challenging-現在進行形な僕らは 第2章 2011年9月 マロニエトライアスロン 第21話
第21話【香川律子】
久し振りにウェットスーツを着たら気分が引き締まった。久し振りだな、この感覚。9月下旬の7時のプールは、ちょっと冷たいけどウェットスーツを着ていれば大丈夫。今日のコースは100mの『流れるプール』を3周する。こういうコースで泳ぐのは初めて。ちょっと不安になる。
8月に最初にムサシ君に「リレーのトライアスロン出よう」と誘われた時、ちゃんと泳げるようになるかどうか不安だった。3月からは全く泳いでいなかったし、何よりも気持ちがついていくか心配だったから。
でもその心配は要らなかったわ。自分でも不思議。目標と言うか頑張ろうと言うモチベーションというか、そういう何かがあれば頑張れる。エントリーを決めてから時間の許す限り、久し振りに集中して泳いだ。もちろんベストのタイムまでは全然戻せなかったけど、ずいぶん集中してトレーニングした。晴ちゃんに頑張り過ぎじゃないのって心配されるくらい。
震災からずっと「頑張って」と言われ続けてきた。周囲は優し過ぎるくらい優しかったけど、私は頑張ることに疲れてきていた。それなのに、今は「頑張れ」と応援されて頑張れる。私はその声に応えたい。なんだかこのスタートは私の新しいスタートになる気がする。
スタートのピストルを合図に一斉にスタートする。スタート後の混雑を避けたかったので、最初は腕のピッチを早めにしてリードを稼ぐ。水温はちょっと低いけど、湖や海でのトライアスロンのスイムに比べたら泳ぎやすい。心配はプールのコーナーをスムーズに回れるかどうか。
ちょっと体をねじるようになるのが泳ぎにくいけど、それでも順調にクリア出来ている。力まないようにリラックスして、腕が伸びるように脚の動きが硬くならないように気をつけて泳ぐ。すぐに最初に一緒にスタートした集団を抜け出した。
半周目くらいで前方の組でスタートした男子のエイジクラスに追いついた。一気に泳ぎにくくなる。なんだかクジラの群れの中に入っちゃった感じ。これじゃペースを維持して泳ぐのは至難の技ね。私は追いついたあと泳ぎにくかったらアウト側で泳いで行こうと思っていた。きっとみんなインを狙って、イン側は密度が高くて泳ぎにくいはず。パスするならアウト側だ。
案の定、アウト側は比較的密集が低くて、それなりに泳げる。あっちこっちで腕や脚があたるけど、なんとかなる。もうちょっとイン側に寄っても大丈夫かな。
そう思ってイン側に寄せてしばらくした後の出来事だった。息継ぎをしようとした瞬間に、不意に体格の大きな男性選手にアウト側から寄せられて息継ぎを失敗してしまった。一気に気管に水が入ってくる。慌てて立て直そうと再び息継ぎをしようとしたら、今度は反対側から他の選手に体重をかけられて息継ぎに失敗してむせてしまう。息継ぎのタイミングを失うと一気に苦しくなる。なんとかしなくちゃと思っているうちに今度は前の選手のバタ足で頭を蹴られた。
私は動転してしまってもがいていた。一気に苦しくなった。
私は「溺れて」いた。何がなんだか分からない。足が着く水深なのにそれを忘れていた。
一瞬、「死んじゃうのかな」と思った。どうかしているけど、本気でそう思った。
私は物心ついたときからプールで泳いでいて、同じ距離なら、例えば1000mとか2000mとかなら走るよりも泳ぐ方が簡単にクリアできると思うくらい水には馴染んでいる。水の中ならほっとする。今までそう思っていた。
だけど、生まれて初めて水の中の恐怖感が襲ってきた。
「息ができない」
我を見失って動転して、頭の片隅で、きっとお父さんもお母さんもお兄ちゃんも、こういう風に苦しかったのかな。私も死んじゃうのかな。突然そう思った。
ただ足を着いて立てば良いのに。
深くても、水深1.5mくらいしかないプールで苦しくてもがいていて、ほんとに溺れそうになっていた。
第22話に続く




