第31話 勇者パーティと間違い
アレンたちがミチャロフ三世と戦っていた。偉大なる魔術師であるミチャロフ三世は側近の戦士を盾にしながら、玉座の間で魔術を放つ。
崩落する天井の瓦礫と、飛び交う魔力光で埋め尽くされていた。
ミチャロフ三世が最後の抵抗とばかりに放った広範囲魔術——『滅びの咆哮』と呼ばれるそれは、床ごと部屋の半分を消し飛ばすほどの威力を持っていた。
その爆心地に、ドランクとセルバンテスがいた。
ドランクは大剣を盾代わりに構え、セルバンテスは咄嗟に防御障壁を張ったが、二人がかりで防ぎきれる規模の攻撃ではない。障壁に亀裂が走り、砕け散るまで、あと数瞬。
アレンは、その光景を確かに『視て』いた。
いや、視るまでもなかった。この一撃で二人が死ぬことは、数十秒前から分かりきっていたことだった。未来視は、いつだって正確に、残酷なまでにありのままの結末を映し出す。
——計画通りだ。
この瞬間のために、アレンはすべてを組み立ててきた。
ドランクとセルバンテス、そしてミケ。三人が魔王討伐の最終局面で命を落とす。それこそが、数十年後に訪れるはずの大戦を回避するための、唯一の分岐点だった。三人がここで死に、アレン自身が生き残ってその死を『大陸の英雄の犠牲』として利用することで、初めて未来は変わるはずだった。
あと、瞬き一つ分。
何もしなければ、それで済む。
アレンの指先は、動かなかった。動かす必要などなかった。何もしないという選択肢こそが、正解だったのだから。
——なのに。
脳裏に、唐突に映像が奔った。
川辺で無邪気に笑うドランクの顔。焚火を囲んで、下手くそな冗談を言っては一人で照れているセルバンテスの姿。任務の合間、誰にともなく肩を並べて眺めた、名も知らぬ国境の夕焼け。旅の途中、幾度となく交わされた、他愛のない軽口の応酬。
——それは、この二年間、暗殺者としての仮面の下で積み重ねてきた、紛れもない記憶だった。
頭では、とうに分かっていたはずだった。彼らは駒であり、犠牲であり、大局のために切り捨てるべき対象でしかないと。何百万人もの命の重さの前では、たった三人の温もりなど、天秤にも乗らないはずだと。
それなのに、体が動いた。
思考よりも早く、計算よりも早く。アレンの右手は、無意識のうちに空間を歪める術式を紡いでいた。
「————ッ!」
爆発の閃光が視界を白く染めた、その刹那。
ドランクとセルバンテスの体は、爆心地から数メートル離れた安全な位置へと、瞬時に転移していた。
崩れ落ちる瓦礫の下から、二人の呻き声が聞こえる。生きている。
アレンは、自分の手のひらを、呆然と見下ろした。
(——なんで)
なぜ動いた。なぜ、あの一瞬で。
いくら考えても、答えは出なかった。いや、本当は分かっていた。分かっていながら、認めたくなかっただけだ。
この二年間、アレンは噓をつき続けてきた。生きて帰れる、と。三人にも、自分自身にも。あまりにも繰り返し重ねてきたその噓は、いつしか思考の奥深くに根を張り、意志の力だけでは抗えないほどの重みを持つようになっていた。
噓が、本物の未来を書き換えてしまった。
自分自身の弱さが、何百万人もの命よりも、目の前の三人の命を選んでしまった。
その後、離れた場所で戦っていたミケもまた、アレンの計算にはなかった機転で危機を切り抜けていた。魔王ミチャロフ三世の首を落としたのは、他でもないアレン自身だった。
こうして、勇者パーティは——本来、その全員が死ぬはずだった戦いを、四人揃って生き延びた。
そして、数十年後に訪れるはずだった破滅の道筋は、何一つ変わらなかった。
◆
その日の明け方のことだった。
城を降りたアレンは、他の三人とはそこで別れ、一人ドラカルトへと続く道を戻った。辿り着いたのは、人気のない街道の外れに広がる、開けた草原だった。
誰に見せるためでもない。誰かと約束していたわけでもない。
それでもアレンは、その場に焚火を熾し、荷物の中から酒瓶を取り出して並べた。まるで、これから三人がやって来るとでもいうように。
「よう、ドランク。相変わらず遅いな」
誰もいない草原に向かって、アレンはそう声をかけた。
返事はない。
当然だ。ドランクは今頃、ドラカルトから放たれた刺客と斬り結んでいる頃だろう。セルバンテスはザイン家の門前で執事と言葉を交わし、ミケは修道院でシスターと再会しているはずだった。三人とも、この草原にいるはずがない。
