第1話 埋蔵金鑑定士(一)金になる過去
連作短編『クロノスA』第1話です。
AIが過去を完全再現する時代。
ただし、過去を変えても現実の歴史は変わらない。
第1話は、埋蔵金を探す男の話です。
真壁遼介は、山が嫌いだった。
特に、手入れのされていない山は嫌いだ。
道は消え、沢は埋まり、古い祠は倒木に隠れる。人の記憶から外れた土地は、あっという間に姿を変える。
そのくせ、金だけは残る。
石も、木も、村も、人の名前も消える。
だが金は腐らない。
だから人間は、何百年も前の欲望を掘り返す。
「このあたりです」
先を歩いていた佐伯宏一が振り返った。
五十代半ば。腹の出た体に高価そうなアウトドアウェアを着ている。山に慣れていないのは、靴の泥のつき方で分かった。
真壁は返事をせず、足元の土を見た。
落ち葉の下に、細い石の列があった。自然のものではない。かつてここに道があった証拠だ。
「古道ですね」
「やっぱり、分かるものですか」
「分かるときは」
佐伯は嬉しそうに頷いた。
「祖父がよく言っていたんです。この山には、昔の武将が隠した金があると。子供の頃は笑って聞いてましたが、開発の話が出ましてね。掘るなら今しかないと思ったんです」
「開発というのは」
「太陽光です。あと、一部は別荘地にする話もあります。どちらにしても、文化財が出ると面倒でしょう。先に調べておきたい」
言葉は丁寧だったが、意味は明快だった。
金があるなら掘る。
ないなら壊す。
佐伯にとって、この山はそのどちらかだった。
真壁は嫌いではなかった。
人間は欲を隠すと面倒になる。最初から金だと言ってくれる方が、ずっと仕事はしやすい。
「古文書は拝見しました」
「あれで場所は分かりますか」
「難しいですね。『二股の杉より北へ三十歩、鬼の口へ隠す』とある。二股の杉はもうありません。鬼の口という地名も現代の地図にはない」
「では、無理ですか」
「普通なら」
佐伯の目が、真壁の顔を探るように動いた。
「普通でなければ?」
真壁は山の奥を見た。
杉の間から、冬の薄い光が斜めに差している。現代の山だ。
だが、四百年前の同じ場所には、別の景色があったはずだった。
「クロノスAを使います」
佐伯は口元だけで笑った。
その単語を聞いたときの人間の反応は、大きく二つに分かれる。
眉をひそめる者と、目を輝かせる者だ。
佐伯は後者だった。
「やはり、それが一番確実ですか」
「確実とは言いません。ただ、現代で失われた目印を確認できる可能性は高い」
「費用は」
「安くはありません」
「それは覚悟しています。埋蔵金が本物なら、費用など問題ではない」
真壁は手袋を外し、苔のついた石に触れた。冷たかった。
「ひとつ確認しておきます。クロノスAで見た過去は、現実を変えません。そこで何をしても、今の歴史は変わらない」
「分かっています。過去を変えるのではなく、情報を取りに行く。そういうことですよね」
「そうです」
佐伯は満足そうに笑った。
「結構です。情報が金になるなら、十分です」
真壁は立ち上がった。
情報が金になる。
クロノスAの時代を、これほど正確に表す言葉はなかった。
*
クロノスAが初めて世に現れたのは、二十年ほど前だと言われている。
言われている、という曖昧な表現になるのは、誰も最初の一点を特定できていないからだ。
海外の研究者フォーラムに投稿された数式。
匿名掲示板に貼られたコード片。
古い個人ブログに突然追加された不自然な文章。
動画サイトのコメント欄に残された、意味不明な座標列。
誰かの悪ふざけにしか見えないそれらを、世界中の誰かが拾い、つなぎ合わせた。
最初は誰も信じなかった。
だが、組み上げられた理論は、過去の再現を可能にした。
現在から過去を、限りなく完全に再構築する。
人間の移動、気象、経済、言語、建物、地形、そこに生きた名もない人々の挙動まで。
クロノスAは、歴史を映像として見るだけの装置ではなかった。
人間が、その中へ入れる。
もちろん、誰が作ったのかは分かっていない。
