第3章 2011年10月 何のために走るのか。なぜ走るのか。第61話
第61話【宮本 健】
「いいか、俺は何回も言ってるけどインターハイで勝ってるんだぞ。その俺と張り合うってことは日本でも一握りの高校生って訳だ。それでムサシが自転車に乗り始めたのは3年前だと。しかも、最初はリハビリでまともにトレーニングだってしてなかっただろ。
そこから趣味の朝練と、俺との練習だけで、それでこうやって3年後に日本のトップレベルの高校生と張り合っちゃうってのは、普通ありえないだろ」
僕はいつもの530朝練のオジサン達は趣味のレベルだとはとても思えない。あのストイックさは、趣味というレベルを超えている。人生そのものかけてるのかもと思うことがある。
もちろんおじさん達にも仕事も家庭もあるんだろうけど、走っている瞬間は、おじさんたちはきっと人生かけてると思う。
確かに530朝練の強い人や輪太郎と一緒に走っていると、僕も強くなってきているのは実感できる。ついていけなかったのについていける。遅れていたのに先着できるようになっている。しかし、自分がどこまで強くなれるかは分からない。
「いいか、ムサシはな、血液検査の結果からするとな、びっくりするくらいロードレースに向いてるんだよ。もしかしたらと思ったんだよ。やっぱりだ。羨ましいくらいだ。本気でロードレースやれよ。目指すは世界だぞ世界」
輪太郎の言葉は僕を驚かせた。僕がロードレースに向いているだと。インターハイで2連覇し、今年は2種目を制覇した輪太郎をして羨むほどに。輪太郎がこんなことをいうのは、初めてだ。
輪太郎が言ったのは、こういうことだ。
持久系スポーツをするなら、いかに効率的に酸素を摂取して筋肉からエネルギーを生産するかというのが重要な要素になる。そこから発生するエネルギーの最大値と継続時間が問題らしい。
その点、検査結果にも出ていたけど、ヘマトクリット値が高いと有利らしい。僕の値は50%近くの値を示していて、それはドーピングに引っかかる手前の値らしい。正確には、ヘマトクリット値じゃなくて、「最大酸素摂取量」というのが大事らしいけど、その値を高く維持するためにもヘマトクリット値が高いほうが有利だということだ。
それに加えて肝機能のデータが全てに理想的らしい。輪太郎が言うには肝機能のデータの一部は疲労具合や疲労からの回復具合を示す指標になる。いずれのデータも同時に同じ朝練をしたあとに献血をした輪太郎よりも、僕の値は『理想的』な数値を示していたのだ。インターハイの勝者よりも。
そして、輪太郎は続ける。僕がほぼ毎日の早朝の530朝練に出てることは、それは才能らしい。
つまり、風邪をひかないこと。朝寝坊しないこと。疲れにくいこと。胃腸が丈夫なこと。それらは全て自転車選手として将来的に重要なことだという。そうなのか。
「あのな、ムサシ。コンディションっていうのはな、どうしようもないこともある訳だ。一流選手だって、鍛えられない部分はあるんだよ。
例えば風邪をひくとかひかないとか、サドルの上で長時間乗っていて補給食を食い続けられる胃腸の強さがあるかどうかとかな。疲れたレースの翌日に回復してるかどうかとか。そういうのは鍛えようがなかったりする訳だ。乾布摩擦したって風邪は引くし、腹筋したって胃袋を鍛えられる訳じゃない。つまり、ムサシは向いているんだよ。」
輪太郎が続ける。
「ムサシが趣味でもこの先走っていくなら、その素質は宝の持ち腐れだ。でもな、もし本気で走るならすごい武器になるぞ。お前の体は疲れにくいんだよ。そして疲労から回復しやすい体なんだよ。トレーニングをたくさん出来て回復しやすいんだよ。
毎日寝坊しないで朝練できて、胃腸が強くて補給食は何でも食べられて、そして持久系に強い血液を持ってるだと。そんな体があるなら俺が欲しいくらいだ」
僕はそれがどういうすごさなんかは分からないけど、確かに、僕は学校を休んだことがなかった。風邪をひいたことはないしインフルエンザになったこともないし、腹を下したこともない。腹が痛いってこともわからないし、補給食が食べられないってこともない。朝おきられないこともなくて、目覚ましで一発でおきることができる。
無遅刻無欠席の典型的な健康優良児だ。
正確に言えば、義務教育の間に休んだのは中学3年生の時にアキレス腱を切って入院した時くらい。言われてみれば、それはメリットかもしれない。
疲れにくいと言っても、剣道をやってても本気で練習すれば練習後は疲労困憊だったし、ロードバイクになってからはトレーニングでクタクタになっていた。純粋に本気で追い込めば練習でも疲れるのは当然だ。
だけど、そういえばそれ以外にあまり『疲れ』を知らない。つまり一晩、寝ちゃえば、次の日はすっきりさっぱりと起きることができる。
他のみんなが「疲れて朝起きられない」とか言うのを聞いていて「一晩寝たのに何が疲れたの」とかと思っていた。
第62話に続く。




