●42
二月の終わり、昼休みになって海へ行こうとロッカーの前で準備をしていると、船橋さんに声をかけられた。
「お昼に行くところで悪いね」
ぼくはまったく問題ないと言った。
「実は、明日からまた新しいアルバイトの子が勤務しはじめるんだよ」と彼は言った。「今日の夕方に着く予定なんだけど、寮を案内する予定だった人間が急用で早退したんだ。悪いんだけど相沢くん、仕事が終わったらそのひとの案内を頼めないかな? 本来ならわしがやりたいところなんだが、寮住まいでもないから詳しい説明をしてやれないんだよ」
「大丈夫ですよ。ほかに予定もありませんから」
「きっと三十分くらいはかかるだろうね。その分の給料は、ちゃんと払わせてもらうからさ」
「わかりました」ぼくは頷いた。
午後の三時に仕事は終わった。制服から着替え、事務室を訪れると、そこではすでに船橋さんがぼくを待っていた。彼はデスクやパソコンの列の奥からぼくへ手招きし、彼の傍らに立っていた男性を紹介した。
「こちらがお昼にしゃべった新人さんだよ」
よほど目が悪いのだろう。どぎついレンズの眼鏡をかけたひとだった。間の空いた双眸がレンズ越しに拡大して昆虫のように見えた。背丈はぼくと同じくらいで、白髪がごわごわした髪のなかに斑点のように浮いていた。床にこぼした抹茶のような色あいをしたジャケットは、縫い目が解れてまくっていた。肩にかけられたボストンバッグには、着替えや生活用品が詰まっているのだろう。重さで紐がぴんと張っていた。ズボンのポケットには汗で持ち手が変色した扇子が突っこまれていた。
お互いにお辞儀をして、彼はぼくに名前を告げたのだけど、ちょうどそのとき、ぼくの背後で物音がし、気配を感じて注意が逸れた。ぼくのすぐ近くのデスクで、糊のきいたスーツを着た女性が席に着き、パソコンの電源をつけた。向き直って注意を戻したときには遅く、彼の名前は聞きそびれてしまった。かろうじて『シロ』という単語は耳に残ったけど、『シロなんとか』さんなのか、『なんとかシロ』さんなのかわからない。彼はすでにぼくの名前を知っていた。ぼくは船橋さんから個室の鍵を受けとり、彼を連れだって外に向かった。