それでもアレンは、酒瓶の栓を開けようとして——止めた。
開けたところで、飲む者はいない。
結局、瓶は一本も開けられることなく、焚火の傍にただ並べられたまま、朝を迎えることになった。
草の上に胡座をかいたまま、アレンは東の空を見つめていた。
考えることは、もう何もないはずだった。任務は終わった。ミチャロフ三世は死に、三人は生きて帰った。あとはただ、この静けさの中で朝日を見ていればいい——そのはずだった。
その時、頭の奥で、何かが小さく弾けた。
遠く離れた場所——ドラカルトへ向かう道の途中で、ミケが静かに術式を紡いでいたことなど、アレンには知る由もなかった。
子供の頃に交わした、あの約束通りに。
『任務が終われば、術を解く』
距離など関係なかった。ミケの催眠魔術は、一度対象に刻み込んでしまえば、遠く離れた場所からでも紐を手繰るように解くことができる、そういう性質のものだった。
だからアレンは、その瞬間、確かに『解かれた』のだと分かった。
彼らの姿はどこにもない。声も、気配もない。ただ、長年かけられ続けていた枷が、音もなく外れていく感覚だけが、体の芯を貫いた。
「————ミケ」
誰もいない草原の真ん中で、アレンはその名を呟いた。
同時に、忘れていたはずの記憶が、鮮明に蘇ってくる。
あの夜、トントン山の斜面で交わした約束。自分がミケに頼み込んで、無理やり誓わせた、あまりにも身勝手な契約。『覚悟』という名の呪いを、自らに刻み込んでほしいと懇願したのは、他でもない自分自身だった。
◆
それは、堰を切ったように訪れた。
まるで、これまで分厚い硝子の向こうで眺めていた景色が、突然、生身の感覚として体中に流れ込んでくるような感覚だった。
エルバートンの村が燃える光景。
あの日、自らの意志で焼き払うことを選んだ、幼馴染たちの村。父も、母も、友人も、顔見知りの誰もが、あの一晩で灰になった。頭では分かっていた。理屈でも理解していた。だが今、初めてその重さが、生々しい実感として胸を押し潰した。
ドランクとセルバンテス、そしてミケ——生かすつもりのなかった三人の命。
その三人と過ごした二年間の、噓で塗り固められた旅の記憶。信頼を裏切り続け、いつか殺すつもりで見せていた笑顔。それらすべてが、今この瞬間、噓ではなく本物の感情として、アレンの中に押し寄せてきた。
そして、何よりも——
それだけの犠牲を払いながら、何一つ、変わらなかったという事実。
村は消えた。三人を殺すはずだった計画も潰えた。それでも、数十年後に訪れる戦争は、寸分も揺らいでいない。
全部、無駄だった。
村人たちの死も、三人を裏切り続けた二年間も、自分が背負ってきた噓も——何一つとして、意味を成さなかった。
「あ……あ、あああ……ッ!」
膝から崩れ落ち、アレンは頭を抱えて叫んだ。
声にならない絶叫が、誰もいない草原に吸い込まれていく。
喉が裂けるほどに叫んでも、胸の中に渦巻く感情は治まらなかった。涙も、嗚咽も、もはや自分のものとは思えないほど、制御が利かなかった。
「なんで……なんで、なんで、なんでだ……!」
両手で地面を叩き、爪が割れるのも構わずに、乾いた土と草を掻き毟った。
視界が滲み、呼吸が乱れ、思考がまとまらない。何百万人という数字のために積み上げてきたはずの正当性は、たった今、跡形もなく崩れ去っていた。
残ったのは、ただ、何のために生きてきたのかも分からなくなった、一人の少年の姿だけだった。
「ごめ……ごめん、な……リコ、ミケ……ドランク……セス……」
誰に向けた謝罪なのかも、もはや定かではなかった。
犠牲にした村の人々にか。裏切り続けた三人の友にか。それとも、何も救えなかった、自分自身にか。
答える者は、どこにもいない。
燃え尽きた焚火の跡と、踏み荒らされた草だけが広がる草原に、崩れ落ちて泣き叫ぶアレン以外、誰の姿もなかった。
遠く離れた場所で術式を紡ぎ終えたミケが、今この瞬間のアレンの姿を知る由もない。それでも、彼女は分かっていたのかもしれない。かつて自らの手で刻みつけた『覚悟』を解くということが、どれほどの代償を伴うものなのか。
朝日は、何も知らぬまま、解散の宴の跡地を静かに照らし続けていた。
声にならない慟哭だけが、誰もいない草原に、いつまでも響いていた。




