第6章3話 リハーサル
「わわあ~~っ、おっきいねぇ~?」
ポカンと小鳥が可愛い口を開けて、目の前に並ぶ約三万人分のパイプ椅子を見つめている。
定期考査も無事とはいかないもののとにかく終わって、ようやく野外ライブの最終準備のために港近くにある埋立地に設営されている会場へとやって来ていた。
とは言っても、今日は本番前の前日リハーサルとして昼過ぎから音合わせをやることになっているようで、中等部の吹奏楽部の部員達は緊張した顔をしている。
今、ステージではプログラムの順番的には小鳥達の直前となるらしい、アイドルの白夜水月がリハをやっているところだ。
こうして見ると、ちゃんとアイドルしているんだと初めて見直してしまうが、まあ……それもこれも明日までだ。
そんな風に少し遠目に眺めていると、アリーナのほぼ中央のPA前にいる半蔵に気がついたらしい水月がステージの上から手を振って来る。
だから、わずかに苦笑すると目の高さに右手を持って来ると軽く敬礼するようにしてサッと振る。すると、それを見ていた大人気アイドルの水月が嬉しそうに微笑み返して来る。
「うっひょ~、私達はアイドルの白夜水月の次よ! と言うか、トリの前座扱いなんだけどねぇ~」
今日も絶好調に黒縁メガネを曇らせてテンションも最高潮の吹奏楽部の部長さんが、ふひぃ~っと鼻息も荒く雄叫びを上げる。
そうなのだ。どうやら素人としてノーギャラでの参加となる学園中等部の吹奏楽部と歌姫ディーヴァは、オーラスの日本を代表するロックバンドの前座として演奏させてもらえることになっているらしい。
よく知らないが、それだけでも凄いことなのだと妹の十六夜がウッキーッと吼えていたので、きっとそうなのだろう。
そうしているうちに、直前の出演者である水月のリハが終わったらしく、いよいよ吹奏楽部と小鳥のリハーサルの番である。
いつもの顧問のおじいちゃん先生を先頭にゾロゾロとステージに上がって、ぷぴーとか思い思いに音出しをして暫くすると、無線でPAから指示が飛んで来る。
「~~~~~~~~~~~~」
今回は小鳥のオケなしのソロから入る構成になっているようで、しかも彼女はマイクの前に出てしまって完全に地声だけで神の楽曲を唄い始めてしまう。
それは、いつも港の見える公園の丘の上で聞いている半蔵にとっては聞き慣れた光景だったのかもしれないが、その声量を初めて耳にする会場で調整や事前準備に明け暮れていた人々にとっては。
天から降り注ぐその天使の歌声に、思わず手を止めて聴き入ってしまうことになっていた。
そして、今日だけは観客の誰もいないアリーナ最前列のド真ん中の椅子に座って聞いている半蔵も、本当に心から明日の本番当日を聴くことが出来ないのを残念に思い、ついこの世に未練を残すのだった。
「ああ……でも、ディーヴァ……これで、やっと君の傍へ行ける……」
だから、明日の七夕の日が沈むまでには必ず魔人を倒すのだ。敵も明日が勇者として召喚される前の千剣破を殺す、最後のチャンスであることは分かっているはずだ。
だから、旧校舎の裏山の入り口に彼女が姿を表せば、傷ついた身体の再生が完全でなくとも必ずやって来る。そこを、相打ち覚悟で仕留めるだけだ。
だから、思い残すことは無い。最後に小鳥の唄を聴けないのは確かに残念だけれど、もうこれ以上は君に会いたいのを我慢する必要は無いのだ。
だから、最後の奥の手を使って相打ちで敵を倒す。そうして、ずっと待たせてしまった、君の傍へ行ってまた二人で……。
そんなことを考えていたからだろうか、半蔵の双眸からは気がつかないうちに涙が一筋流れていた。
それに気がついたのは彼の左右に座っていた、勇者千剣破と妹の十六夜だけだった。
それ以外の人々は誰もが皆、歌姫ディーヴァの歌声に自身が涙を流していたのだから。
だからこそ、勇者である千剣破はその漆黒の瞳に涙を浮かべて、ステージの上で唄い続けている歌姫ディーヴァの小鳥を射殺さんばかりに睨み続ける。
絶対にこの人を、目の前にいない歌姫の元へは連れて行かせはしないという、不退転の決意とともに。
そうして、妹の十六夜は初めて目にする兄の涙に、動揺を隠せないでいた。小さな頃からいつも、感情を露わにするのは双子である自分の役目だった。
思い起こせば、兄の泣いている顔を見たことはこれまで一度もなかったような気がする。
そんな兄がまっすぐに前を見つめたまま、黙って耐えるように唇を噛み締めて泣き続けているのだ。
嫌な予感しかしない。心臓がバクバク言い始める。また、兄が何処かに行ってしまう。そんな双子の兄妹ならではの、絶対的な予感しか思い浮かばなかった。
