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日照時間が延び、気温が上がっても、温泉目当ての客がいなくなることはなかった。それが日本人の血の深くに刻まれた習慣だとでもいうのだろうか。平日でも一定数の宿泊客がいた。仕事は余裕があったけれど楽すぎるわけでもなく、お金は稼げなくても、ぼくにとってはそれくらいがちょうどよかった。
冬が終わっても、ぼくの生活は相変わらずだった。だが周囲は違う。小夜の同僚だったフロントの女性たちの何人かは、日光にあるという同じ会社が経営するホテルへ異動となった。船橋さんは仕事の内容が変わったわけではないけれど、出世して役職名は変わったらしい。本人は、たいして給料も上がらないのに責任だけが増えていく、とぼやいていた。新人アルバイトのうち背の高いほうはすでにやめていた。ある朝、連絡ひとつなく出勤してこなかったことを不審に思った船橋さんが寮の個室をのぞいてみると、布団は綺麗に畳まれ、荷物は跡形もなく片づけられていた。書置きもなにもなく、窓枠の上に部屋の鍵が置き去りにされているだけだった。船橋さんがそれほど憤慨しなかったのは、渡りのアルバイトがある日突然、言伝もなく姿をくらますのはそれほど珍しいことでもなかったからだ。
でも実はその前日の夜、ぼくは彼と会っていた。誘われて従業員食堂でいっしょに晩ご飯を食べたあと、海沿いを並んで歩いた。街灯に照らされ、ぼくらの影が遊歩道に伸びていた。しばらく他愛もない話をしていた。ビーチに辿り着き、砂浜に足を下ろして海を眺めていると、突然、彼は声を上げて泣きじゃくりはじめた。驚いてなにがあったのか尋ねてみると、仕事をつづけていくのが苦痛で仕方ない、と彼は嗚咽を漏らしながら告白した。たしかに以前から愚痴をこぼしてはいたのだ。問題が起こって船橋さんが金井さんを怒鳴りつけるたびに、彼は身の縮むような想いをしていたらしい。大きな声を出されるのが苦手で、脇で聞いているだけでも、自分が怒鳴りつけられているような気分になってしまうのだ。船橋さんが金井さんを怒鳴りつけるのは、二人が揃って出勤する日ならほとんど毎日のことだった。アルバイトをはじめた当初から、背の高いほうは心を悩ませていた。仕事に通いつづけるうちに心労は積み重なり、先日から腹痛と下痢が止まらなくなった。便器にしがみついたまま一晩を過ごすこともあった。つらいつらい。死にたい死にたい。