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後編

「よお、元気か? スライム」


 今日も侵入者はヨル様がいないときを狙って私を訪ねてくる。

 口をもって、あるいは暴力でもって私を傷つけるこの男は、いつだって笑顔でそれをなしていた。

 私に肉体的な痛覚はないが、心の痛覚を失ったわけではない。

 笑顔で人を傷つけるこいつは、紛うことなき“魔物”なのだろう。

 そして私はそれに一人で耐えていた。


「返事くらいしろよ」


 乱暴に掴み上げ、壁に叩きつけるように私を押し付ける。


「アハハ、お前相変わらず壁にぶつかると良い音がするなあ。人の頭を壁に押し付けて潰した時と違って、水っぽい音がするのがいい。お前の価値なんかそれくらいなもんだが、核さえ壊さなければ死なないから何度でも楽しめるぜ。価値があると認めてやる」


 今日はどのくらい我慢すれば帰ってくれるだろうか。


「お前偉いなあ。俺の兄貴に助けを求めたりしないんだなあ。いいんだぜ、やっても。すがれよ」


 何が“すがれ”だ。

 それをやった瞬間、こいつはヨル様の目の前だとか関係なく私を殺すだろう。

 それこそ一瞬で。

 ――そう考えていたのが伝わったのだろうか。一言も発していないのに、男は笑みを引っ込めると憎々しげに私を睨んで舌打ちする。


「スライムのくせに知能はありやがる」


 絵に描いたような悪人というのは現実味があるようでなく、結局私はどこか遠くの国の出来事だと平和ボケしていたのだろうと思わざるを得なかった。

 前世のことは全く覚えていないが、かなり平和な国に住んでいたのだと思う。

 我が身にこんな事が起こるなど夢にも思わなかったに違いない。

 今、私の心が冷え切ってただ厄災が通り過ぎるのを黙って――文字通り黙って耐えているのは、その対処法を知らないからだ。経験したことなど無いので思いつきもしない。それでも“私が何をしても外れを引くのだろう”ということだけは理解していた。


「あ、そおだ」


 侵入者は私を火のついた暖炉の中に放り込むと、私が灰まみれになって慌てて火の中からはい出てくるのを黙って見ながらポツリと言った。


「こんなことしている場合じゃなかったぜ。クソ面倒なことに勇者が来たんだったな。その対応をお願いされていたのを忘れていた。久々に人間狩りができるから楽しみだが――」


 そこまで一息で言うと、侵入者は勿体つけてニヤリと笑う。


「俺の兄貴はこのことをまだ知らないんだったなあ」


 知らない……?

 そんな事があるのだろうか。

 あの人は気配に敏い。私が夜に眠れなくて寝返りをうつだけで「寝ろ」と体を押さえつけてくるし、部屋を移動しようとすれば「どこに行くのだ」と忌々しげに顔を歪めて踏みつけてくる。

 そんな人が敵が来たことに気づかないなどということがあるのだろうか。


「俺の兄貴は過激なやり方を好むからなあ。政敵が多いんだよなあ。もしかしたら部下も知っていて内緒にして、うっかり勇者が兄貴のことを殺してしまえばいいと思っているのかもなあ。誰か助けてくれたりするのか?」


 それこそありえるのか?

 確かにヨルの政治はどちらかと言えば恐怖政治だ。反感はもちろん多いだろう。だが自国の王を誰も助けないなんてことがありえるのだろうか。

 それでも、もし――もし本当に誰もヨル様に危機を伝えていないとしたら……

 ――それは一大事なのではないだろうか。



 + + + + +



「ヨル様!!」


 カラスほどの大きさになった私は、ヨル様がいるであろう玉座の間へ向かって飛んだ。

 わずかに開いていた扉の隙間から滑り込めば、ヨル様と見知らぬ若者が玉座の間で剣を抜いて睨み合っているところだった。


「何をしに来た」


 その声は冷え切っており、私に視線すらよこさない。

 それでも無視されなかったことに安心し、そして未だ生きていることに安心して思わず声が震える。


「勇者が来たって聞いて、私、あの……」


 多分それがこの男なのだろう。

 若者はチラリと私に目を向けるが、私が小さな鳥だと知ると再びヨル様へと視線を戻す。

 それよりも、だ。何故誰もここに兵士がいないのだろうか。


『俺の兄貴は過激なやり方を好むからなあ。政敵が多いんだよなあ。もしかしたら部下も知っていて内緒にして、うっかり勇者が兄貴のことを殺してしまえばいいと思っているのかもなあ。誰か助けてくれたりするのか?』


