●53
次の休みの日、ぼくは朝から近くのスーパーマーケットを訪れ、粒の細かい歯磨き粉と洗車用のファイバータオルを買った。賑やかな朝だった。冬の間、姿をいずこかへ消していた鳥たちが街に戻ってきて、けたたましい鳴き声をあげながら黒い電線の上にずらりと並んでいた。一羽が飛び立つと群れもつづけて舞いあがり、空の一面を翼の影で覆った。あちらこちらの木々に成っていた赤い木の実は彼らの好物らしく、開けた道路にはピンク色の糞が音を立てて落ちた。
ホテルの駐車場に戻り、隅に停めていたぼくのバイクのカバーを剥がした。その横には寮から借りてきた、水の張ったプラスチックのバケツ。ぼくの手には歯磨き粉のチューブと洗車用のタオル。昼ご飯の時間までには一区切りつけたい。
チューブを圧迫して、ほんの少量をタオルの上に垂らす。ブレーキレバーやハンドルの錆びた部分を擦ると、思った以上に錆が落ちた。ある程度、作業を進めてから軽く水拭きをし、その上から乾拭きした。すぐに夢中になって、時間を忘れた。手先に集中する作業をはじめるといつもこうだ。
ふと顔を上げ、ぼくが昼休みに過ごす場所や、灯台のある方向を見た。防波堤は乾き、釣り人たちが戻ってきていた。それは日常であって、あるべき姿のはずだった。けれどもそこにはぼくが欠けていた。ついでに霧のように細かい雨も。ほかにも欠けているものがあるような気がした。それがなにかはよくわからないし、わからないことがとても悲しい。この日以降、昼休みや休日の朝にこの景色が視界に入るたび、ぼくの目は防波堤の付け根から灯台の建つ先端まで、その欠けたなにかを求めてさまようことになる。それはぼくを構成するパーツのひとつでもあって、埋めこまれた深い喪失感と引きかえに、その場所のどこかに、いまでも置き去りにされたままでいる。