膝枕
イアリスさんの下で働くようになって三日が過ぎた。
私が『耳かき専門店 ミミノヒ亭』で住みこみで働きながら、幾つかこの世界のことに関して学んだ。
まず、この世界は人間以外にも様々な種族がいて、わりと仲良くやっているということ。
勇者の青年が妖精のイアリスさんを見てもあまり驚かなかったように、異種族との交流はこの世界では当たり前のことらしい。
また、魔王と呼ばれる存在もおり、多くモンスターを率いて人類に宣戦布告をしているのだとか。
とはいえ、『耳かき専門店 ミミノヒ亭』の周辺は平和なもんで、私はモンスターに襲われて生命の危機に脅かされるなどといったこともなく、イアリスさんと一緒にこの小屋でのほほんと寝起きして、耳かき専門店を営んでいる。
平和っていいなぁ……。
お客が来れば、私はそのたびにお客と感覚を同調させて、イアリスさんの耳かきを味わえるわけで、こんなにすばらしいことはない。
私の役目は、イアリスさんと意思疎通を図ることのできないお客さんとのパイプ役、ということだったが、まだそういった人が来たことはない。
魔王討伐に向かう途中の冒険者が郷愁を感じるためにやってきたり、『大魔法使いイアリスの耳かき屋さん』という噂を聞きつけた近くの村人だったりだ(イアリスさん、この界隈では結構な有名人のようだ)。
「時にイアリスさん」
開店準備を終えてお客さんを待っているだけの退屈な午前中、私はイアリスさんに尋ねた。
「膝枕、というのをご存じですか?」
私の肩の上で耳かき棒の素振りをしていたイアリスさんは、その手を休めて首を傾げる。
「知ってるに決まってるじゃないですか。アユノスケはおかしな事を聞きますね」
どうやら、異世界にも膝枕の文化はあるらしい。
「私が前に生活をしていた世界では、耳そうじをするときに、膝枕をするという習慣があったのですよ」
私がそういうと、イアリスさんは、ぬぬぬぬ、と眉をひそめた。
「耳かきをするのに、膝枕、ですか」
「ええ。私の故郷の『耳かき専門店』では、クッションではなくて膝枕でやってもらうのが普通でした」
座ったままやるインドの耳かき屋とか有名だけど、私は膝枕をしてやる日本の耳かきスタイルは最強だと思う。
おかげで私は、耳かき好きであるのと同時に太ももフェチだ。
おっぱいよりもおしりよりも、太ももが好きだ。
……好きなのだ。
私がむちむちの太ももに思いを馳せていると、何事か考える顔をしていたイアリスさんが、私の胴体をすべり台みたいに、降りた。
そして、膝の上に仰向けになる。
「ふむ……膝枕」
「イアリスさんだと、枕どころの話じゃないですけどね」
「肉蒲団……?」
それはだいぶ意味が違います。
私の、翻訳機能がおかしいのだろうか。
ちなみに、私が異世界の言語を理解できるのは、私には女神の加護があるかららしい。異世界召喚万歳だね。
「アユノスケは膝枕が好きですか?」
「それはもう! 耳そうじをされる側が敏感な耳穴を無防備にさらすのと同時に、耳そうじをする側は膝を明け渡す……そういう双方向のコミュニケーションこそが、耳そうじの癒やしの神髄なのではないかと――」
「ストップ」
「あう……」
止められてしまった。
ここからがいいところなのに。
「アユノスケの言わんとしているところはわかりました。しかしご覧の通り、あたしはこのなりです。お客様に膝枕をしてあげることはできません」
私の膝の上で寝転がりながら、イアリスさんは残念そうにいった。
「イアリスさんは大魔法使いのでしょう? 大きくなったりはできないんですか?」
「残念ながら。これよりも小さくなることはできますが」
それは残念すぎる……。
いつか、イアリスさんに日本の着物をきて膝枕で耳そうじをしてくれたら、それだけでこの世から不幸という概念が消え去ると思うんだけどなぁ……。
「というわけで、膝枕役はアユノスケにしてもらいましょう」
「え?」
「仕事が増えて嬉しいでしょう」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!」
予想外の方向に話がいって、私は慌ててしまった。
「膝枕は女の子のちょっとむちむちした柔らかな太ももにしてもらうから気持ちがいいのであって、私のような朝晩の満員電車で鍛えられてしまった膝じゃあ――」
「あたしは、アユノスケの膝枕、好きですよ」
イアリスさんは、ごろんと寝返りを打ち、スリスリと頬ずりをする。
とても小さいけれど、温かくてやわらかな感触が、ズボンの布越しに感じられた。
あ、悪くないかも……。
私はイアリスさんの桃色の髪を指先でかき上げ、私の小指の爪ほどの耳を優しくつまんだ。
むにむにと揉んであげると、彼女はキャッキャッとくすぐったそうにした。
かわいい……。
これは、なんというか、幸せだ。
小っさい女の子が膝の上ではしゃいでいるなんて、すばらしすぎるシチュエーション……あ、待ってくれ。私はロリコンではない。
「自信を持ってください。あたしはアユノスケの膝に太鼓判を押します」
「しょ、しょうがないですね……そこまでいわれたら、膝枕役、謹んでお受けいたしますよ」
これくらいのことを引き受けなければ、このままでは私は、本当に彼女に耳そうじをしてもらうだけだ。
それはちょっと申し訳ない気がした。
居場所をつくってくれた彼女に、多少なりとも恩返しをしたい。
「それは、よかったです」
イアリスさんは私を見あげて、にっこりと笑ってくれた。
ああ、癒やされる、この笑顔。
そのとき、チリンチリンとドアベルの音が鳴った。
どうやら、今日も『ミミノヒ亭』お客さんがきたようだ。
私は、イアリスさんを肩にのせて、そっちの方をむいた。
言葉を失う。
そこに立っていたのは、身長175センチの私が、見あげねばならないほどの大きな身体。
出っ張ったお腹に、頭はブタのそれだ。
つまり、オークだった。
「やりましたね、アユノスケが膝枕をする第一号のお客さんですよ」
私の耳の傍で、イアリスさんが上機嫌ではしゃいだ。
「いらっしゃいませ! ようこそ、『耳かき専門店 ミミノヒ亭』へ」