癒しのスープ
ギルドの裏手、窓もない静かな応接室。薄暗い灯火の下、ミレイユが差し出した一枚の依頼書を俺は見ていた。
「ローラン伯爵家からの指名依頼です。目的は……料理による“治療”」
逡巡が混じった声で言うミレイユ。
『病に伏せた娘の命が、ある一皿にかかっています』
料理で人を助ける。病を癒す。
それができたら、俺もこの異世界で意味を持つ。
「やるよ。その子の命、俺が助ける」
ミレイユが満面の笑みを浮かべる。
「ミツボシ様なら、そう言ってくれると思ってました!」
依頼書を丁寧に畳み、俺たちは馬車に乗り込んだ。
向かう先は――王都北部、貴族街の中でもひときわ広大な屋敷、ローラン伯爵家だ。
白壁に囲まれた屋敷の中庭は、手入れの行き届いたバラ園が広がっていた。
だが、その美しさとは裏腹に、屋敷の空気は沈痛だった。空気は澱み、召使たちの足音も消えそうなほどに静かだった。
「其方たちは?」
出迎えたのはこの家の使用人。
「ギルドから派遣されたミツボシです」
「おぉ、そうでしたか。こちらへどうぞ」
俺たちは部屋に案内される。
「ご主人様、こちらはギルドから派遣されたミツボシ様です」
部屋の中には壮年の男。立派な髭を整え、顔が整った男がいた。
「私は、ローランだ。君たちが娘を治してくれるのか?」
「はい、全力を尽くします」
部屋の中にあるベッドの方を見ると、歳は10代くらいだろうか?
少女がベッドに横たわっていた。
「この娘はフィオナ。“魔力過多症”という体質らしく、強すぎる魔力が内から体を蝕んでいるのじゃ」
「魔力過多症……初めて聞く病ですわね」
イリーナが眉を寄せ、伯爵がわずかに頷く。
「稀有な病らしいのじゃ。魔力の暴走により、熱を持ち、内臓を焼かれ、やがて心臓すら……。今はもう、声も出せぬ状態なのじゃ」
ローランは静かに肩を落とした。
手を尽くしたのだろう。その姿に、父親としての苦悩と無力さが滲んでいた。
「……薬は、効かないのですか?」
「効かんのじゃ。だが――昔、旅の料理人が作った“野菜のスープ”だけが、一時的に熱を下げ、苦しみを和らげたのだ」
「その料理のレシピは……?」
「残っておらん。料理人はすぐに旅立ち、誰も記録していなかった」
なるほど。つまり、俺はその“奇跡のスープ”の再現すればいいってことか。
「わかりました。そのスープを再現してみます」
俺は厨房に向かった。
伯爵家の厨房は広く、道具も整っていた。だけど、その料理のレシピはない。だからまず情報収集が必要だ。
俺は召使に聞き込みをした。そして、ようやく一人の老女の有力な情報に辿り着く。
「あの日、料理人が作ってたのは……干し根菜と、月草の葉、薬用きのこ……それに……ああ、あの子が好きだった、人参のすりおろしを……」
俺は老女に礼を言い、調理に取り掛かる。
鍋に火を入れ、根菜の旨味をゆっくりと引き出していく。
焦らず、急がず、素材が語りかける声に耳を傾ける。
月草の葉がほんのり青い香りを加え、薬用きのこの出汁が甘みに深みを持たせる。
最後に、すりおろした人参と、自家製の“癒しのブイヨン”を流し込む。
コト……コト……。
鍋が優しい音を奏で始めた。
静まり返った部屋。
ベッドの上の少女――フィオナは目を閉じている。
細く、透き通るような肌。魔力が暴れているのか、時折苦しげに眉が寄る。
俺は、木製の器にそっとスープを注ぎ、匙を手に取る。
「……お願いじゃ。どうか……」
伯爵の震える声を背に、俺はフィオナの唇にスプーンを寄せた。
一口、これまた一口。
やがて――彼女の表情が、ふっと和らいだ。強張っていた体が、すうっと力を抜き、汗が滲む額に涼しさが戻ってくる。
そして、閉じていたまぶたが、静かに震え、ゆっくりと開かれた。
「……あったかい」
その小さな声は、確かに届いた。
涙が零れるのを見たのは、伯爵の方が先だっ
た。
「……フィオナ!」
ローランが震える声で、呼んだ。
本当にフィオナが、起きている。目を開けて、ローランを見ている。
「ちち……うえ」
父ローランが抱きしめる。
少女は弱々しく笑った。
夢にまで見た、娘の笑顔。
夢じゃない、現実だ。
フィオナは次に俺に視線を向けた。
「あなたが、このスープを作ってくれたのですか?」
優しい笑み、声色、綺麗な眼差しで言う少女に俺は答えた。
「はい、お嬢様がお目覚めになられてよかったです」
「ありがとう。あなたのおかげです」
フィオナがベッドに座ったまま、俺に深く頭を下げた。
「あなたのお陰で、私は長い眠りから目を覚ませました。本当に、ありがとうございます」
「あ、いや、俺は当たり前のことをしただけですから」
いきなりそんな真面目にお礼を言われるとは思わず、恐縮してしまう。
「当たり前のことじゃないぞ」
「えっ?」
隣にいるローランにすぐに否定されてしまった。
「ツキシマ殿のお陰で、フィオナは目を覚ますことが出来た。私はこの恩を、永遠に忘れない」
どれだけ治癒魔法をやっても良くならないし、フィオナは苦しむだけだったのだろう。
俺は何とかしないと、という気持ちが強かった。
「ありがとう……ツキシマ殿の料理が、命を繋いだ」
礼を言い、差し出してきた公爵の手を、俺はそっと握った。
ローランとフィオナ、そして使用人たちは屋敷の門前で手を振っていた。
こうして、激動の一日が終わりを告げたのだ。




