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「たしかにあれは何度見ても気持ちのいいもんじゃありません」ぼくはここで大事に汁を浸みこませておいた油揚げにかじりついた。「でも、桧山さんがここへきたということは、清掃は終わったんですね」
桧山さんは首を振った。「ぼくだけが先におりてきたんです。『残りは正社員だけでやるから、お昼に行って大丈夫だよ』と船橋さんに言われて」
「ふむ」ぼくは丼を両手で抱え、七味で朱に染まった出汁を飲んだ。桧山さんもぼくと同じように丼を抱え、ごくごくと喉を鳴らした。ぼくは丼を置き、いくらかのびてしまった麺を箸の先でつまんで引っぱり上げた。麺に張りついた七味の粉が、重力に負けて汁の元に戻っていく。ぼくはつぶやいた。「それじゃあぼくら二人とも、覚悟しておいたほうがよさそうですね」
桧山さんは怪訝そうな顔をした。
「これを食べ終わったら、長い愚痴に付きあわされそうですから」
桧山さんは笑った。そのあとは二人とも無言で食事を進めた。ぼくのほうが卓につくのがはやかったというのに、食べ終わったのはほとんど同時だった。まだ食堂は混んでいた。食事を終えてからも、席を離れず話に花を咲かせているひとたち。テーブルの間で聞き慣れた冗談が飛び交う。笑い声があがる。ぼくらはなんとなく同時に席を立ち、喧騒を縫って流し台に並んだ。スポンジに洗剤を数滴垂らし、慣れた手つきで自分たちの食器を洗った。丼と皿と箸についた水気をタオルで拭きとり、すべて所定の位置に戻した。食堂のおばちゃんに、ごちそうさま、と声をかけてぼくらは出口に向かった。
食堂を出たところで、廊下の角からこちらに向かってくる船橋さんに出くわした。彼はぼくらの存在を認めると、ぼくよりも二十センチは背の低い体ではしこく動き、こちらへ寄ってきた。煙草のにおいが鼻をついた。




