●8
麺を半分ほど食べ進んだ頃、桧山さんが大きな肩を揺らして食堂へ入ってきた。彼はホワイトボードのメニューをじっと眺めたあと、食堂のおばちゃんとしばし言葉を交わした。その後、ぼくとまったく同じやりかたで自分の食事を準備し、丼と皿ののったお盆を大事そうに抱えて、テーブルの間を無駄のない動きで器用にすり抜け、ぼくの向かいに腰を下ろした。桧山さんは箸立てから箸を抜きとり、七味の小瓶を持ち上げて顔をしかめた。彼は立ち上がって近くのごみ箱にそれを放りこみ、別のテーブルから開封してまもない瓶を借りて席に戻った。
「ずいぶんと遅かったですね」ぼくは顔を上げて話しかけた。「お昼になってからだいぶ経ってます。なにかトラブルでもありましたか?」
桧山さんは瓶のふたを開け、尋常じゃない量の七味を丼にふりかけた。「いえ、なに。いつものやつですよ。気づきませんでしたか? 掃除機を客が通る通路に置きっぱなしにしていたとか、回収したはずのベッドシーツが何枚か足りないとかで、鬼の首をとったかのように、上へ下への大騒ぎです」
「気づく前に、ここへおりてきてしまったみたいですね」とぼくは言った。「またいつものあのひとですか」
桧山さんは頷いて立ちのぼる湯気のなかに顔を突っこみ、豪快に麺をすすった。彼は小瓶を返しに行かなかった。ぼくはそれを拝借し、出汁の表面が半分埋まる程度に七味をふりかけた。
「でも今日はまた一段とひどかったです」桧山さんが湯気越しに言った。「今日はほら、はやい時間に団体の宿泊客がくるはずだったでしょう? だからその分の客室は午前中に清掃を終わらせていなきゃならなかったのに、それが全然で」
「終わっていなかったんですか? たしかぼくがチェックリストをたしかめたときは、そのあたりの部屋はすべて〝清掃済み〟だったはずですけど」
「どうやらあのひとが間違えてチェックを書きこんでしまったみたいです」言葉の合間にも、彼は口いっぱいに麺をすすった。同時に野菜のかき揚げ、サラダも彼の胃袋に吸いこまれていく。「おかげで清掃が済んでいないとわかったときは大変でした。例のごとく、船橋さんが人目もはばからず、廊下のまん中で怒鳴り散らしていました。見ていてかわいそうなくらいでしたよ」