 先程言われた言葉が頭の中を埋め尽くしていく。

 まさかとは思うが、本当にそうなのだろうか。


「兵士はいないのですか」

「見てのとおりだが」

「…………」


 ああ……ああ、そんなのは駄目だ。


「ヨル様、私は――」

「あのな、スライムよ」


 呆れたような声を出し、ヨル様が私へと向き直る。

 まさにその瞬間だった。

 長らく膠着状態だったのだろう。

 視線が自らそれたと見るやいなや、若者は滑るようにして移動すると、構えた剣で首を跳ね飛ばすべく柄を握る手に力を入れた。


「お願い、やめて……!!」


 時が止まったようだった。


「…………」


 私の胸を突き破った剣は、ヨル様の胸を刺して止まっている。


「ああ……ああ、ごめんなさい……ごめんなさい、私の……私が小さいばかりに……あなたをかばうことができない……」


 涙が溢れる。


「私、に……力があれば……私が……もっと大きければ……私は……あなたを……守ることが……」


 何故こんなにも簡単に人間なんかに突き刺さされてしまうような弱い者を、魔物たちは王として据えているのだろう。

 私は初めて魔物たちを呪った。

 大人しく強いらしい弟の方を王に据えておけば、この男は死なずに済むのだ。

 それが何故、一体どういう理由でこの男は王なんてものをやっているのだろうか。


「死なないで……死なないで……お願い……」


 バタバタと翼をはためかせ、首をひねって未だ動かずにいてくれる若者に顔を向ける。


「ねぇ、お願い。私の旦那様を殺さない――」


 しかし若者は動かなかったのではなく、既に首が切り落とされていた。

 崩れ落ちる体。

 剣先が抜けてよろめくヨル様。

 私は未だ剣に刺さったままだったので、若者と一緒に床へと落ちた。


「ああ――」


 ああ、このへやはさむすぎる。



 + + + + +



「この男を煉獄の牢につないでおけ」


 地面に転がっている男の首を乱暴につなげて強引に蘇生し、隠れさせていた兵士に向かって投げるようにして引き渡す。

 その顔は今まで見たどの顔よりも恐ろしく、その顔を見た者は“誰が弟の方が力があると言ったのか”と震え上がった。


「――兄貴」


 ヨルの弟は、兄の恐ろしさを嫌というほど知っていた。

 ある種異常なほどの執着をみせていることは自覚していたが、この殺気を浴びるほどその執着心が高まっていくのだから始末が悪い。

 そして今、この瞬間、興奮して何かがはち切れそうになるほど、その殺気が己に向けられていることが嬉しい――はずだった。


「――貴様、これに何を言った?」

「…………」


 兵士を遠ざけたのは、ヨルの攻撃が凶暴かつ広範囲に及ぶからだ。

 これはいつもの戦闘スタイルだが、当然のごとくイシュルダはそのことを知らない。しかし初めから敵が城の中に来たことすら伝えるつもりはなかったので、わざわざこんな些事を説明するつもりもなかった。

