第40話 ヤンデレ幼馴染み対ヤンデレ幼馴染み
りんぜと黎夢──ふたりの炎が激突し、爆発が引き起こされる。周囲のすべてを巻き込んで、地面を抉り草木を焼き尽くしながら、爆炎があたりを包み込む。
俺は咄嗟に魔力でバリアを貼ったが、ただ闇のベールを展開しただけでは足りなかった。何度も何度も打ち破られ、吹っ飛ばされながら身体を守り、魔力を総動員してやっと怪我ですんだくらいだ。
俺なんかよりずっと耐久力があるとはいえ、あの爆発が直撃したふたりは無事なのだろうか。
視界を塞いでいた煙はやがて晴れ、祭壇の残骸が転がるクレーターが姿を現す。
その中心には傷ついた一人だけ少女が倒れていた。りんぜだ。
「これでボクたちの運命に邪魔者はもういない。行こう、圭くん。もう誰のことも見なくていい。ボクだけを見つめて?」
背後から声がして、振り向くと黎夢に手を握られる。俺のことを見つめる目は爛々と輝いているが、代わりに不気味なほど俺以外が映っていない。
吸い込まれるような、縛りつけられるような感覚を受け、俺はその場で動けないでいた。
視界の端では、傷ついたりんぜが倒れているというのに。
◇
りんぜの身体は動かなかった。彼女が負った傷は深すぎたのだ。
魔王の魂がつなぎ止めていなければ、全身が壊死どころか融解するほどのエネルギーを浴びて、動けるはずもない。
残された選択肢は、わずかに残った五感で、にじり寄る死を感じ続けるしかない。
煙を晴らしたそよ風が、痛みすら麻痺した肌を撫でる。
自分から大切な人を奪っていこうとする声が、耳から脳を突き刺してりんぜを蝕む。
わずかに見える幼馴染みの姿はあの女と手をつないでいるもので、心の中には負の感情たちが押し寄せる。
もし、圭がいなくなってしまったら。
もし、圭がりんぜを置いて、どこか遠くへ言ってしまったら。
それは、彼が身を呈してりんぜを助け、死んだときに覚えた途方もない絶望だ。ゼフィランシアがよみがえらせた忌むべき想定だ。
動けないりんぜには、もう彼についていくことはできない。彼と語った夢も約束も、色を失って崩れ去るしかない。
「元の生活に戻りたいなら、今すぐ戻してあげられるよ」
誰かの声がする。目の前にうっすらと、角と尻尾を備えた女の子の姿がみえる。
彼女の言う通り、元の世界には死と隣り合わせの戦いは身近にない。何日もかけて旅をしなくたっていい。友達がいる。家族がいる。
今までのりんぜは、そんな世界で普通の女子高生だった。
「それでりんぜちゃんは満足?」
そんな訳ない。
だって、その世界にはもう、彼はいないもの。
彼はりんぜにたくさん救いをくれたのに、りんぜは彼を助けられていない。
全部を知って全部を捧げたいのに、まだまだ同じ夢を抱いていたいのに、こんなところで終わりたくない。
まだ生きていたい。生きて、圭と冒険がしたい。
「このチャンスを蹴ったら、もう二度と元の世界に戻れなくなるよ」
そんなことはどうだっていい。
伊勢神りんぜは、奈浪圭のために生きている。彼の隣にいられるのなら、りんぜがどうなったって構わない。
例え人間じゃなくなっても──魔王になったとしても。
「ふふ、彼は幸せ者だねぇ。契約は成立だ、こっからの本番を楽しむといい」
そう言って、少女の姿はりんぜと重なっていく。魔王の魂がりんぜ自身の魂と重なって溶けあって、肉体にも変化が訪れる。あの角と尻尾が生えてきて、かわりに傷が消えてなくなって、身体の奥底から力が湧いてくる。
「私は伊勢神りんぜ……大好きな、圭くんの、幼馴染みだッ!!」
◇
クレーターの中心から叫びが聞こえた。俺と黎夢の視線はいっせいにそちらを向く。
そこには立ち上がる少女が見えた。何度も目をこすり、幻覚でないことを確認し、それがりんぜの姿であることをしっかりと網膜に焼きつける。
あんなにぼろぼろだったはずの身体からはいつの間にか傷が消え、魔王を彷彿とさせる悪魔の角と尻尾がついている。
瞳の紋章はひときわ強く輝いて、彼女の覚悟を示していた。
「……まだ死んでなかったんだ。だったら今すぐ消してあげる」
黎夢は火球を放ち、殺し損ねた彼女にトドメを刺そうとする。だが、炎はりんぜに届かない。紅の水が噴き上がり、行く手を阻んだのだ。
それは魔力の具現であり、魔王覚醒の前兆だった。紅を纏うりんぜの手には同じ紅で拳銃が作り上げられて、魔力は一発の弾丸に集中していく。
「『暗愚の色欲』」