その時、リハ後の打ち合わせから戻って来た白夜水月がPAの前で、その歌姫ディーヴァの神の楽曲と天使の歌声に言葉も無く唯々立ち尽くしていた。
「小鳥ちゃん……これが歌姫ディーヴァ……」
思わず零した言葉に、つられるように涙が零れる。これ程とは思わなかった。
これまでも職業柄、世界の音楽アーティストの生演奏は何度も見聴きしてきた。しかし、これは完全に別格だった。
本物を実際に見て聴いて来たからこそ、自分には解る。これは次元が違っていた。到底、人の身で到達できるものではなかったのだ。
「……これは……驚いたな……神の楽曲に……それと、あれは天使の歌声か……実在するとは……」
「……これでは、どっちが前座か分らんな……いや、本当……まいった……」
ふと気がつくと、隣には二人の男性が立っていた。誰もが知っている、日本を代表するロックバンドの二人組だ。この後の最終リハーサルの為に、一足先に来ていたのだろう。
それが二人そろって零すのは、素人の女子中学生に向けるコメントではあり得い言葉だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「魔神が復活するかもしれないって、どういうことだよ!」
異世界から召喚された勇者の千剣破が、その命と引き換えにして倒した。砕け散ってバラバラの魔神の死体を前にして、生き残った冒険者達が勇者パーティーの最後の一人である大賢者エルフリーデに噛みつかんばかりに怒鳴りつけていた。
――ああ、ついに白昼夢まで見るようになってしまったか。
大きな洞窟の最奥で上半身だけの蘇生の途中だった魔神を発見したまでは良かったが、伊達に人類に究極の敵と言われてはいなかったと言うことだ。
魔神の死に物狂いの猛反撃に遭い、冒険者は半数が死亡し無傷の者はいない。王国騎士団も壊滅し、宮廷魔術師達はそのほとんどが死に絶えてしまっていた。
何より、勇者パーティーの聖騎士であるジークリンデが、勇者の奥の手である究極必殺技の時間稼ぎの為に囮となって帰らぬ人となっていた。
そして、その勇者である千剣破も自らの命を代償にして魔神を完全に倒し切ったものの、その命を燃やし尽くしてしまったはずだった。
「よく聞け、魔神は確かに滅亡した。勇者チハヤが命と引き替えに討伐したんだ。このことを未来永劫に子々孫々まで語り継ぎ、忘れずによっく覚えておけっ。
だがしかし、魔神は滅亡する瞬間、自分の身体の一部を切り離して異世界へと送ってしまったのだ。元々、魔神が自身を異世界へと送るつもりで準備していた、異世界転移のための魔方陣を使ったのだろう。
そして、時間を遡った異世界で勇者召喚される前のチハヤを殺して、この世界の魔神の消滅という確定してしまった事実を無かったことにすると言っていた」
その突拍子も無いぶっ飛んだ話に、耳を傾けていた者達の全てが唖然としてしまう。
しかし、静まり返ってしまったその場で、歌姫ディーヴァの冷たくなった亡骸をお姫様抱っこした半蔵だけが、ゆっくりと口を開く。
「本当にそのようなことが可能かどうかは問題じゃない。元々、魔神はこの世界を破壊した後には、異世界へと行くと言っていた。
あのクソ野郎の分身がそれをやろうとしているのなら、阻止するまでだ」
その時になって初めて、歌姫ディーヴァが戦死したことに気がついたらしい冒険者の一部から、ため息とも呪詛ともつかない呻き声が聞こえてくる。
「フンッ、そんなのは当然のことだ。勇者チハヤを殺させなどせぬ。魔神から取り出した極大の魔石さえあれば、異世界転移が可能であることも分かっていたことだ。
勇者チハヤを異世界へと帰還させてあげられなくなったことは無念だが、代わりに大賢者たる私が行って、魔神の分身を倒して召喚前の彼女を守る。
出発は異世界転移の魔方陣の構築が完了する、一週間後だ」
「俺も連れて行け」
静かに半蔵が声を上げるが、エルフの大賢者は素っ気なく鼻で笑って蔑むように見下した視線を投げつける。
「今だから言えることだが、異世界転移で送り出せるのは一人だけだ。戦闘能力の無い貴様を送ることなど出来る訳が無いだろう?」
大賢者であるエルフリーデは最初からその事実を知っていて、勇者の千剣破にすら黙っていたようだ。
半蔵と一緒に祖国に帰還したがっていた千剣破に、最後まで強硬に反対していたのは大賢者だった。
まあ、そんなこったろうと思ってたよ。と、元々帰還するつもりなど無かった上に、最初から大賢者なんて胡散臭いエルフを信用してはいなかった半蔵は、特に何の感慨も無くため息をつく。
そして、これ以上話しても無駄とばかりに踵を返すと、歌姫ディーヴァを大事をそうに抱きしめたまま、スーッとその姿を透明人間のようにかき消してしまう。
