十三の二 秋楊、出る――琢県の異変
高善は勝利の祝いと軍中見舞いを兼ねて、輜重とは別に、上等の酒や肉魚、果物などを馬に引かせた軽車に積んで、早く朱貴殿に送り届けて欲しいと頼んだ。果英は謹んで賜り、早速、道を急がせて、朱貴の陣営へと運んだ。
もちろん陣営では、みんな大喜びでこの贈り物を受け取り、ただちに宴会となる。なにしろ非常の陣中の事であるから、日頃、質素で慎ましい食料事情に甘んじるしかないのである。
圭審は此処で、高善の使いの曹英と名乗り、確かに受領したと一筆頂きたいと、軍師に請うた。玲爽は、これは宰相の高亥の指示だなと思った。こういうものにも書面を取るのは、いかにも生真面目で堅い彼らしい。
使者の到着と同時に、陣中はお祭り騒ぎになってしまったので、果門の姿がないことには、つい気づかないでいた。
人里離れた深い山奥で純粋培養で育てられた玲爽は、本質的にどうしても人を疑うことが苦手である。彼は曹英の言葉をまるで疑わなかった。確かに、彼はまだ若かったのである。
玲爽の筆を得た圭審は、再び琢県の県都、明楼に戻った。今度は、高善も親しげに会見する。謹呈された書を開き、
「玲爽殿も義理堅いことよ。そなたも行ったり来たり、ご苦労なことだな」
と、果英を労わった。
「実は、あと一つ、内密に直接お伝えしなければならないことがありまして……」
果英は高善の隣に座っている宰相をちらりと見た。
「高亥は、わしの身内だ。構わぬ」
「では、」
果英は高善の耳元へ寄り、
「我が軍師が取り急ぎ、逢ってご相談したい事があると……」
と、告げた。
「玲爽先生が? このわしに?」
高善が驚きの声を上げた。
「軍師は、出来る限り無駄な血の流されるのを避けようと考えております。優勢に敵を押し包んでいる今、戦わずに相手に降伏か、和解でも取り付けられればと。その調停役を、高善殿に是非引き受けて戴きたいと申しており、つきましては、その段取りについてご相談申し上げたいということです」
無血で、ということが、いかにも玲爽が考えそうなことだったので、高善はすっかり鵜呑みにしてしまった。よく考えればおかしな点があることにも気づくはず。事実、高亥が、
「なぜ、父上自身が行く必要が?」
と、疑問を投げかけている。
だが、高善は玲爽が自分を頼りにしてくれた事が嬉しくて取り合わなかった。以前にも、俳県の弾劾裁判で彼が調停役を果たしていたし、使者の果英が二度も玲爽の親書を運んできた顔馴染みであることも、警戒を鈍らせた。
「郭崔側に悟られてはまずいので、極秘裏に参ります」
と言う果英の案内で、高善は僅かな供回りしか連れずに出掛けた。
明楼を離れ、馬を急がせながら訊く。、
「それにしても、よく玲爽先生は出てこられましたな。陣を離れる暇もないだろうし、ここまで来る道中も危険であったろう?」
「ですから、急がれているのです。護衛には、趙翼殿が手勢を連れてきております」
果英の答えに、ふむふむと納得する。
街道を離れ、くねくねと曲がる狭い山道に入る。
「この先の寺で、落ち合うことになっております」
果英は自分の馬に鞭を当て、だっと先に走り出す。道は片側が脆い赤土の崖で、落石がごろごろと転がっていた。
果英の姿が崖の向こうに消えた時、どーんと大きな音がした。
「しまった!」
崖を振り仰いで、高善は自分の軽率さに気づいたが遅く、大量の岩と土砂が彼と供の武将達を飲み込んだ。
***
父、高善の訃報の報せに高亥は動揺した。崖崩れの事故と報告されたが、彼には今ひとつ釈然としない。
「果英はどうしたのだ? 彼も巻き込まれたのか?」
現場の検証に当たった警ら長官に訊く。だが、彼の遺体は発見されず、誰も姿を確認していない。
「まさか……」
高亥はここで初めて疑念を覚えた。
そもそも、臨戦態勢の最中に軍師が陣を離れてくるだろうか。戦争の帰趨を左右するような重大事を、果門や趙翼のような古参の忠臣ではなく新参の者に託すなど、慎重な玲爽がするだろうか。
第一、あの男が果英であるという証拠は何も見ていないのだ。書面は確かに玲爽の筆であったので、つい疑いを持たなかったのだが、それだけ彼の欺きが巧妙ということ。
これが、玲爽が警告していた敵の奸計か!
高亥は立ち上がった。このままでは、計に嵌まるばかり。すぐに幕閣を召集し、対策を協議しなければ、と、宰相室から走り出す。
突然の県主の死に、明楼の県府は周章狼狽して騒然としている。彼は閣僚等に伝達するべく、係官を捜して廊下へ出た。その背後に人が降り立つ気配に、はっと振り向く。
「果英!」
と、叫ぼうとするより早く、首にちくりと痛みを感じた。そのまま目の前が真っ暗になる。