 敵の侵入など伝える必要はないのだ。兵士か、もしくはヨル自身が対処できるのだから。

 それなのになぜかイシュルダは来た。


「答えぬ気か」


 イシュルダが刺されるまで、全く一寸の狂いもなく計画は成功していた。

 しかし、イシュルダが来てからだ。計画が狂ってしまったのは。

 ヨルが勇者の攻撃など食らうはずがない。そんなことは魔物であれば誰でも知っている。それに万が一傷ついたとしても、強力な再生能力により一瞬にして傷は消える。

 しかしそんなことを知らないイシュルダは、身を挺して魔王を守った。

 あの地を這うスライムにできて、己にできなかった愛の示し方。

 それを知ってしまった瞬間、あれほど気持ちがいいと思っていた殺気を浴びても、少しも体が反応しなくなってしまったのだ。


「あのスライム強いのか?」


 放心したように口をひらけば、ヨルの顔が盛大に歪む。


「貴様……何を言っているのだ」

「弱いだろう? 核が壊れれば死ぬ。そして核は恐ろしく脆い。なのになぜ俺の兄貴の前に立った。核が傷つけば死ぬとわかっていて何故……?」


 スライムは命の危険を顧みず身を挺してヨルを守ろうとした。

 かたや自分はどうだろうか。


「俺は、少しも動かなかった」


 そう、動かなかった。その強さを知っているがゆえに。

 あれほど大事だと思っていた兄を、己の欲求を満たすために使った。

 では今までのこの思いは全てまやかしだったのだろうか。


「……ぐっ!?」


 衝撃とともに跳ね飛ばされる右腕。


「腕一本で許してやる」


 血が吹き出し、床を濡らしていく。


「ただ()に仕えよ」


 臣下の礼を取ろうとし、体が震えてできないことに気づく。

 無様に震えるその身を忌々しい目で見つめながら、ヨルはイシュルダを拾い上げると腕の一振りで姿を消した。



 + + + + +



「あっ! 気がついたか」


 まだ眠気が飛ばないが、周囲が明るいことに気づいて覚醒していく。

 声をかけられたのはそんなときだった。

 聞き覚えのある声は果たして誰のものだったか――と、考え、心当たりに思いあたった瞬間に跳ね起きた。


「ひいっ……!?」

「大丈夫か、姉貴」


 心底心配しているという表情で、侵入者――義弟が私を見ている。


「……頭打ったんですか」


 理解が追いつかず、何も考えずに言葉が口をついて出る。


「頭……? いや、打ってねぇよ。それより体調は? 痛いところはあるか?」


 ハの字になった眉。

 眉間によるシワ。


「なあ、大丈夫かよ」

「貴様、いきなり態度を変えすぎだ愚か者」


 呆れた声にもう一人いたのかと顔を向ければ、元気そうなヨル様の姿。


「無事だったんですね……」


 気の抜けた様な声に、ヨル様がおかしそうに笑う。


「それはこっちの台詞だ」

「だって……最後に見た時、剣が――」


 ツンと鼻が痛くなり、それ以上何も言えなくなる。

 そんな私の頭を抱き寄せると、ヨル様はゆっくり力を込めていく。


「心臓が停まるかと思ったぞ。余を殺す気か」

「それこそこちらの台詞です」

「余はお前よりも遥かに強い。心臓を突かれたところで死なぬわ」

「そんなの知りません」


 批判めいた声色に、ヨル様の顔が歪む。


「頼むから余の前で死なないでくれ。余の見ていないところで死なれても困るが」

「それもこちらの台詞です」


 本当に死んでしまうと思ったのだ。

 心臓を突かれても死なないほど強いとわかっていたなら、私は無茶をしたり――いや、たぶん、そうだと知っていてもそうしただろう。

 脊髄反射で飛び込んでしまったのだ。いつの間にそんなに情がうつったのか知らないが、どうやら相当に入れ込んでいるらしい。

 これでは侵入者のことを馬鹿にできな――


「え、何その腕どうしたの」


 思わず素で聞いてしまうほど驚いた。

 右腕の布は不自然に潰れており、そこになにもないことを示している。


「ああ、これ? 気にすんな。それよか姉貴の体調だろ。大丈夫なのかよマジで」

「いやいやいや」


 何を言っているのだろうか。それはこちらの台詞だ馬鹿。

 私が意識を喪失してからそう経っていないはずだ。なのにこのレベルの大怪我をしていながら平然と話しているこの男はなんなのだろうか。


「なんでそんな事になっているの……」

「こやつが気にするなと言っているのだから気にしなくていいだろう」


 大きなため息とともにそういうヨル様に、内心で「いやいやいや」と返す。


「なぜ番以外の男の心配をするのだ。余がどこを突かれたか忘れたのか? ああ、傷が痛くなってきたな。開いたかもしれん」


 もはや全く思考が追いつかない。


「いや、そ……だ……ええ~……?」


 困惑して視線を彷徨わせていると、侵入者が心配げな表情を浮かべたまま私の顔を覗き込む。


「今まで意地悪していてごめんな。もういじめねぇからよ。色々勘違いしてたけど、姉貴って弱ぇくせに勇気あるんだなあ」


 やたらとキラキラした目で見られているが、お前がやったことは忘れていない。


「なんかあったらすぐに俺に言えよ? 俺が守ってやるからな、姉貴」


 すぐに“わかった”とも言えず困惑していると、察したヨル様の手の一振りで侵入者は部屋の外へと追い出された。


「あれの対応は気が向いたらでよい。殺したければ殺せ。余の番に間接的であろうが直接的であろうが危害を加えることは罪であるからな。さてそれよりもだ――困ったことをする番に灸をすえねば」

「え……困ったことって……なんですか……?」


 にじり寄ってくるヨル様から距離を取ろうと体を起こせば、そうはさせるかとばかりにベッドへ押さえつけられる。


「わからぬとは……大きくなっても所詮はスライムか」


 息をするのも恐れ多いほどの距離に思わず呼吸をとめる。


「……え」


 おおきくなっても……?


「…………」


 あまりにも色々ありすぎて気にもとめていなかった。

 しかし握り込まれた手首や、抑え込まれた下半身の感覚に驚いて全身を見れば、見慣れた自分の体がある。

 黒い髪、低い鼻。丸い目。小さめの口。

 肌は乳白色でありながら文字通り透明感があるが、生前――まだ私が人間だった頃、毎日見ていたそれとほぼ変わらない。


「え、嘘……私……なんで……?」

「傷ついたお前を生かすには余の精を注ぐ必要があったのでなあ。たっぷり注いでやったら肥えたようだ」

「…………」


 ああ……ああ、それはつまり……


「意味がわからぬか?」


 顔が熱くなっていく。

 目の前の男は、誰が見ても笑顔だとわかるほど口角を上げた。


「では教えてしんぜよう」

お付き合いいただきありがとうございます。

このあとの続編は特に考えていません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 寝ている間に結ばれていたでござる ただ絵面を想像すると恐ろしいのですが……(笑)
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