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船橋さんは頷いた。「わしらが若かった頃は、きみたちみたいに数か月単位で仕事を変えて、あちこち渡り歩くなんてことは考えられなかった。会社には一生を添い遂げるつもりで入社したもんだ。少なくとも、この国ではな。羨ましいと思うよ、好きな土地で、好きに仕事を選べるっていうのはな。わしもきみらと同じ時代に生まれていれば、いろんな景色を見てみたかったかもしれん。なんにせよ、若いうちは好きにすればいいんだ。それが若さというもんさ」
「ええ、ほんとうにそうですね」桧山さんは言った。
「だからこそ、いまの時代はきみたちのような若い人材は貴重なんだ。能力のある人間ほど、引き留めておくのが難しくなる。そしてあとに残るのは、どこにも行き場のない、無能な年寄りだけなんだ」
「それは言いすぎだと思いますが」と桧山さん。
ここで船橋さんはぼくへ向き直った。「相沢くんはどうするの? きみも月末で契約が切れるはずだけど」
ぼくは頷いた。小夜が入院することに決まってからは、一か月ずつ、雇用契約を更新しつづけてきたのだ。
「今月もまた、いつものようにお願いします」とぼくは言った。
「わかった」船橋さんは頷いた。「わしのほうから担当者には連絡しておく。きみだけでも残ってくれれば助かるよ」
船橋さんは、ちょっと待っててくれ、とぼくたちを止め、食堂前の自販機に向かった。指先でちょこまかと目当てのものを探ってから、冷たい缶コーヒーを二本買い、ぼくらに一本ずつ手渡した。ひんやりとした感触が、ぼくの手の平を包んだ。船橋さんはぼくらに手を振り、騒々しい音を立てて食堂へ入っていった。
ぼくと桧山さんは並んで歩きだした。窓のない廊下には、修理の必要な扇風機やトイレットペーパーなどの備品が、段ボール箱のなかへ無造作に積み重ねられ、隅っこに寄せられていた。形の崩れたカナブンの死骸が仰向けに転がっている。天井灯が、ところどころ明滅していた。
「それじゃあ、つぎの目的地はまだ決まっていないんですね?」とぼくは歩きながら話しかけた。