●18
《本日午前十一時頃、母が土産物を携えてお見舞いにきました。彼女が持ってきたのは青森産のりんごで、昼食のあとに自前の果物ナイフで切り分けてくれました。母の手前、わたしはそれに一欠片だけ手をつけました。でも母はそんなわたしの様子をいぶかっていました。わたしがもっと喜んで食べてくれるものと期待していたようです。たしかにわたしは二日前、彼女に言いました。美味しいりんごが食べたいと。あの酸味と砕け散るような食感が好きなのだと言いました。でもそれは二日前のお昼にわたしがりんごを好きだったという単独のお話であって、本日のわたしの好きとはまた別個の事柄なのです。それらは手の平と手の甲のように、互いに独立しあっているのです。きっとそれは説明したところで、母に理解できるものではないので、わたしはなにも言いませんでした。でも今日のわたしはりんごが好きではありませんでした。これから先、また好きになる日はくるでしょうが、とにかく今日ではありませんでした。そういう気分だった、で済ませられるお話ではありません。そのときのわたしは、そのために自分の生活を犠牲にできると思っていたのです。わたしの身を隅から隅まで捧げられるものと信じていたのです。その熱情はわたしの手足をがっちりつかんで放しませんでした。経験から、それはやがて過ぎ去るべきときに消えていってしまうものだとは知っています。それでもそれはわたしの日常ですし、わたしをわたしたらしめているものです。
こんなわたしに期待されても困ってしまいます》
文章はそこで終わっていた。添付の画像は、綺麗に切り分けられ、皿に盛りつけられたりんごの写真だった。みずみずしくておいしそうだった。ぼくは少し考えてから返事を返した。
《余った分は冷蔵庫で冷やしておいてくれ。次に行ったときにぼくが食べるよ》
すぐに返事が返ってきた。
《もう母がすべて食べきってしまいました。それに、切ったりんごはそんなに長持ちしません》
ぼくらはその後も取るに足らないやりとりをつづけた。やがて昼休みが終わり、タブレットをポケットにしまって、ぼくは仕事に戻った。