放たれたのは圧縮された水の弾丸だ。迎え撃つために放たれる黎夢の火球をことごとく消し飛ばし、一直線に黎夢のもとへ向かい、彼女の背の翼を貫く。
さっきまでは効いていなかったりんぜの攻撃が通じている。
「……っく、『女神再臨・王冠』!」
黎夢はこの姿では駄目だと判断し、炎の翼からリボンで飾られた姿へと乗り換える。武器として包丁が現れ、りんぜの拳銃から放たれる水の弾丸たちを弾き、駆けて迫っていく。
ここからは接近戦になると、りんぜもまた纏う魔力を変化させた。銀色の闇が彼女の身体を包む。
その銀色には見覚えがあった。夜の王だ。
自在に形の変えられる闇を使い、瞬時に壁を作り上げ包丁による刺突を止める。そしてその壁を解除しながら構え、黎夢が手にした包丁を蹴り上げて叩き折ると、そのままかかと落としで黎夢の腕にもダメージを与えた。
だが黎夢はまだ引き下がらない。包丁を大量に出現させ、飛ばして攻撃してくるようになる。さらに衣装から伸びたリボンがりんぜの身体を拘束し、確実に突き刺そうとしてくる。
そんな中、りんぜは再び紋章を輝かせ、銀の闇となっている魔力を活性化させた。迫り来る包丁の群れに対し、りんぜの必殺技が起動する。
「『原初の不安定』」
明るかったはずのあたりは突如暗闇に包まれた。虚空から真っ黒な何者かの腕が無数に出現し、包丁たちを掴んでは手の中に飲み込んでいってしまう。
それらの手は黎夢にもまた伸び、彼女は必死に振り払っていたが、リボンのうち数本が飲み込まれ、黒く朽ちて消えていった。
それを見て、悲鳴に近い叫びとともに包丁たちが振り回されて魔力を切り裂き、暗闇の空間は消えてしまうが、既にりんぜは新たに黒い風を纏っている。
がむしゃらに両手の凶器を振り回している黎夢に、りんぜは的確に首を狙って蹴りを放つ。直前で察知しなんとか回避する黎夢だが、次に投げつけた包丁の狙いは甘く、風で逸らされたままりんぜの横を通り抜けていく。
もう一方の包丁は振り下ろして突き刺すために使うが、焦りで動きが大振りすぎる。黎夢はりんぜの手刀を受けて包丁を取り落とし、よろめいた。
新たに武器を生成するにも、また別の魔力を纏うにも、一瞬の隙を許すことになる。りんぜが竜巻を呼び出し、黎夢を拘束するのに十分なだけの隙だ。
そして、彼女は今日四度目の必殺技を繰り出す。いままでなら昏倒してしまい不可能だったはずだが、より魔王に近づいた証拠か、それでも彼女は倒れない。
「『白痴なる残酷』」
黒い風の回し蹴りが黎夢の脇腹に突き刺さり、爆発を起こして彼女を大きく吹き飛ばした。
彼女は地面に転がり、信じられないといった表情でりんぜを見つめ、感情のままに叫ぶ。
「嘘だッ、ボクは、ボクは女神の力を手に入れたんだ! この力で、ボクは圭くん以外の全部を消してやるんだ、そして永遠にふたりで暮らすんだ!
だから、お前はただ殺されてればよかったのに……!」
自分が押されているのを認めず、黎夢は立ち上がった。口元の血を拭うことも無く、心のうちを吐き散らし、殺意の発露として巨大な包丁を作り出す。
そんな彼女を前にして、りんぜは眉一つ動かさずに空へ跳んだ。黒い風は凪ぎ、かわりに脚に虹色の波動が集う。
「残念だけど、圭くんは自分と恋人以外を皆殺しにしたいだなんて思ってないの。私もそう。
だから、この世界に女神はいらない。
いくよ、『神無キ世ニハ魔王ガ嗤ウ』──!」
繰り出されるキックに黎夢は包丁わ振るうが、たやすく砕かれ、彼女は貫かれる。不思議と外傷はなく、かわりに現れるのは次元の裂け目だ。
彼女をこの世界から追放するため、ブラックホールのような重力で黎夢を引き寄せる。
だが、その状況でも、黎夢は抵抗を続けていた。重力に抗って、俺のほうへ手を差し伸べてくる。
「お願い、圭くん、ボクと来てよ……ねぇ、運命なんだよ、だから」
「……ごめん、黎夢。俺は君と一緒には行けない。
黎夢だって大切だけど、俺には他にも大事な仲間が、りんぜがいる。
だから、世界に二人っきりにはなれないんだ」
俺の返事を聞いて、黎夢は目を見開いて絶望の顔をすると──最後にりんぜを振り返り、憎悪を目を向ける。伊勢神りんぜ、伊勢神りんぜ、と何度も呟いて、初めて俺以外のものを瞳に映しながら、次元の裂け目に吸い込まれていく。
そうしてすぐに、黎夢の姿は見えなくなった。
裂け目が閉じたあとは、森には激闘の痕とともに、静寂が広がっているのだった。




