夜のお勉強です(牧彦目線)
夜に公園に誘われた牧彦!やっぱりそういうムフフな事が起きるのか…!?
「それでー、地球が太陽にかぶさった時、地球の影が月にうつり込んで月があのように欠けていくわけです。これが『皆既月食』という現象です」
「…」
里菜子の説明に牧彦はどこか意識が飛んでいそうな顔つきで次第に欠けていく月を見上げている。
天気のいい日中だったので夜でもそこまで冷え込まず、過ごしやすい秋の夜長だ。それも雲一つない夜空であるので欠けている月がよく見えるという好条件の夜空。
展望台の茂みのあちこちからはやかましく鳴いている虫の声がリーリーギチギチスイッチョンと途切れなく続き、風情があるというよりはやかましいという感想の方が先に来る。
そんな中、里菜子は牧彦に対して嬉しそうな顔をしながら皆既月食を指さし、
「はい、これで理科の勉強になりました。どうですか、授業で聞くだけとは違ってライブで実物を見ながら説明を受けると目から体から知識が身に染みるでしょう。
いやー、今日はちょうどよくこの現象が起きる日だったので、ぜひこれを取っ掛かりとして勉強に興味を持ってもらおうかと思いまして。天気も良くて良かったですね!」
里菜子は、やったね!とばかりに牧彦を見上げるが、牧彦はまだ意識が飛んでいるような顔つきで黙ってしずしずと欠けているであろう月を眺めている。
「…面白くなさそうですね」
「いや…ためになったよ…うん…」
保健体育の教科書を見せたあとに夜に暇かと言われ、しかも夜の公園に誘われ、
「教えてあげます、勉強の楽しさを!」
とまで言われたのだから、もしかしてもしかするとそういう事が起きるのでは、と期待して来てみた。
が、里菜子は色気も何もないTシャツに上着を羽織ったジーパンスタイルで展望台の方向から降りてきて、興奮交じりに、
「牧彦くんラッキーですよ。今日は皆既月食なのに天体望遠鏡を持ってきているマニアの方が居ません!静かにゆっくり誰の気兼ねなく観察できますよ!では皆既月食について学びましょう!展望台にどうぞ!」
とまくしたてると展望台の階段をイキイキと上っていた。
牧彦はそれを聞いて抜けていく力を押さえられずその場でガックリと肩と頭を落とした。
この展望台は昼でも夜でもデートスポットの定番ともいえるところだと牧彦は部活仲間の雑談を離れた所で聞いていたし、茂みも多いので夜になればそういう目的で訪れるカップルも多いとも聞いていた。
そんな前知識があったせいでそういうので誘われたのかと思ったのだが…。
牧彦は先ほどの事を思い出しつつため息をつき、チラと里菜子に視線を移した。
里菜子は皆既月食をキラキラした目で、
「わ~…半分隠れたぁ…」
と見ている。
こんな勉強にしか興味無さそうな真面目一徹の女にそんな事を期待した自分が馬鹿だったと思い直したが、あんな言い方されたら別の意味で誘われたと誤解するだろうがと頭を抱える。
いや別に里菜子の事をそんな目で見ているわけではない。
そもそも里菜子の見た目はそこまで悪くはないだろうが見た目的に自分の好みではない。それにこの里菜子は口が上手く、話せば話すほど自分が良いようにこの女に動かされているような気分になって面白くない。
それでもなぜかこの里菜子は関わってくる。
大体自分の見た目は女子から怖がられるのでここまでグイグイと関わってくる女子など今まで居なかったし、なんでそこまで自分に勉強を教えようとするのかと思ったが、それでも悲しい男の性が、
「もしかしてこいつは俺のことが好きなのでは」
という考えに軽く行きついてしまい、まぁそれならな、しょうがない…という気分で期待してこの山際公園に来てみればこれだ…。
そんな俺の期待を返せと言いたくなるが、この里菜子という女にそんな事を言おうものなら、