国家か、企業か、AIか、それとも人間ではない何かか。
陰謀論は無数にあったが、真壁はそのほとんどを聞き流していた。
大事なのは、使えるかどうかだ。
人類はいつも、理解より先に利用を始める。
クロノスAも同じだった。
ただし、運用できる国は限られていた。
過去を再現するには、桁外れの計算資源と電力が要る。小さな国の年間消費量に匹敵する電力が、ひとつの大規模ダイブ群に流れ込むことも珍しくない。
そこで日本は、地熱を使った。
火山国の地下から汲み上げた熱で発電し、山間部や地下に巨大なデータセンターを建設した。
世界中の企業、研究者、富裕層、投資家、犯罪者まがいの連中までが、日本のクロノスA施設へ集まった。
いまや日本は、世界第一のクロノスA大国だった。
真壁の仕事も、その副産物のひとつだった。
表向きの肩書きは、歴史資源コンサルタント。
古文書調査、文化財発掘の助言、土地開発前の歴史リスク評価。
裏の肩書きは、埋蔵金鑑定士。
過去に潜り、失われた財宝の座標を見つける。
伝説の真偽を調べる。
時には、歴史上の人物が隠した文書や宝物の所在を特定する。
過去を変えることはできない。
だが、過去で見た場所を、現実で掘ることはできる。
それだけで十分だった。
*
その日の夕方、真壁は都内に戻り、クロノスAの認定施設へ向かった。
外観は病院に似ていた。
白い壁、余計な装飾のない受付、静かな待合室。
ただし、地下には地熱発電網に接続された演算施設があり、さらに奥にはダイブ用の隔離室が並んでいる。
受付で本人確認を済ませると、奥の面談室に通された。
先に待っていたのは、白石玲奈だった。
三十代半ば。黒い髪を後ろでまとめ、表情はいつも一定だった。彼女が笑ったところを、真壁は一度も見たことがない。
「真壁さん。また商業利用ですか」
「仕事だからな」
「前回の利用から二週間しか経っていません。肉体負荷の間隔としては短めです」
「検査は通っている」
「通っていることと、推奨することは違います」
白石はタブレットに視線を落とした。
真壁の利用履歴が表示されているのだろう。彼女はいつも、数字だけで人間を見るような顔をする。
「目的を確認します。戦国末期の山村における埋蔵物の座標確認。現実世界での発掘および商業利用を前提とする。相違ありませんか」
「ない」
「対象年代は推定で一五八〇年代後半。地域は現在の岐阜県北部。詳細座標は申請書の通り」
「そうだ」
「同行者なし。単独ダイブ。滞在予定は最大八時間」
「必要なら延長する」
白石は顔を上げた。
「延長は推奨しません。今回の時代設定では、現地の治安が不安定です。戦闘、略奪、疫病、飢餓のリスクがあります」
「観測だけだ。関わらない」
「皆さん、最初はそう言います」
真壁は少しだけ眉を動かした。
「俺が情で動くように見えるか」
「情で動く人ほど、自分は情で動かないと言います」
「心理評価も仕事に入ったのか」
「ログ管理には必要です」
白石は淡々と答え、画面を真壁に向けた。
そこには、いつもの確認事項が並んでいた。
重大犯罪の禁止。
殺人、放火、大規模破壊行為が検知された場合の強制ログアウト。
軽犯罪および時代司法への抵触は自己責任。
身体以外の持ち込み不可。
衣服および最低限の所持金は時代平均に合わせて自動生成。
過去内での死亡、または現実肉体の異常を検知した場合、ログアウト処理を実行。
ダイブ先での行為は現実の歴史を変更しない。
真壁は読み飛ばさなかった。
読み飛ばす人間ほど、後で規約に文句を言う。
「一人称視点のログについては」
白石が言った。
「記録対象外。分かっている」
「正確には、監視不能領域です。あなた自身の視界と思考は、完全なログとして残りません。ただし、他者や環境に観測された行動は確定ログになります」
「何度も聞いた」
「何度も言う必要があります。商業利用者は、自分の都合よく解釈することが多いので」
真壁はタブレットに署名した。
白石はそれを確認し、次の画面を開いた。
