第12話:【炎上】社長の座布団と5000人の視線
エレベーターの前で、佐藤は極めて冷静な、しかし冷徹な解決方法を手繰り寄せる。
この後すぐに榎木の手からスマホを奪い、社内SNSアプリケーションを榎木のアカウントから操作する。
彼の脳内では、かつて本部で受けたあの退屈極まりない『社内SNS運用・管理担当者研修』のログが、今まさに「最適化」されて読み出されている。
(500『いいね』を超えている。もはや『削除』は、火に油を注ぐだけの悪手だ。)
ならば、道は一つ。
(オールカンパニーから、投稿を移動させる。それも、本部の人間が絶対に見ないような、階層の最下層にあるプライベートコミュニティへ)
(もはや一回こっきりで誰も見ていない『鳴凪支店・古紙回収ルール共有会』。ここなら、鳴凪の人間ですら存在を忘れている。ここに『格納場所の最適化』という名目でぶち込めば、物理的に検索インデックスからは外れるはずだ)
佐藤の指が、脳内で確定を弾くように叩いた。
勝利を確信し、佐藤は凛の背中を追うようにして、フロアの扉の先へと一歩を踏み出した。
その時
「うああああああ! 佐藤くん! し、社長から……フォックス株式会社の、あの『社長』からコメントが来てるんだよぉぉ!!」
その先に待っていたのは、静寂ではなく――鳴凪支店を根底から揺るがす、榎木の断末魔のような悲鳴だった。
榎木が血走った目で、震える指先でスマホを突き出してくる。
佐藤が泥のような溜息をつきながらそれを受け取った瞬間、全身の血が逆流した。
「…………は?」
佐藤の生存戦略が、音を立てて崩壊した。
フォックス・ナレッジの画面。
そこには、あのサラダの写真とポロシャツおじさん軍団の投稿の下に、燦然と輝く似顔絵をアイコンにしたアカウント名があった。
> 投稿者:代表取締役社長 住石
> 早速、新しい取り組みを取り入れてくれてありがとう。
> 管理者から率先して浸透している様子が窺えます。
> また楽しそうな様子の共有をお願いします。
>
佐藤の視界がぐにゃりと歪む。
「榎木さん……これ、知っててやってたんじゃないんですか?」
「え? な、何を……?」
「『フォックス・ナレッジ』の仕様ですよ! 2ヶ月前のDX推進研修で、あれほど口を酸っぱくして説明があったじゃないですか! 掲示板とは違う、デフォルト設定は『オールカンパニー(全社公開)』だって!まさか寝てたんですか?!」
佐藤の声が、支店内に鋭く響く。
佐藤自身は、ログインした瞬間にその事実に気づき、天を仰いでいた。
だが、まさか榎木が「仕様を知らずに」この爆弾を投げたのだとしたら、それはあまりに救いがない。
「……知らないなら、なおさら質が悪い。これはグループ5000人の全リソースが、あなたの『ポロシャツ・ゴルフ帰り』と僕の『サラダデート(風写真)』を注視してるってことなんですよ!」
「ご、ごせん……にん……!? 支店のみんなでワイワイやるツールだと思ってたんだよぉ!」
榎木がその場にへたり込む。
削除しようと震える指を伸ばすが、それを佐藤が「止めてください!」と制した。
「今さら消せませんよ! 社長がコメントした後に消したら、社長をゴミ箱に捨てることになる!その勇気が、榎木さんにあるんですか!?」
「しゃ、社長はゴミ箱には入らないよ……?」
その時、隣でスマホを操作していた凛が、無慈悲なトドメの一撃を放った。
「あ! 社長のアカウントが、私の『ベストプラクティスでした!』っていう返信に……座布団一枚のスタンプを押してくれました! 嬉しい、全社認定のベストプラクティスです!」
「…………っ!!」
佐藤は、流石に片膝を付いた。
社長自ら、凛の「バースト(追い打ち)」を公認した。
もはやこの投稿は、フォックスエネルギーの『注目の投稿』として全社員のタイムライン上部に留まる事になる。
「……あ。佐藤先輩、3階の高橋さんの『コメントの取り消し』が連発されてますよ……」
凛に見せられた画面には、ついさっきまで佐藤をいじり倒していた高橋の、パニックの跡が刻まれていた。
社長の降臨を知り、悪意ある写真を放流しようとしていた自分もターゲットになることを察したのだろう。
「(……いい気味だ)」
佐藤の口元に、暗く濁った微笑が浮かんだ。
道連れだ。
3階からも椅子が倒れるような音がする。
古い社屋ビルが僅かに揺れている。
自分を笑った3階の連中も、ポロシャツ姿で「ブラッシュアップ!」と叫んでいた経理部も、全員が「社長公認」という名の檻に閉じ込められたのだ。
「佐藤先輩、顔が……名前を書く前の死神みたいになってますよ?」
佐藤は、膝をついたままスッと顔を上げた。その瞳からはハイライトが消え、底知れない暗黒が広がっている。
「佐倉さん。我々はもう、この社内SNSでインフルエンサーを目指すしかないようです。……プライベートの切り売りです。」
「え……? セ、先輩?」
「次のミーティングのアジェンダは『ネタ集め』です。よろしくお願いします。ありがとう。……さようなら」
佐藤は、まるでプログラムが終了したロボットのような無機質な動きで立ち上がると、自分のデスクへと向かった。
ここに来て、初めて凛の顔が青ざめた。
自分がいじり倒し、ビジネス用語のスパイスとして振り回してきた「佐藤先輩」という存在。
その内側で何かが決定的に壊れ、もはや「攻略本」では制御不能なモンスターへと変貌してしまったことに、彼女は本能的な恐怖を覚えたのだ。
(……やばい。先輩を『バースト』させすぎた……!)
佐藤のスマホは、今も「サラダ王子」への称賛と嘲笑の通知で震え続けている。
佐藤の「そつなくこなしてきた人事評価」は、 今や『サラダ王子(社長公認)』という称号に上書きされ、代わりに手に入れたのは、5000人の視線と、社長からの「座布団」という名の重すぎる十字架だった。




