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「いえ、それがまだなんです」彼は言った。「わたしも相沢さんといっしょで、どこか静かで落ち着ける場所へ行こうと考えていたんです」
「それなら大浴場前のゲームコーナーなんかがいいですよ」と教えてやった。「この時間に宿泊客はいませんし、筐体の陰に隠れてひとから見られないんです。ぼくも雨の日はよくそこでお昼を過ごします」
シロさんは納得したように頷いた。それから数秒ほどの間、彼は動く気配を見せなかったけれど、やがておもむろに歩きはじめた。
「今日はなにを食べる予定なんですか?」ぼくは彼の背中に向かって声をかけた。
彼は振り向いてこたえた。「これから近くのコンビニへ行って決めようと思ってます」
ぼくはタブレットに表示されている時刻を確認した。貴重な昼休みが半分ほど過ぎていた。「いまからでは遅すぎるでしょうね」ついさっき釣り客からもらったおにぎりを袋から取り出し、彼の方へ山なりに放った。彼は一瞬それを取り落としそうになったけど、新人のピエロみたいなステップを踏んでなんとかキャッチした。「もう一個」そう言ってもう一度アルミホイルに包まれた塊を投げた。今度は落下点に素早く移動し、器用につかんだ。「従業員用の待合室に麦茶の入ったジャーが置いてあります」ぼくは言った。「好きに飲んでしまってください。どうせいつも余った分は捨ててるんです」
シロさんはぼくから受けとったものをしばらくひっくりかえしたりして観察した。やがて顔を上げると、ぼくを見て、ゆっくりと右手を掲げた。ぼくも同じように右手を掲げた。ぼくは彼の背中が小さくなってゆくのを見送った。
午後になると、遊戯室の清掃をするようにとの指令がくだった。作業は船橋さんと二人きりだった。彼は自分の作業の手伝いに、よくぼくを指名した。きっと、女性やあれこれしゃべる男より、ぼくのような人間といるほうが楽なのだろう。