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竜人朱貴伝  作者: 霜月 幽
第3部 朱貴発動
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十三の三 秋楊、出る――秋楊、琢県を掌握

 『朝』から公式任書を携えて官吏が到着した時、琢県の県府はまだ混乱の最中であった。なにしろ、県主高善の不慮の事故死に引き続いて、長男で宰相の高亥が突然死してしまったのである。

 神経質で日頃から癇が強く、父高善の死に脳の血管を切らしたのだろうと判断された。次男の高礼はまだ小さく、どうしたらいいかわからない。

 政府高官は任書を掲げ、高礼には県主の任は不能、依って『朝』の命に従い、自らが琢県の県主に就任すると宣言。『朝』の権威を盾に高飛車に宣言されて、琢県の高官達は抗議の声を上げる間もなく、承諾させられてしまった。


 高善の安定した善政にすっかり平和ぼけしている分、恐慌状態に陥ってしまった彼らは、『朝』の手回しがやけに良いことや、官吏の到着の早すぎる事にはついうっかりとしている。

 この官吏こそが、碩鳳せきほうの懐刀、秋楊であった。


 彼は即座に高礼を臣下に下げ、別邸に住居を移させる。こうして権力交代を誰にも明示した上で、間髪入れずに閣僚会議を招集した。

 秋楊は屈強の豪の者を護衛に従え、ざわざわと反発的な態度を隠さない文武の高官らを見据えた。見るからに勇猛そうな巨漢の豪傑に睨まれ、閣僚達は鳴りを潜める。

 その席で、朱貴軍への輜重援助を直ちに取り止め、今明楼(めいろう)を出て県境に差し掛かっている輜重隊を差し止めるよう命じた。さらに続けて、『朝』に仇なす反逆者朱貴軍に対し、全軍を起こすと宣言する。


 しばし啞然とした閣僚達は驚きの声をあげ、譜代の重臣らは立ち上がって、


「俳県とは、これまで友好関係を保ってきたもの。そのような命令は受け入れられぬ」


 と、傲然ごうぜんと反対した。

 秋楊は平然と顔色も変えずに声を上げた。


「謀反者を捕らえよ」


 広間の周囲の廊下から武装した一団が現れる。反対の声を上げた重臣らを縛り上げた上に、広間と宰相室に挟まれた中庭に引きずり出し、その場でことごとく首をねさせた。

 その足で再び広間に戻った彼は、冷酷な眼差しで居並ぶ閣僚を見渡して訊く。


「ほかに反対する者は?」


 真っ青になって震え上がった閣僚達は声も発せずに顔を伏せる。それを眺めて、にやりと冷たく笑って命じた。


「直ちに、全軍の準備にかかれ」


 打ち首になった譜代の重臣の家屋敷は没収され、一族郎党みな明楼から放逐、首は市井の四つ辻に謀反者の高札たかふだを上げて晒された。

 人々は新しい県主の恐ろしさに誰も口を閉ざす。かつて、みな笑顔で活気溢れて賑わっていた明楼の都は、早くから戸を閉め、昏く静まり返ってしまった。

 その中で、秋楊は軍の準備を急がせた。若者から壮年まで、軍に従事できる男を片っ端から徴兵し、着々と軍様を整えていく。彼は琢県の総力を挙げて朱貴を討つつもりであった。


***


 朱貴の陣営では、果門の消息不明を心配し、各方面に人を遣って捜索させていた。すると、明楼方面に捜索に行っていた者が息咳切って駆け戻ってきた。


 彼は琢県県府の異変と新県主の着任、そして矢継ぎ早に行われた行動と、着々と進む朱貴軍討伐の為の軍の様子を、息もつかさず報告する。

 天幕を広げた軍間に集まった人々は愕然として言葉も出ない。


「高善様が……。高亥殿も……」


 玲爽が震える声で呟いた。いつも冷厳としている軍師の顔が剥落し、純粋で傷つきやすい、まだ少年の顔がそこにあった。彼は顔を背けるようにして席を立ってしまう。


 軍師の姿が消えると、将軍達は俄かに不安を覚え口々に騒ぎ出した。朱貴も激しい不安に駆られる。

 佑県ゆうけんに深く進んでいる今、俳県はいけんからの兵站へいたんは細く長い一本の街道が頼りで、既に伸びきっていた。事実上、琢県たくけんの援助を全面的に当てにしているのである。

 その上に、桂京を前にした今、側面を琢県の大軍に攻撃されては、朱貴軍は郭崔を倒すどころか、退路も失われ、全滅するは必定である。

 いや、攻撃するまでもない。退路に陣を構えられただけで、こちらは兵糧が切れて全滅するだろう。だが、居並ぶ幕僚達にはどうする術も思いつかず、わいわいと立ち騒ぐばかり。


 ほとんど恐慌状態に陥りかけていた軍間に、玲爽が戻ってきた。幕僚達の間にほっとした沈黙が広がり、奇跡を期待するように必死な目を若い軍師に注ぐ。


 玲爽は、目許こそまだ赤かったが、毅然とした軍師の表情を取り戻していた。干恢に付け髭を毟り取られて以来竜髭を失くしてしまい、今は、どんな美女より美しい端麗な顔を惜しげもなく衆視にさらしていた。それが、皆を安心させるようにゆっくりと微笑む。大輪の花が咲きほころぶ艶やかさ。

 つかの間、将官達は切羽詰った憂慮を忘れ、うっとりと見蕩れる。次に軍師が口を開いた時、将軍達はすっかり落ち着きを取り戻していた。


「恐れることはありません。情報が早く手に入ったのが何よりの強みです」


 報告した武官に感謝の視線を送り、


「私達の優位は、まだ変わっておりません」と、続けた。

「でも、念のため、一応ここは、瑛林の手前まで軍を退いて様子をみましょう。さすれば、郭崔も安堵して、佑県の軍備をこれ以上急がせることもしないでしょう」


 そして、軍師はにっと不敵な笑みを浮かべた。


「秋楊は、全て自分の思いのままに計が進み、自信に溢れているでしょう。しかし、彼はもっと足元に注意を払うべきだったと、きっと身をもって知ることになるはずです」

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