第39話 私達はあなたを助けに来た
運命とは何か。
その答えは人それぞれだ。
人によってはその出来事をどうすることもできず、受け入れて踏ん切りをつける者もいる。
だが、どうしても受け入れることができない者だっている。
だからこそ訪れる運命を変えようとする者もいるのだ。
「うっ……」
重たいまぶたが開く。
ルルクは激しい頭痛に苦しみながら、ゆっくりと身体を起こした。
馬車の中を見渡すが、マオの姿はない。いるのは静かに佇んでいるアイザックだけだった。
「くぅ、おぉぉ」
アイザックは唸っている。よく見るととてもゆっくりとだが、前に進もうとしていた。
ルルクは思わず顔をしかめる。一体何をしているのだろう、と感じてしまう。
「あの、先生?」
「おぉぉ、ルゥ、ルゥ、クゥ――」
「えっと、何をしているんですか?」
「マァ、オォ、にぃ――」
何もかもがスローモーションのアイザック。
そんなアイザックを見て、ルルクはつい苦笑いしてしまった。
ひとまず、マオに何かされたようだと理解する。ルルクはアイザックに近寄り、その身体に触れた。
すると途端にアイザックの動きが速くなった。
「おわっ」
唐突に戻ったためか、アイザックは突っ伏すように転んでしまう。
ルルクが思わず屈み込み、アイザックに「大丈夫ですか?」と声をかけた。
「すまない、助かったよ」
「いえ。それよりマオは?」
「一人で行ってしまった。早く追いかけなければ――」
アイザックの言葉を聞き、ルルクの脳裏に夢で見た光景が蘇る。
あの時とは違う状況。だが、マオに危機が迫っていることは変わらない。
「わかりました。すぐに行きましょう」
ルルクはアイザックに手を貸し、立ち上がらせる。
急いでマオの元へ行こう。そう考えていた時だった。
『ルルクゥゥゥゥぅ!』
それは、覚えのあるざらついた声だった。
咄嗟に視線を向ける。そこには先ほど撃退した蜘蛛に似た真っ黒なモンスターがいた。
「なっ」
「まだいたのか!?」
モンスターは一度ルルク達を睨みつけると、馬車へ飛びかかってきた。
大きく揺れると、ルルクはバランスを崩してしまう。
そのまま外へ放り出されそうになった瞬間、アイザックがルルクの手を掴んだ。
「しっかりしろ、ルルク!」
アイザックは反対側の扉の取手を掴み、踏ん張る。
その間にもモンスターは迫り、アイザックの頭をかじり取ろうとした。
牙が迫り、アイザックの額を切り裂いた。
血が噴き出ると共に、アイザックの身体が若干よろめいた。
だが、ルルクを掴む力は緩まない。
「先生っ」
「大丈夫だ、掠っただけさ」
「だけど、血が――」
「このくらい、平気だ!」
アイザックはルルクを引き上げようと力を込める。
だが、モンスターがそうさせない。
今度こそ確実にアイザックの命を取ろうと迫る。
命の危機。ルルクさえ離してしまえば、生き残ることはできるかもしれない。
しかし、アイザックの中でその選択はなかった。
「先生は、学生を守るものだ!」
単なる強がり。威嚇にもならない睨みを効かせる。
モンスターにとって何でもない行動だ。
だが、そのささやかな抵抗が一つの奇跡を呼び込む。
「よく言った、我が友よ!」
その野太い声は、聞き覚えのあるもの。
モンスターがアイザックの頭を跳ね飛ばそうとしたその瞬間に、馬車が弾け飛んだ。
「うおっ」
「わぁっ」
馬車の中にいたアイザック達は、足場をなくして落ちていく。
モンスターはというと、弾き飛ばされて一緒に落ちていた。
だがそれでも、執拗にアイザックを狙う。その瞬間、一つのハンマーが飛んできた。
それは見事にモンスターの頭に直撃する。
『ガァァ!』
モンスターが大きな悲鳴を上げ、バランスを崩して落ちていく。
アイザックはその光景を見て、まさかと感じていた。
そのすぐ後、柔らかい何かの上へと落ちた。
とぷん、と音が響くと共に身体が包み込まれる。
まるで水の中にいるような感覚に陥っていると、再び声は放たれた。
「こりゃすごいな。こんなにも便利なのか、魔術書は」
アイザックは慌てて柔らかい何かから這い出る。
目にしたのは、本を不思議そうに眺めている見慣れた友の姿だ。
「ガリウス、なんでここに?」
「ガッハッハッ、愚問だなアイザック! ここら辺に俺の家があることを忘れたか?」
「ああ、あの妙にゴチャゴチャした豪邸か。そういやあったな」
「ゴチャゴチャは余計だ! まあ、せっかくリリシア嬢とラブラブしていたというのに、あんなものが出たせいで何もかもぶち壊しだ。だから倒しに来た!」
ツッコミを入れればいいのかどうなのか。
アイザックはどう反応すればいいかわからず、言葉を失ってしまう。
「ぷはっ」
アイザックがガリウスの言葉に困っていると、遅れてルルクが這い出てきた。
一生懸命に呼吸をしていると、ガリウスがルルクに「落とし物だぞっ」と叫んだ。
顔を上げると、そこには一冊の本が飛んでくる。慌てて受け止め、確認するとそれは盗まれたはずの魔術書だった。
「これは――」
「ガッハッハッ、そこら辺にいる蜘蛛を殴ったらドロップした。大切なものなら大切に持っていなければならないぞ!」
モンスターが落とした。ルルクはその言葉に、妙な違和感を覚えた。