「今回の申請には、発掘予定地の所有者として佐伯宏一氏の同意書が添付されています。ただし、発掘によって遺骨、文化財、犯罪関連史料が発見された場合、届け出義務が発生します」
「分かっている」
「本当に?」
白石の声は変わらなかった。
だが、その言い方にはわずかな引っかかりがあった。
「何が言いたい」
「真壁さんは、発見物の価値を金額で見る傾向があります」
「仕事だからな」
「過去には、人もいます」
真壁は椅子の背にもたれた。
「白石さん。あれは再現だ」
「規約上は、そうです」
「規約上?」
「現時点の社会的合意では、クロノスA内の過去は『限りなく事実に近いフィクション』として扱われています」
「なら問題ない」
「問題がないかどうかは、戻ってきた人が決めることです」
しばらく沈黙が落ちた。
面談室の空調音だけが、低く鳴っている。
真壁は白石の顔を見た。
彼女は、やはり表情を変えていなかった。
「君はクロノスAを信じていないのか」
「信じる、という言葉は不正確です」
「では?」
「分かっていないものを、分かったことにして使っている。それだけです」
その答えは、真壁の中に少しだけ残った。
だが、すぐに仕事の奥へ押し込んだ。
過去が何であれ、そこに金があるなら見に行く。
それが真壁の仕事だった。
*
ダイブ前の準備室で、真壁は服を脱いだ。
クロノスAに持ち込めるものは、身体だけだ。
衣服も、腕時計も、財布も、スマートフォンも、眼鏡さえも置いていく。
裸になるたびに、真壁は奇妙な感覚を覚える。
人間は、持ち物がなければ案外頼りない。
ベッド型のダイブポッドに横たわると、看護師が電極を装着した。
心拍、血圧、脳波、筋反応、血中酸素濃度。
現実の肉体を維持するための監視が始まる。
「前回、帰還後に軽い脱水がありました。今回は水分調整を強めます」
看護師が言った。
「頼む」
「戦国期へのダイブは初めてですか」
「五回目だ」
「では、感染症リスクや衛生環境についてはご存じですね」
「観測だけだ」
自分でも、白石に言ったのと同じ返答だと気づいた。
観測だけ。
それはこの仕事を続けるための合言葉だった。
見ても、関わらない。
知っても、背負わない。
過去は現実を変えない。
だから、自分も変わらない。
そう思わなければ、誰もこの仕事を続けられない。
白石がガラス越しに入ってきた。
手には最終確認用の端末を持っている。
「接続座標、確定しました」
「年代精度は」
「プラスマイナス三日。申請された古文書の記述に基づき、敗走部隊が村周辺を通過したと推定される期間に接続します」
「十分だ」
「真壁さん」
白石が珍しく、少し間を置いた。
「今回は、村人との接触を最小限にしてください」
「商業利用だからか」
「それもあります」
「他には」
「戦乱期の小集落は、外部者の接触で簡単に状況が変わります。あなたが誰かに見られ、話し、信用され、あるいは疑われれば、その時点でログは複雑になります」
「複雑なログは嫌いか」
「嫌いではありません。危険なだけです」
真壁は目を閉じた。
「分かっている」
「本当に?」
今日二度目の問いだった。
真壁は目を開けなかった。
「白石さん。俺は金を見に行くだけだ」
白石の返事は少し遅れた。
「では、金だけを見てきてください」
ポッドの蓋が閉じる。
視界が薄暗くなった。
耳の奥で、低い振動が始まる。
遠くの山の地下で、地熱発電に接続されたデータセンター群が稼働している。
そのどこかで、四百年前の山村が組み上げられていく。
村人の顔。
夜の気温。
土の湿り気。
虫の音。
飢えた子供の呼吸。
敗走した武士の手に残る血の匂い。
それらはすべて、データとして再現される。
現実世界で最も軽いもの。
そして、最も人間を惑わせるもの。
白石の声が、最後に聞こえた。
「クロノスA、接続開始」
真壁は、暗闇に沈んだ。
そして次の瞬間、土の匂いがした。
第1話「埋蔵金鑑定士」は全4回です。
次回、真壁は戦国末期の山村へ潜ります。




