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女神遊戯【ダークロマンス】  作者: 未来野あゆみ


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4/4

4ページ 名付け(ニ)

控えの間には、異様な沈黙が落ちていた。


床に倒れた二人の護衛。怒りに顔を歪めるザルモンド。その中央で、マリナだけが何事もなかったかのように立っている。


アランの視線は、そんな彼女から離れなかった。


「ここまで騒ぎを大きくしたら、貴様はしばらく帰さんぞ」


アランの声に、マリナはわずかに眉を上げた。


「ええ?それは、困ったわね?無礼者に教育をしただけなのに?」


足元では、護衛が苦しげに身じろぎしている。それでもマリナの顔には、焦りも後悔も浮かんでいなかった。


………この女は、一体?


アランは改めて、その顔を見た。


あ、あのパンの女か!こんな顔をしているのか


朝の光の中で何度も見かけた背中。長い黒髪。遠目では分からなかった黒い瞳が、今はまっすぐこちらを見返している。


………なぜ、こんなに胸の音がうるさい?


胸の奥で鳴る鼓動が、妙に大きい。


アランはその正体を考えるより先に、マリナへ手を差し出した。


「……ひとまず、俺の部屋に来い。ここだとうるさくて面倒だ」


「私には家族がいるのよ?帰るわ」


マリナは差し出された手を見下ろしたまま、きっぱりと答える。


「それは出来ん。今帰ると家族諸共王族侮辱罪で逮捕だ」


「へえ…?そう……仕方がないわね」


マリナの目が、すっと細くなる。


「大人しくついていけば家族には害は無いのね?」


アランは頷いた。


それを確かめると、マリナはようやく護衛の頭から足を下ろし、差し出された手へ自分の手を重ねた。


(へっ陛下?今なんと?俺の部屋?王の個室に女をいれるんですか!?!?!?)


レイの顔から、さっと血の気が引く。


「陛下、お戯れを今は……」


「だまれ」


アランは振り返りもせず、短く切り捨てた。


そのままマリナの手を取って、控えの間を出ようとする。


(やっ!やめて!!妾!最低でも妾に!既成事実化しますよ!!気づいて!誰か!誰か〜!!)


控えの間を出ても、アランはマリナの手を離さなかった。


磨かれた床へ二人分の靴音が重なり、その後ろをレイが青ざめた顔で追っている。すれ違う侍従や侍女たちは、国王に手を引かれる粗末な服の女を目にするたび、驚きを隠しきれずに視線を伏せた。


アランはその反応など気にも留めず、隣を歩くマリナを上から下まで眺める。


「おい、お前、もう少し良い物を着ろ」


「良い物……?あいにくですが、わたくしはすぐに帰ります。着替える必要など……」


「勘違いするな。お前はしばらくここにいろ。俺の部屋から出ることは許さん」


マリナの足がわずかに止まりかける。


「なぜでしょう?理由が見えませんが……」


「俺にも分からん。そうしたくなったからだ」


あまりにも身勝手な答えに、マリナは無言でアランの横顔を見上げた。


アランは平然と前を向いたまま、さらに言葉を続ける。


「お前は罪人でもある。俺の城で暴力を使ったのだから」


「だから、罰として拘束して、俺の部屋に連行する」


罪人を連行するにしては、手の取り方が妙に丁寧だった。


レイはその手元を見て、額にじわりと汗を浮かべる。


「お前、何か着たい服はあるか?好きな物を言え」


「いえ、特には……」


「なら、俺が好きにしてもいいのか?」


そう言いながら、アランは足を止めた。


マリナの返事を待つこともなく、長い黒髪へ指を伸ばす。ひと房を掬い上げ、指先で滑らせるように触れた。


「なっ、何をするのです?」


マリナの肩がぴくりと揺れる。


「知らん。なぜか気になった」


「やめなさい。周りが誤解するわよ」


「誤解?すればいいではないか」


アランは髪を離そうとしなかった。


………なぜだ……なぜ、初めて会った女なのに、こうも離したくなくなるんだ。

俺はこいつの名前すら知らないのに、なぜ、こんなにも気になっている?


(陛下ぁぁぁ!!なっ、何してるんですか!?!?公共の場で!!控え室でこれぇぇぇ!?今日の夜には夜会が爆発しますよ!!オルヴィンはどうするんです!?)


