☀️17
「病院のじゃないなら、だれのものなの?」
「それはここに通っていた男の子のものなの。驚いたわ。ある日、前触れもなく両腕に抱えてきたんだもの。いつも乗ってくるバイクの荷台に括りつけて、危なっかしいったらありゃしない。『どうして遠いところからわざわざ持ってきたのよ。病室にある椅子をつかえばいいじゃない』そうわたしが言ったら、『病院のは使ったあとに毎回かたさないといけないだろう。これは隅っこに置くだけだし、ぼくのだから、そのままにしても文句は言わせないさ』だって。おかしかったわ。ホームセンターで買って、ここまで持ってくる手間のほうは全然気にしてないんだもの」そこで律子さんは口をつぐみ、困ったような、とまどったような目でわたしを見た。しゃべりすぎたと思ったのか、わたしが驚きの表情を浮かべていたからなのかわからない。だれかのことをこんなふうに話す彼女は初めて見た。
「ごめんね」今度は律子さんが謝った。「涼ちゃんの知らないひとの話をしてもしょうがないのに」
「平気だよ」とわたしはこたえた。「律子さんが仲良くしていたひとなの?」
「ええ、そうよ。この部屋に入院してた女の子に会いにきていたの。決まって毎週火曜日と土曜日にね」
「決まって? どうして決まってなの?」
「わたしにもよくわからないわ。でもその男の子が勝手に自分に課していたみたい。彼女がここにいた数か月の間、一度も欠かしたり、曜日がずれたりすることはなかったわ」
「一度も」とわたしはつぶやいた。それはとても奇妙な話のような気がした。もちろん、入院していた女性を想っての行為なのだろう。だが、なぜだろう。なにかがおかしい。
「そのひとたちはどんな関係だったの?」とわたしは訊いた。
律子さんはわたしから視線を外した。質問に対するこたえを探しているみたいに見えた。けれどもやがて首を振って、諦めたような微笑を口元に浮かべた。
「わたしにもわからないわ。何度も何度も思い出を掘りかえしてみたところで、あの二人の関係を言い表す言葉が見つからないの。ただの男女とはとても言えない。男の子は初めてこの病室を訪れたときから、いま涼ちゃんの座っているとこが定位置だったわ。そして最後まで二人の距離が縮まることはなかった」
「ここからじゃ、ベッドが遠すぎるよ」とわたしは言った。
「ええ。ここからでは遠すぎるわ」と律子さんは言った。
不意にわたしは疲れをおぼえた。会話をするのに不自然な距離が、神経をすり減らしたのかもしれない。律子さんはすでに立ち上がって、自分が座った場所にできたしわを、指先で丁寧に伸ばしていた。
「用件を済ませてしまいましょう。もう行かないといけないわ」律子さんは言った。
わたしはおとなしくベッドに戻り、彼女が部屋をあとにするやいなや、夜まで牛蒡のように眠った。