「一言も保健体育をやるだなんて言ってませんけど。それにその部分は一学期に終わりました。先を見ましょう、先を」
とすました顔で淡々と言い返されるだけだろうと牧彦はため息をつく。
里菜子の言葉に勝てそうにないことは正門で引き止められた時から察している。
「天体系なら男の子も結構好きかなって思ったんですけどね。興味ありませんでした?」
里菜子はそう言いながら手すりに手をかけて牧彦に視線を向けている。
「こんなことのために俺をわざわざここに呼び出したのかよ?」
牧彦がそう言うと、里菜子はキョトンとした顔をした。
「それ以外に私が牧彦くんを呼び出す用事がありますか、友達でもなし」
…確かに先日知り合ったばかりの隣の席同士という間柄だが、女に真向から友達ですらないと完全否定されると妙に傷つく。(注:先日知り合ったわけではなく二人は四月から同じクラス)
牧彦はふっ、と陰のあるため息をついて手すりに寄りかかると頭を垂れた。
それを見た里菜子はハッとした顔つきになり、
「と、友達!私たちだいぶ話す間柄になったんですから、友達ですよね!」
と慌てて付け足してくる。
「てめえなんて友達でも何でもねえよ」
「そんなこと言わず、友達になりましょうよ、ね!ね!ほら、今現在こうやって遊びながら勉学を学んでいる友じゃないですか!」
なんだか中年の親父が言いそうなセリフだな、と思いながら里菜子を見ると、里菜子は一瞬射すくめられたかのような顔つきになって視線を逸らしたが、またこちらに視線を戻す。
「ちなみに、日中に月が太陽の前にかぶさって、地球上に光が届かなくなる現象のことを四文字で何というでしょう?」
いきなりクイズのノリでそんな事を言われ、牧彦は驚いて思考を巡らす。
日中に月が太陽に?なんだそれは?
「ヒントは、皆既月食ではない方です」
そう言われるとすぐにピンときた。
「皆既日食」
牧彦が言うと、
「ピンポーン!正解!ほら、正解ですよ!」
とテンション高めに里菜子が言って来るのでなんとなくイラッとして言い返した。
「ほとんどお前が正解言ってたじゃねえか」
「それでも皆既日食って言葉を知ってなかったら正解できてなかったでしょ」
里菜子はそう言いながらふと黙り込み、
「じゃあなんで人類は生まれたと思いますか」
と言って来る。
いきなりのとんでもない言葉に牧彦は眉間にしわを寄せて里菜子を見る。
里菜子は少し肩をすくめたが、これもさっきみたいな勉強させるためのクイズ形式の問題かと思い、
「なんとか…ピテクスみてえな猿が…進化した…?」
と自分の知識の最大限を言う。
「そうそう、アウストラロピテクスという猿人が生まれ、そこからネアンデルタール人、そして我々のようなホモサピエンスへと進化したんです!なんだ、分かってるじゃないですか」
牧彦はムッとする。
自分の言葉に足りない部分を付け足しながら間違いを一から叩き直されたうえで褒められているようで気に入らない。
「ああけど、やっぱり牧彦くんは勉強向きなのかも」
「…どこが」
色々と付け足されて言い直されたのに腹が立ち、牧彦は素っ気ない低い声で言う。
「なんで人類は生まれたのか?という質問で、それは親がいるからだ、とかそんな屁理屈言わないで普通に学校で習うような事言ったじゃないですか。その考え、きっと勉強向きなんですよ」
「てめえが勉強だっつって呼び出したからそれっぽい事言っただけだろ!」
腹立だしさがつのって思わず手すりを拳でガンッと殴りつけると、里菜子はヒャッと声を上げてわずかに飛び上がった。
「そうやって俺に勉強教え込もうとしてんだろうけどな、鬱陶しいんだよてめえのやり方!」
誘われたと思ったけど違ったというのと、自分の知識を言い直されたうえで褒められるという馬鹿にされたような気分も相まって牧彦は里菜子に体を向けて喧嘩腰に一歩前に出る。
「け、けど来てくれたじゃないですか」
