた方々といつも通りに交流していたはずが、突然襲撃を受けたそうだ。
本来ならば温厚な人たちで、突然襲いかかってくるなどありえない。
なのにこうして片腕を折られる重傷になったのは、彼らがシャフリマの声も届かないほど暴走していたからだった。
「そういうあなたもお悩みの顔ですけれど。モンブランのこと、でしょう?」
シャフリマも彼女を目撃したらしい。もっとも、獣族に襲撃された前例があるため、遠巻きに気づかれないようここまで来たそうで、彼女と接触はしていないそうだが。
俺はシャフリマに話すことにした。こうなった経緯と、どう打破したらいいかわからない現状を。
全てを聞き終わると、シャフリマはそう、と呟き、少し考えてから続きを口にした。
「あなた、もしかして彼女を殺してしか止められないと思ってるのかしら?」
「……仮にそうじゃなくても、モンブランは反逆者になる。こんなことまでして、お咎めなしなわけがないだろ」
「あの子を縛りつけていた私は、偉そうなことを言える立場ではありませんけれど。
あなた、もう少し欲張ってもよろしいのではなくて?」
モンブランも、サクラも、レイジも。今困っている人々も、苦しみを押し付けられてきた獣族も。みんなを助けたい。
そう願うことは罪じゃないし、そのために尽力するのは悪じゃない。
一番いい結果を呼び寄せるなら、それだけに強く願わなければ。
「モンブランと大勢いる暴徒、さらに獣の王に天使とやら……巫女姫が動けない以上、りんぜとあなたたちくらいしか止められる者はいないでしょう。
だったら、巫女姫に条件くらい突きつけてやればいいのですわ」
俺たちがモンブランたちを止めてやるから獣族と和解しろ、なんてわがままを巫女姫に言えばいい。
「とんでもないことを言ってるぞ、それ」
「彼女もこのまま逃げ回っているよりあなたたちに頼る方がいいってことくらいわかっているはずですもの。とんでもなくたって、通せばいいんですわ」
悩んでいたってしょうがない。俺は立ち上がって、巫女姫の寝かされている部屋へと赴くことにした。
自分のわがままを突きつけて、最善の未来を欲張るために。
扉を開くと、ベッドの傍らで心配そうに見守るシルキィとりんぜの姿がある。サクラの顔もこちらを向き、意識はあるようだった。
ここで、俺は先程のシャフリマの提案の通り、サクラに向かって条件を提示した。
自分たちが事を解決する代わりに、レイジやモンブランと話し合い、協力して獣族の境遇改善に努めてくれ、と。
彼女は疲れきった様子でありながらも、すぐに答えを返してくれる。
「えぇ、約束しましょう。すべて国民の幸せのため、この巫女姫サクラは尽力いたします」
「……よし、これで決まりだな」
俺たちは立ち上がって、すぐにでも出発の用意をしようと考えた。
その瞬間に誰かの腹の虫が鳴る。りんぜが照れくさそうに顔を逸らしながら、私です、と名乗る。
「そういえばそろそろお昼の時間でしたね」
どんな状況であっても、空腹は容赦なく訪れる。腹が減っては戦ができぬと言うが、本当にその通りだ。言われてみれば俺もお腹が空いている気がする。
「女将さんが作ってくれているみたいですよ。この宿、いくらか怪我人もやってきているようですし……あなたたちも食べていってはどうですか?」
俺は椅子に座り直した。
「あぁ。そうしようか。暴走してる人達も止めないといけないし、こっちも体力は必要だろ」
彼らの奮起を頭ごなしに否定することはできない。モンブランがそうだったように、彼らの中に人身売買や奴隷扱いによって虐げられていた者もいるのは事実だ。
それでも、平穏に暮らしていた人々にまで襲いかかり、世界の崩壊へと直結するサクラの死を望んでいる。道を間違えてしまっているのだ。
「でも、なんで突然こんなことになったのかな」
「りんぜ、どういうことだ?」
「行動が早すぎないかな、って。つい数時間前まで魔王会議が行われてたはずなのに」
確かに。獣族そのものはこうした城下町にも普通に住んでいるが、その全員が革命を望んでいるとも思えない。
特にシャフリマの話が気にかかる。温厚だった人々に突然腕を折られるなんて、明らかにありえない状況だ。
はじめからこうしようと何者かが先導していたなら、それは恐らくレイジだ。
だが彼はサクラに反感は持っていてもそう過激な思想を抱いているわけではない。このように強引なサクラの殺害など望まないだろう。
残った可能性は──ラジエルか。
彼女と初めて戦った翌日、つまり今日の会議になるとレイジは様子がおかしくなっていた。
普段の彼なら、仮に革命を起こすとしても、民衆の先頭に立ち彼らを鼓舞し、自らサクラを狙うだろう。今その役割を担っているのはモンブランだ。
かつ、彼はあの戦いで糸に巻かれ、首筋に噛みつかれていた。アラクネ族が何らかの毒を持っている、あるいはラジエルの天使の力がそうして起動するものだったなら。
「あのラジエルっていう蜘蛛の子を倒せばいい、ってこと?」
「そうなるかも」
敵の能力は不明瞭だが、やることは変わらない。話を聞いてくれない相手は、真正面から止めるのが一番に違いない。
そうして話しているうちに、下の階から女将さんの声が聞こえてきた。ご飯ができたらしい。サクラも疲れた身体を起こし、まだ少し足元がおぼつかないながらも食卓へと歩く。
降りてきた俺たちを出迎えたのは、鶏のステーキをメインに据えた定食だ。宿泊するときによく出してもらっていたメニューで、久しぶりの味が身体にしみわたる。
そして、女将さんは俺たちに微笑みを向けた。
「晩ご飯はモンブランちゃんのぶんも用意しておくのだわ」
これで、今日中にモンブランを連れ戻さなくてはならなくなった。俺たちはみんなでその言葉に頷いて、腹ごしらえを続けるのだった。