レイの視線が、周囲を行き交う侍従たちへ走る。


もう遅い。


誰も見ていないふりをしているが、耳だけはこちらへ向けられている。


マリナは髪に触れる指を振り払うでもなく、アランの顔をじっと見つめた。


「ちなみにだけど、私に何を着せる気?」


「決まっている。最高級のドレスに、着けられるだけの宝石と装飾品だ」


マリナは、アランが思い描いているらしい華美な装いを想像し、すぐに口を開いた。


「私が選びます」


それから周囲を見回し、近くに控えていた侍女たちへ視線を向ける。


「……侍女を貸してちょうだい」


「いいだろう。おい、侍女を二人呼べ。この女に付けろ。王の許しだ。城の物は好きに使ってよい」


命じられた侍女は、戸惑いながらも深く頭を下げた。


「承知いたしました」


ほどなくして呼ばれた二人の侍女が、マリナの前へ進み出る。


そのうちの一人が、恭しく腰を折った。


「妃殿下……こちらへどうぞ」


(ほら見ろぉぉ!!やっぱり妃扱いになっちゃったじゃないかぁぁ!!)


レイの胸中に、絶叫が響き渡る。


マリナの眉がぴくりと動いた。


「妃殿下……? 待ちなさい、訂正なさい。わたくしは、そのような者ではございません」


「い、いえ……」


侍女は顔を上げられないまま、隣に立つアランをそっと窺った。


「ですが……」


国王が自ら手を取り、城の物を好きに使えと命じた女である。侍女たちにとって、他にどう扱えばよいのか分からないのだろう。


マリナは小さく息を吐いた。


「とにかく、妃殿下はやめてちょうだい」


「ねえ?白い、ゆったりとしたワンピースはある?」


マリナは並べられた衣装へ目を走らせながら、侍女へ尋ねた。


「はい、ございます」


「では、そのワンピースにサファイアを適当に少しだけ飾ってちょうだい」


豪奢なドレスには目も向けず、続けて髪へ指を添える。


「髪には銀細工の髪飾りを一つでいいわ」


「……え?そのような質素な装いでよろしいのですか?」


侍女は思わず顔を上げた。


用意されているのは、王妃や高位貴族の令嬢が身にまとうための衣装ばかりだ。レースも宝石も惜しみなく使われ、どれも一目で身分を示せるものだった。


「いいのよ、どうせすぐに戻るんだから」


マリナは気に留める様子もなく答える。


「でも、爪と肌と髪は磨いてね?」


自分の指先を確かめ、わずかに眉を寄せた。


「さすがにここにいるなら、それなりじゃないと恥ずかしいわ」


侍女たちは顔を見合わせた後、すぐに身支度へ取りかかった。


長い黒髪は一本ずつ艶が出るまで丁寧に梳かされ、肌には薄く香油がなじませられる。爪の形も整えられ、磨き上げられた指先には柔らかな光が宿った。


選ばれたのは、身体を締めつけない真っ白なワンピースだった。


胸元と腰回りには、深い青のサファイアがわずかに添えられている。艶やかな黒髪を飾るのは、繊細な銀細工の髪飾りが一つだけ。


レースと宝石をふんだんに身につけた令嬢たちが多い中、白と銀に輝き、静かな青をまとった姿は、かえって鮮烈に目を引いた。


飾り立てているわけではない。


それでも磨き上げられた髪と肌、その佇まいには、華やかさだけではない知性が滲んでいた。


姿を現したマリナを見た瞬間、アランの呼吸が止まった。


考えるよりも先に距離を詰め、その手を取る。


「………美しい」


……女が美しいとはこういうことだったのか?