早く大切なディーヴァを綺麗にしてやらなくては。血や埃に汚れたままでは可哀想だ。そして丁重に埋葬したら、後は一週間後の異世界転移の魔方陣が起動した所で、どんな手を使ってでもそれに潜り込むだけだ。
一人分の魔力量しか無かろうが、死ぬかも知れなかろうが、もうこの世界に未練など無い半蔵には関係無かった。
唯最後にいなくなってしまう前に、この世で唯一人愛したディーヴァとの最後の約束を――彼女の生まれ代わりであるはずの小鳥に会って、彼女が幸せに暮らしていけるように魔神の分身を倒す、それだけだ。
それ以外は半蔵にとっては、もうどうでもよかった。そんなどうしようもない自分を愛したくれたディーヴァがいない。そんな世界に未練など、これっぽっちも無かったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
気がつくとアリーナの最前列のパイプ椅子に座ったまま、半蔵は勇者の千剣破と妹の十六夜に挟まれるようにして眠り込んでいたようだった。
「おはようございます。半蔵さん、歌姫ディーヴァの子守唄を聴きながらお休みになられていましたが、良い夢は見れましたか?」
彼の目元に残る涙の跡に気づかないフリをしながら、チハヤは優しく話しかける。
ふと見ると傾くようにして肩が触れていて、薄いブラウス一枚越しに彼女の体温が感じられて、ハッとして半蔵はその身を起こすと。
「わ、悪い。つい、な。重くなかったか?」
「ふふふ、身体強化スキルも随分レベルアップしているので、これぐらい軽いモンです」
上品に手を口元にやってクスクスと笑いながらそんなことを言い出すので、半蔵も苦笑しながらもつい余計な軽口を叩いてしまう。
「あはは、それもそうか。勇者のスキルが相手じゃ、俺なんかもう相手にならないもんな」
「ムッ、それではまるで私がムキムキマッチョみたいじゃないですかぁ~」
ポコン、と拳を丸くした唯の女子高生の千剣破が、半蔵の引き締まった二の腕を叩く。
それが例え苦笑だったとしても、その笑顔が見れて嬉しいとでも言うように、自分が泣きそうな顔をしているのに無理に微笑む人類の命運を握る真に勇者な少女。
だから、十六夜はその二人だけにあって自分には無い、圧倒的な違いが何か分からなかったとしても。
それでも縋るような気持ちで、今にも消えてしまいそうな自分の、自分だけの双子の兄をジッと見つめ続ける。
そうしていないと、ふとした瞬間にたった一人の兄を見失ってしまいそうで。
まるで、今にも透明人間のように姿が薄くなって、そのままかき消えてしまいそうで、おちおち目など離していられないのだった。
すると、妹の様子がおかしいことに気がついたらしい半蔵が、覗き込むようにして自分では普通だと思い込んでいるヘンテコな笑顔を見せる。
「十六夜も悪かったな」
でも、妹の十六夜には分かってしまう。それが、精一杯に無理をして貼り付けた笑顔だということを。
だって、ずっと小さな頃から見続けてきたんだから。分からないはずなど、あり得ないのだった。
「……うん。心配かけないでよね?」
だから、気がつかないフリをして笑う。泣きそうになるのを、必死に堪えて笑うのだ。そうして口にした言葉は祈るような気持ちで、心からの願いを込めて。
「ああ、気をつけるよ」
唐変木な兄はもう一度、苦笑するように笑うと金髪の長い髪をそっと撫でてくれた。
ステージの上ではリハーサルを終えたらしい小鳥と吹奏楽部の生徒達が、何やら打ち合わせをしていた。
どうやら、他の出演者に一緒に一曲演奏しないかと誘われているようだ。
よく見ると、相手は確かこの後の順番でラストを飾ることになっていた、半蔵ですら顔を見たことのある日本を代表する程の二人組みのバンドだった。
確かアメリカの何処かに手形があったはずなので、一緒に共演など出来ればそれは間違いなく凄い事なんだろうなぁ。
などと、寝起きのボンヤリした頭で半蔵が考えていると、ステージから小鳥が困ったように視線を送ってくるので。
軽く頷き返してやると、嬉しそうに向日葵のような笑顔を浮かべる。
すると、そのビッグネームなバンドの二人組みも、どうしたことか半蔵に視線を向けて来るではないか。
その一人は少し垂れ目のイケメンで、でも妙に細マッチョで、もう一人は黒いグラサンをかけていて、口元にニヒルな笑みを浮かべている。
どうやら、透明人間の半蔵が二人にも見えているらしく、視線がガッチリと固定されてしまう。
最近、スキルが消えかけているのを如実に感じてガックリとするが、まあそれもこれも明日までのことだと、残り少ない人生の最後にしては無駄に前向きに考える半蔵だった。