牧彦の剣幕に押されたのか、目をパチパチと激しく瞬きさせ目を右左と激しく動かしながら里菜子はしどろもどろに一歩引きながら言い返す。
その様子を見て妙な怒りが沸きあがり、
「夜中にこんなデートスポットだって所に呼び出されたからこっちだって期待して来たんだろうが!」
とまで言って、怒りに任せて何か要らないことを言ってしまったと牧彦は口をつぐんで思わず里菜子の顔を見ると、里菜子は少しポカンとした顔で自分を見上げている。
その間の抜けた顔を見て、今ならまだ自分の口から飛び出た言葉を撤回できるかもしれないと考えを巡らそうとしたが、里菜子の頭の回転の方が素早く回ったらしく、
「…それって、保健体育的な意味で、私が誘ったと思ったってことですか…?」
とポツリと声をかけてきた。
気恥ずかしさが牧彦の中に沸き上がってきて、
「こ、こんな夜中に、人気のない山の展望台で、茂みもあるところに男と女が二人きりとか、期待っつーか勘違いの一つぐらいするだろうが…」
と無駄に展望台の雑草の生えた地面を指さしながら力説するが、口を開けば開くほどに墓穴を掘っているような気がして、恥ずかしさをこらえて口をつぐんで街の明かりの見える夜景を睨みつけた。
言う。こいつはきっと言う。
あのすまし顔で、
「その部分は一学期に終わりました、先を見ましょう、先を」
と言ってくる。
あー、と思わず頭に手を当て、なんであんなこと言っちまったんだとかきむしった。
そして男としてのプライドをそこはかとなく崩しにかかってくるであろう里菜子の言葉に心を備える。
「…」
しかしいつまでたっても里菜子からは言葉が来ないので、ふと視線を里菜子に向けると、里菜子はまだポカンとした間抜け面で黙ってこちらの方を見ていた。
「…」
「…」
お互いにジッと見つめ合ったまま無言の時間が過ぎ去っていき、そのせいで虫の声が余計賑やかに感じる。
「…軽蔑でもしたかよ」
牧彦がそう呟くと、里菜子はハッと我に返ったらしく両手を慌ててブンブンと振った。
「いやいやいや!健全な男子高校生の思考回路だと思いますよ!ただ私にその配慮が足りなかったなって思った次第でありましてその…」
里菜子はそこで一旦言葉を区切り、視線をわずかに動かしながら、
「…いやぁ…そんな…。私は女としての魅力には欠けてると思ってたので、まさかそんな性的な対象として見られていたとは思わなくて…驚いたと言いますか…」
「せっ…」
牧彦は性的な対象という生々しい言葉にカッと顔に血が上り、
「そ、そんな目でなんか見てねえよ!ばか!誰がてめえなんて!」
と怒鳴る。
その言葉に里菜子はハッと顔を上げ、
「あ、ああ!そうですよね!私をそんな目で見るわけないですよね!ごめんなさい!調子に乗りました!」
里菜子も慌てたように早口でそう言いながらヘッドバンキング並に頭をブンブンと振って謝ってくる。
「うっは、めっちゃ恥ずかし!この勘違い!」
里菜子はそう言いながら顔を隠しつつ後ろを向いてなぜかジャンプを繰り返している。
先に勘違いしたのは俺だ。
牧彦は片手で顔を隠しながら手すりにもたれかかって、顔に上った熱が早く冷めるようにと手で軽く仰ぐ。
「…」
里菜子をチラと見てみると、まだ顔を隠し「あー!」と叫びながらジャンプを繰り返しておさげを揺らしている。
「…」
そんな恥ずかしがっている里菜子を見ていると妙に可愛いなと思えてきたが、いやこれは錯覚だと牧彦は一発自分の顔を両手でビンタして冷静になっておいた。
私の住む市内にも展望台があるらしいのですが、一度行こうとしたところ「ここから500メートル」との看板があったので一本道の遊歩道的な山道をのぼっていったのですが、ついにその展望台だという所にたどり着くことなく訳わからない野っ原に出てしまいました。
なので本当にその展望台が実在するのかすら今でも謎です。世にも奇妙な物語的な話でした。