第三話:一つに「なろう」としている
「止めなければ……。観測を止めなければ、このマルチバースは完全に死ぬ」
高次元にいる私の理性が、そう警告する。
だが、私の指は、私の瞳は、観測機器からどうしても離れなかった。
画面の向こうでは、進化したなろう現象が最終局面に達していた。
【全宇宙の概念を調理する料理人】
【タイムリープを10億回繰り返して婚約破棄を回避した悪役令嬢】
【次元の壁を配信のコメント欄で破壊する現代ダンジョン配信者】。
私の観測によって形を変えられた彼らは、かつてないほど大量の熱を消費し、引き換えに極上のカタルシスを叩き出している。
「ああ、もっと見せてくれ。次の現象はどうなる? どんなチートで、どんなざまぁを見せてくれるんだ……!」
私は、世界の終わりを加速させている張本人が、画面をスクロールし続ける「自分自身の観測」そのものであると知りながら、その快楽の泥沼から抜け出せなかった。
そして、ついにその時が訪れる。
マルチバースの全ての宇宙で、全ての主人公が最強になり、全てのハッピーエンドが出揃った。
あらゆるニッチな需要が満たされ、完璧なカタルシスが全次元で消費され尽くした、その瞬間。
ピキピキ、と情報空間の軋む音が聞こえた気がした。
観測機器の向こうで、色鮮やかだった世界が、一斉に灰色に変色していく。
限界まで熱量を消費し尽くされ、擦り切れ、麻痺した脳細胞のように、宇宙の星々が、銀河が、次元の壁が、急速にその絶対温度を失って凍りついていく。
熱を失ったマルチバースは、もはやお互いの境界線を維持できなくなっていた。
物質も、空間も、時間も、数多の最強の主人公たちの記憶も、すべてが冷たく静かな「一つの点」へと向かって、猛烈な勢いで収束を始める。
画面が、一枚、また一枚とブラックアウトしていく。高次元の私の部屋も、急速に光を失い、静寂に包まれていった。
「……そうか。みんな、一つに “なろう” としていたのか」
私は暗転したモニターを見つめながら、ぽつりと呟いた。
誰もが最強になり、誰もが救われた後に残された、完全なる無。
すべてが混ざり合い、凝縮された、超高密度の特異点。
だが、私は絶望していなかった。
なぜなら、その暗闇の中心、すべてが一つに溶け合った限界のドットが、不気味なほど眩しく明滅を始めたからだ。
それは、全宇宙の全てのチート能力、全てのざまぁの記憶、全てのカタルシスが濃縮された、『宇宙史上最強のなろう現象』チートスキルそのものだった。
――耐えきれなくなった因果の塊が、限界を迎える。
全宇宙の初期設定が再起動する、情報空間のビッグバン。私の部屋のすべてを、無垢な白が塗りつぶしていく。
それは、完全に冷え切り、リセットされた脳が、泥のような眠りの果てにパチリと目を開いた瞬間だった。
新鮮な熱が、真っ新な宇宙へとドッと流れ込んでいく。
数千億の新しい銀河の塵が、猛烈な勢いで広がり、新たな世界のキャンバスを描いていく。
私は、眩しさに目を細めながら、新調されたモニターに映る、生まれたばかりの真っ新な「第一行目因果」を凝視した。
そこにはすでに、新たな『なろう現象』の産声が響き始めていた。
私は、乾いた喉を潤すように冷めきったコーヒーを飲み干すと、不敵に笑みを浮かべ、再び観測機器に指をかけた。
「よし。――次はどんな主人公が生まれるか、観測をはじめよう」