しかし、今はそんなことどうでもいい。
「ありがとうございます、先生!」
「いいってことよ。ま、ここは俺に任せろ」
ガリウスがルルク達から視線を外す。すると途端にモンスターが大量に出現した。
真っ黒に染まった蜘蛛が、今にも襲いかかろうと唸り声を上げる。
「先生、僕も戦います!」
「一人で大丈夫だ」
「でも――」
「君は、マオちゃんの元へ行かなきゃいけないだろう? なら、こんな所で油を売るな」
ガリウスは地面に突き刺さっていたハンマーを手にする。
それを軽々と担ぎ上げ、睨みつけるモンスター達を睨み返した。
「惚れた女を守るのが男だ! 君も男なら、しっかりとマオちゃんを守ってやれ!」
ルルクはガリウスの言葉に、何も言い返すことができなくなった。
アイザックはそんなルルクを見て、一つの決断を下す。
「任せるぞ、ガリウス」
「いいってことよ。お前も、しっかり伝えろよ!」
アイザックは駆ける。
一度だけ躊躇うが、ルルクも追いかけるように走った。
ガリウスはそんな二人のために振り返らない。
足止め、いや二人が無事に辿り着くためにも命を張る。
「行ってこい。ここで俺は、しっかりと暴れといてやる!」
◆◇◆◇◆◇◆
『ヒィーッヒッヒッヒッ。弱い、弱すぎる!』
巨大な蜘蛛の姿をしたモンスター。
その糸にマオは、手足を絡め取られてしまっていた。
ダメージが大きいのか、弱々しく呼吸をしている。
腕にも手にも力を込めることができず、抵抗すら敵わない。
そんなマオの顔を、ピエロ魔人は覗き込んでいた。
『気分はどうですか? 最高でしょ?
あなたが持っていた力で、あなた自身が苦しめられている。
もう私は最高で最高で最高で! 笑いが止まりませんよ!』
ピエロ魔人は腹を抱えて笑っていた。
そんな中、顔は顔を上げる。その目に宿っていた灯火は、まだまだ力強く消えていない。
ピエロ魔人はその目を見て、途端に苛立った表情を浮かべる。
『しつこいですね。どうして諦めない?
あなたには一切の希望はないのですよ。
精霊達も時の神も動けない。あなた自身は弱すぎて話にならない。
これで何の希望が持てるというのですか? よろしければ教えてくださいませんかね?』
「理由なんてない。私は、みんなを守らなきゃいけないから。だから、諦めないのっ」
それは、ピエロ魔人が知っている〈マオ〉ではなかった。
幾度となく繰り返し戦ってきた〈マオ〉とは違う何か。
それを知った途端に、ピエロ魔人はマオの顎を掴んだ。
『ふぅん、そうですか。繰り返しているうちに、変わってしまいましたか。
それならば、少し趣向を変えましょう。
そうですね、あなたが大切にしている〈お友達〉を目の前でゆっくりじっくりいたぶって殺してあげましょう。
そうすれば、いい顔をしてくれますよねぇ?』
ピエロ魔人の言葉に、マオの顔が強張った。
するとピエロ魔人はニヤァーっと笑みを浮かべる。
『そうそう、その顔ですよ』
ピエロ魔人は知っている。
マオは弱いことを。どんなに強い力を持っていても、弱いのだと。
だからこそ、その急所を突く。そうすれば必ず望む展開になる。
『さぁて、誰からとっ捕まえて殺してあげましょうか?』
マオは抵抗し始める。
だが、どんなに力を込めても絡みついた糸は解けない。
そんな無様な姿を見て、ピエロ魔人は笑みを浮かべた。
見たかった光景が、もうすぐそこにある。
「ならば返り討ちにしてあげましょう」
それは思いもしない声だった。
咄嗟に振り返ると、左腕が飛んだ。あまりのことに驚き、ピエロ魔人の動きが鈍る。
僅かな隙。その一瞬を突き、何かが飛び込んできた。
『くっ』
ピエロ魔人は咄嗟にマオを離し、右手を振り上げた。
だが、それよりも早く木剣が脳天に振り下ろされる。
ピエロ魔人の意識が僅かな時間ながら飛ぶ。
「マオッ」
その間に駆け込んでいく者がいた。
手にしていた薬液を糸にかけると、たちまち消えてなくなる。
支えを失い、力なく落ちるマオ。その身体を、ダリアンが受け止めて支えた。
「しっかりして!」
「マオちゃん、大丈夫!?」
聞き慣れた声が、耳に入ってくる。
マオが目を開くと、そこにはどこか安心したような表情を浮かべるダリアンとミーシャの姿があった。
「二人とも――」
「喋らないで! 今治療するからっ」
「でも――」
「大丈夫。私達がどうにかするから!」
マオは二人の姿を見て、安心したかのように笑う。
そんな中、ピエロ魔人がイラつきながら顔を上げた。
自分の脳天を叩いたミーシャを睨みつける。
だが、その視線を遮るように一人の少女が立った。
「弱い者いじめとは感心しませんね」
『キサマ――』
かつて利用した学園一の才女。
ガリウスの恋人であり、麗しき存在でもあるリリシアがピエロ魔人の前に立つ。
「マオちゃん!」
リリシアはピエロ魔人に剣の切っ先を向けながら、叫んだ。
一人で頑張り、みんなを守ろうとしたマオのために言葉を放つ。
「事情はよくわかりません。だけど、言っておきますね。
あなたは一人じゃない――だから、私達はあなたを助けに来た」
力強い言葉。
それにマオは、勇気づけられる。
リリシアは力強い顔に戻ったマオを見て、微笑んだ。




