ドリアードと世界樹の耳かき棒
その日やってきたのは、緑色の皮膚をした老人だった。
顔は樹皮のようにしわがよっているが、目鼻立ちはスッと通り、木の枝で編んだ冠に飾られたプラチナブロンドの髪はサラリと美しい。
若い頃は、さぞかし美形で名を馳せたろうと思われた。
手には木製のスーツケース(と、呼んでいいものなのかどうなのか……)を提げている。
「これはこれは、ダプタさん」
私の頭の上で、今日の耳かき棒の素振り百回をやっていたイアリスさんが、肩に降りてきてお辞儀をする。
「いらっしゃいませ」
私もお辞儀をしつつ、小声でイアリスさんに尋ねた。
「お知り合いですか?」
「ええ、ドリアードのダプタさんです」
ドリアード……木の妖精だっけか。
イアリスさんと違って、普通に人間サイズなんだな。
「どうもご無沙汰しております、イアリスさま」
ダプタさんは、ビジネスマンの如く深々と頭を下げた。
「念願の耳かき店のオープン、おめでとうございます。その折りは参上することができず申し訳ございませんでした」
「いえいえ、そんな大層なものじゃないですよぅ。あ、こちらはお店で住み込みで働いてくれている、異世界人のアユノスケです」
「どうもはじめまして。膝枕役とかその他もろもろを担当しておりますハヤカワ・アユノスケと申します」
前の世界で仕事をしていた頃の癖で、お辞儀をしながら、名刺ケースを探してしまった。恥ずかしい。
ダプタさんは薄緑色の目を見開く。
「なんと、異世界人……! イアリスさまは、とうとう異世界人の召喚に成功してしまったのですか!」
「女神ライダスさまに力を借りただけですよ」
「女神に力を借りるだけがどれだけ大変なことだと」
「そんなことよりも、今日は一体どういう要件で? 耳そうじですか? 掘りますよ~、超掘りますよ~」
シュッ、シュッと耳かき棒を槍の如く素振りしてみせるイアリスさん。
「ああ、そうではないのです。今日は、耳かき店オープン記念のささやかな贈り物を持ってきました」
ダプタさんは、そう言って木製のスーツケースを私たちの前に開けて見せた。
その中に入っていたのは、一本の耳かき棒だった。
それ以外に詰まっているのは、羽毛のような緩衝材でしっかりと耳かき棒を保護している。
枕よりもひと回り大きいスーツケースに、耳かき棒一本が入れられているという異様な事態に、私は目を剥いてしまった。
「こ、これは……」
ダプタさんは、にやりと笑って耳かき棒を紹介した。
「こちらは、われらドリアードの技術の粋を結晶して、世界樹の枝木より削りだしました、耳かき棒でございます」
「世界樹の耳かき……?」
耳かき程度に、なんて大層なものをと思わないでもないが、実際に私の世界にも純金の耳かきなんてものもあったしな。
耳そうじはそれだけ業の深いものなんだろう。
「まぁまぁ、これはこれは」
イアリスさんはスーツケースの中に降りたって、世界樹の耳かきを手に取った。
焦げ茶色と黒の中間色のような耳かき棒は、窓から射しこむ陽光を受けて、なめらかな光沢を帯びている。
単なる耳かき棒のはずなのに、どこか神々しい、異様な佇まいだ。
「ふむ、実用性重視でとくに飾りがないのがいいですね。硬い世界樹の幹で、こんなに薄い匙を仕上げるとは」
「木の加工に関しては我々ドリアードの右に出る者はおりませんからな」
感心したようにため息をこぼすイアリスさんに、ダプタさんは得意げに胸を張った。
「アユノスケ、ちょっと耳を貸してください」
「へ、こうですか?」
私はイアリスさんが手招きをするままに耳を近づけた。
世界樹の耳かきが、私の耳に入って、入り口のところを優しく掻く。
「おうふ」
このぞくりとした感触が耳から背中へと抜ける。
「どうですか?」
「うーむ、イアリスさんが普段使っている金色の耳かきに比べて、ちょっとあたりが優しいですかね」
「あたしの耳かきも純金製でかなり耳に優しい造りなんですけどね……さすが世界樹の枝木でつくったものです。金物系を嫌がる種族の方々には、こっちのほうがいいでしょう」
「イアリスさんの耳かき、純金製だったのか……」
「100 %金だと柔らかすぎてコシがなくなってしまいますから、銀と銅も混ぜてもらっていますけどね」
「そこらへんも、こっちの世界と一緒か」
「一緒なのですか。アユノスケの世界の耳かきというのにも興味がありますね」
「基本的には変わりませんけどね……俺の国の耳かきにも金属性やら木製の耳かきがありました。ただ、一番庶民向けの安価なやつは、竹製でした」
「竹?」
イアリスさんが首を傾げた。
「聞いたことあります。はるか東方の大陸に繁茂する、長くてしなやか、かつ丈夫で折れにくいイネ科の植物だと」
さすが、ドリアードだけあって植物のことには詳しいようだ。
「さっきの世界樹の耳かき棒も、イアリスさんの金の耳かき棒もいいんだけど、あれはあれでなかなかいいものなんですよ。ちょうど煙でいぶしたものとか、薫りも楽しめたりして」
そういうと、普段あまり表情を変化させないイアリスさんがムッと眉根を寄せた。
「あたしの耳かきよりも元の世界の耳かきのほうがよかったと……おもしろいこと言いますね、アユノスケ」
グググググググ……ボキッ!
「アーッ」
その細腕にどれほどの怪力を秘めているのか、イアリスさんはにぎりしめていた世界樹の耳かきを折ってしまった。
「せ、せか……世界樹さまの耳かきがーっ!」
ダプタは目を皿のように剥き、鼻水を垂らして地面に膝を突いた。
「あ、ごめんなさい」
淡白な謝罪をするイアリスさん。
「あああ……いえ、イアリスさんのハードな耳そうじに耐えるには、まだまだ握りの部分の調整が甘かったということでしょう」
ダプタさんも立ち直り早いな。
あきらかに、耳そうじに必要ない力が加わっていたように見えるけど。
「再び、世界樹さまに枝木を頂戴し、耳かき棒を削りだしましょう」
「そんなに簡単にもらえる物なんですか……?」
「イアリスさんの仕事道具になるといったら、世界樹さまもお喜びでした」
世界樹さま軽いなぁ……いや、それだけイアリスさんがすごいということだろう。
「そういうわけで、後日また参りますね」
ドリアードのダプタさんは、そういって去っていった。