まるで光り輝いているではないか


アランは、重ねた手から目の前の姿へ視線を戻した。離せば消えてしまうとでもいうように、指にはわずかに力が込められている。


マリナはその手元を見下ろした後、アランへ顔を向けた。


「褒めてくれるのはありがたいけど、本当に明日には帰りたいのよ」


「いつまでいればいいの?」


アランは答えなかった。


マリナの手を取ったまま、近くに置かれていた罪人用の枷へ腕を伸ばす。


冷たい金属が持ち上げられた。


――ガシャン


重い枷が、マリナの手首を挟む。


――カチャ


乾いた音を立てて、錠が閉じた。


………逃がすか


アランは、繋いだばかりの枷へ視線を落とした。


「言っただろう?お前は今は罪人だ。拘束し、俺の部屋にいろ」


だが、すぐに何かを思い直したように、鎖の先を持ち上げる。


「いや、こちらだな」


――カチャン


再び金属音が鳴った。


アランがマリナを連れてきたのは、王の個室ではなかった。


広い寝台。重く垂れた天蓋。二人分を想定して置かれた調度品。


王夫妻の寝室だった。


アランはマリナの手枷から伸びる鎖を、寝台の柱へ繋いだ。錠が噛み合い、冷たい鎖が床へ垂れる。


「は?何をしているの?」


マリナは手首から伸びる鎖を見下ろし、次いでアランを見た。


「ここがしばらくの間、お前が住むことになる場所だ。少し窮屈だが我慢してくれ」


アランは当然のことを告げるように言い放った。


マリナはしばらく無言で彼を見つめた後、鎖を鳴らしながら腕を組む。


「………勝手に連れてきておいてよく言うわ」


寝室を見回した黒い瞳が、わずかに細められる。


「男が女を寝室に閉じ込めるだなんて……」


視線が再びアランへ戻る。


「たちが悪すぎるわ」


「………ある老人が言ったんだ。食わず嫌いは良くないと」


アランは、かつて夜会で向けられたオルヴィンの笑みを思い出す。


「男女はよく知らなければならないと」


マリナの眉が、怪訝そうに寄った。


「今夜はお前のことを教えてくれ」


静かな寝室へ、アランの声が落ちる。


………知りたい、この女を全部知りたい

知って縛らなければ、もう二度とここには来ないだろう。


だから、これは必要なんだ。

……本当にそうか?


胸の奥で生まれた疑問を、アランは押し潰した。


――逃がすか。


寝台へ繋がれた鎖を見つめる。


………こいつは、これからは俺のだ


アランは寝台の柱へ繋がれた鎖を一度見下ろし、すぐにマリナへ視線を戻した。


「お前、名前は?」


マリナは答えず、顔を背ける。


磨き上げられた黒髪が肩から流れ、横顔を隠した。


「……教えたくないのか?」


「…………」


沈黙だけが返る。


アランはしばらくその横顔を見つめていたが、やがて何かを思いついたように瞳を細めた。


「なら、俺がつけるぞ? そうだ、それがいい」


一歩、マリナとの距離を詰める。


「お前は、俺の名前で生きていけ」


「……やめなさい」


ようやく返ってきた声は、低く冷えていた。


「お前が名前を言わないからだ」


「……マリナよ」


アランはその名を胸の内で転がすように、わずかに間を置いた。


「そうか。なら、それは捨てろ。不要だ」


マリナの視線が鋭く戻る。


だが、アランは構わず、その黒い瞳を正面から見つめた。


「お前は、セラフィナだ。俺だけを温める炎の天使」


指先で、彼女の髪をひと房掬い上げる。


「燃えすぎたら灰になる。俺以外は温めるな」


アランはその髪を持ち上げ、口づけた。


セラフィナはすぐに髪を手で払い落とす。


逃げた指先を追うように、アランはその手を掴んだ。拘束する力とは裏腹に、手の甲へ触れた唇は静かだった。


「……セラフィナ、なぜ逃げる?」


「………」


セラフィナは、手を取られたままアランを見つめる。


その目に浮かんだものを、アランはまだ読み取れない。


「……分からないの?」


「俺は、王だぞ?」


アランは、なおも拒絶を解かないセラフィナを見つめた。


その言葉を出せば、誰もが黙る。


逆らう者などいない。


「それが何?」


返された声には、畏れも迷いもなかった。


――王でも拒むか……

……不思議な女だ


掴んだ手から、セラフィナの体温が伝わってくる。


だが、どうする?一体どうすればいいんだ?

このまま逃がしたら二度とここには来ない。

こんな女、二度と会えないだろう。


――そんなの、嫌だ


胸の奥が、幼い拒絶のように強く軋んだ。


アランは、縋るように握った手へ力を込める。


「……どうすればいい、セラフィナ…… 何をしたらお前はここにいる」


セラフィナは僅かに目を伏せた。


「……家に帰して」


「他の願いなら、いくらでも聞いてやる」


アランは間を置かずに退けた。


「言え」


「………」


セラフィナの沈黙が、二人の間へ冷たく落ちる。


アランはその顔を見つめたまま、逃げ道を塞ぐように言葉を重ねた。


「お前の身元の調査をするぞ。側妃になる以上、身元の分からん娘を城に置くのは難しい」


「やめなさい。勝手に決めないで」


掴まれた手が、わずかに引かれる。


「勝手に決めるな、だと?」


アランの眉が寄った。


拒まれるたび、胸の内に焦りが積もっていく。


「現実を見ろ。お前が望むか望まぬか、そんなことはもう関係ないことだ」


低い声が、広い寝室に響く。


「この城に入った以上、身元は明白にしなければならん」


繋がれた鎖が、セラフィナの動きに合わせて微かに鳴った。


「お前は、そこで騒ぎを起こし、俺に罰を受けた。それがたまたま側妃の形になった」


……そうだ、そうなったんだ。俺が原因で


「何を言ってるの? たまたまですって? 笑わせないで」


セラフィナは鎖に繋がれた手を持ち上げ、その先を冷えた目で見た。


「あなたは、自分の思い通りに事が進むと本気で思っているのかしら」


「ああ、なるさ……王だからな」


迷いのない返答に、セラフィナは言葉を失ったように黙り込む。


「……」


その沈黙を前にしても、アランは手を離さなかった。


「だが、俺はお前にこちらを向いてほしいだけなんだ」


先ほどまでの傲慢な響きが薄れ、声がわずかに揺れる。


「本当は手荒なことはしたくない。どうしたらこちらを向いてくれる。頼む、教えてくれ」


「何を言ってるの? ここまでして、あなたの方を向けですって?」


セラフィナは自分の手首から伸びる鎖へ視線を落とした。


「この状態でどうやって?」


アランの喉が詰まる。


「しかし、これを外したらお前はいなくなるんだろう?」


鎖を握り締めると、冷たい金属が掌へ食い込んだ。


……俺は何をしているんだ。

なぜ関係を壊すことしかできんのだ。

身体が勝手に動く。動いた後で後悔する。

なんだ、これは


「いなくなるに決まってるでしょう? ここから一秒でも早く立ち去りたいわ」


セラフィナの言葉が、胸の奥へ鋭く突き刺さる。


「なら、やはり外せんな」


アランは鎖を握ったまま、空いた手をセラフィナへ伸ばした。


逃げる間も与えず、その身体を腕の中へ閉じ込める。白い衣服が胸元で押し潰され、銀の髪飾りがかすかに揺れた。


「やめて」


拒む声が耳元で響く。


「……嫌だ」


腕に、さらに力が籠もる。


「どうして、私なの? 王なんでしょう? 他にも女はたくさんいるじゃない」


セラフィナはアランの胸を押し返しながら、顔を上げた。


「私より綺麗で、気立ての良い娘なんてたくさんいるわよ?」


「………違う。俺が欲しいのは、そんな女じゃない」


アランはセラフィナを抱き締めたまま、掠れた声を絞り出した。


「お前だけなんだ。俺に言葉を言えるのは」


腕の中から逃がすまいと、指先が白い布を掴む。


「初めてだ。一人じゃないと思えたのは」


胸の奥から溢れ出した言葉は、もはや王の命令ではなかった。


「嫌だ。行くな。一人にするな」


セラフィナは押し返していた手を止め、アランの顔をまじまじと見つめた。


「あなた……まるで子どもみたいね?」


黒い瞳が、呆れたように細められる。


「そんな人が王だなんて、この国は大丈夫なの?」


………王だと?

何を言ってるんだ?俺はそもそも王なんて望んでなどいない。

やりたくもない王になって、連日連夜女を押し付けられて、初めて心を動かされた女とは、王でなければ話すことすらできない。


なんて、情けないんだ


アランはセラフィナの肩へ顔を伏せた。


「……国なんて、知るか」


「……はっ!なんて人なの?そんなことなら、私が王をやった方がましだわ」


アランの顔が上がる。


「なんだと……?」


腕の中にいる女を、初めて見るもののように見つめた。


「貴様、本気で言ってるのか?」


「ええ、本気よ。どうするの?不敬罪?国家反逆罪?……それとも取り込むの?エルステリアのわたくしを?」


「……は?エルステリアだと……?」


アランの瞳が大きく開かれる。


……エルステリア?七十年前の?

こいつが?馬鹿な……


「どうせ身元調査するのでしょう?やるなら、さっさとやりなさい」


セラフィナは挑むように顎を上げた。


次の瞬間、アランは彼女を抱き締めたまま、その身体を持ち上げた。


「ちょっ……」


寝台へ繋がれていた鎖へ手を伸ばし、留め具を外す。


――カチャン……ちゃり……ちゃり……


床へ落ちた鎖が、二人の動きに合わせて冷たい音を引きずった。


アランはセラフィナを腕に抱えたまま寝室を出る。廊下に控えていた侍従も近衛兵も、声をかけることすらできず、鎖を引く国王へ道を空けた。


執務室の扉が開く。


中にいた者たちの視線が、一斉に集まった。


アランは何も説明せず、窓の格子へ鎖を繋ぐ。


――カチャン


金属音が、凍りついた室内へ響いた。


そのままセラフィナを抱いたまま執務用の椅子へ腰を下ろす。


誰一人、動かなかった。


書類を抱えた侍従も、壁際の近衛兵も、顔を青ざめさせて絶句している。


レイは目の前の光景を見つめ、何度も瞬きをした。


(………は?あれ、ここ、執務室だよな?ん?何が起きてる?誰か俺に教えてくれ?)


王の膝には、白い衣服をまとった女。


その手首には罪人用の枷が嵌められ、鎖は窓の格子へ繋がれている。


(……………え?)

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