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竜人朱貴伝  作者: 霜月 幽
第3部 朱貴発動
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十の二 『朝』再び――山道での奇襲

 朱貴は南西の県境に兵を進めた。南には天下の険、天蓋山脈がそびえ、軍の侵攻を阻んでいる。東には海沿いの街道が伸びてはいるが道は狭く、海へと雪崩落ちるような絶壁で寸断され、難所も多い。

 玲爽は用心に、弓を得意とする白石に一軍を預け、難所の要害に待機させた。計を用意し、この狭い間道に敵軍が進んでくれば、進退を塞がれ、落石と矢に射たてられ、全滅は必須である。


 西は雛県すうけんが隣接しているが、軍を起こすほどの財力はなく、帰属してきた北西部のもう族達が睨みを効かせているので、背後を突かれる心配はなかった。


 南西から西に掛けては、佑県ゆうけんとも隣接している琢県たくけんと国境を挟んでいる。佑県へと兵を進めていくと、俳県からは一本の街道が頼りとなり、両県に挟まれて兵站へいたんが伸びてくる。


「しかし、俳県に軍の進攻を許しますと、略奪暴行焼き討ちなどの害が人々に及びます。戦場となれば、土地も荒廃するでしょう。どうあっても、敵軍を我等の国内に入れてはなりません」


 軍師玲爽は軍間に集まった将軍達を見回した。


 逞しく勇壮な猛者達の仲でも頭二つ抜きん出た勇猛なガルド族の龍蘭りゅうらん。朱貴より一つ若い。虎に似ていなくもないしなやかな体躯である。

 素手で熊を打ち殺す自身がよっぽど熊のような虎髭の虎勇こゆうは二十四。

 無口だが、勇猛さには引けを取らない黒い体毛の趙翼ちょうよくは狼人で二十八歳。


 小柄で山駆けの得意な猿喜えんき、韋駄天の果門かもんら古参武将。そして、龍蘭に負けない巨体のワニ族の厳牙げんが、氷白山の強弩部隊を率いる毛深い冷舟れいしゅう手長熊てながくま族らもと山賊達、毘宣びせん李弦りげん丙郁へいいく圓備えんびら県尉の将軍達がずらりとそろって、軍師の言葉に耳を傾けていた。


 正面の席には県主朱貴。並み居る将軍達にも勝るとも劣らない豪傑である。その横に座す軍師は、竜髭があっても、いかにも優しげで艶やかだった。


「幸い、琢県とは親交も深い仲。既に輜重しちょうの約束を取り付けております」


 玲爽は朱貴に出会う前、琢県県主高善に気に入られ、暫くこうぜんの客として彼の屋敷に留まっていた。その関係で、朱貴が前県主武興を倒すさい、玲爽に請われて調停役を買ってでており、それ以来、俳県と琢県の親交が続いているのである。


「従って、我等は背後を憂うことなく、軍を進めることができます」


 将軍達を安心させると


「では、これからの軍の動向と作戦を説明いたしましょう」


 と、地図を広げて本題に入った。


***


 こちらは、天蓋山脈を挟んで、南に隣接する佑県の県都である桂京けいきょうの城内。県主郭崔(かくさい)は将軍達に軍を先行させておいて、自身はまだ主軍と桂京に留まっていた。

 かつて『朝』から県吏として派遣された時、龍家の鉱山欲しさに龍蘭の父親を忙殺、龍家に謀反の疑いを掛けて潰した男である。


「ふん、ぽっと出の無頼者がにわか県主になったところで、たかが知れるというものよ。今頃、知らせを聞いて右往左往しているだろうて。それとも、辺境のことだから、まだ何も知らずにのんびり昼寝でもしとるやも知れぬぞ」


 豪華な錦紗きんしゃの衣服に身を包み、肌の青いカルタス族の郭崔はなみなみと注がれた盃を、傍らの使者に掲げてみせた。周りに女を侍らせいい気なものである。


 秋楊の使者は、男を惑わすような嫣然たる笑みを浮かべた。

 妖艶という形容がぴったりの美女である。目が細く釣り上がり、年増の年齢ではあるが、それも郭崔にはなんとも言えないような色気と映る。


 かつて趙翼に敗れた百狐びゃっこ百妥びゃくだは朝都へ流れ、秋楊の元に身を寄せていた。どちらかというと、兄より妹の秋蓮と気が合ったようである。朱貴達に怨みのある百妥は自分から志願して秋楊の使いにたった。

 龍家の長男龍蘭に父親殺しの罪を着せ県都に引いていく途中で、当時居候していた虎勇という暴れ者がこれを奪還し、以後佑県から姿を消して、郭崔も半ば忘れていた。

 これに、二人の居所を知らせ、このまま野放しにしておくと、そのうち自分の身が危ういですよ、と百妥が注進したのである。


 百妥の色香と妖術にころりとかかった郭崔は、彼女の言うがまま、欲に目がくらんで兵を起こした。

 むろん、百妥は事が成った暁には、郭崔を籠絡ろうらくして、俳県を吸収して巨大になった佑県の実権を一手に握るつもりなのである。百狐の百妥を正しく評価している秋楊にすれば、この策万全と自信を持つのも当然であった。


 百妥は既に術中半ばに落ちている男を流し目で見る。


「ですが、大丈夫ですか。相手はそれでも山賊どもを一網打尽にした豪の者ばかりというではありませんか。かえって、こちらに攻めてきたらどうします?」


 自分も側女に酒を注がせながら、案じるように言う。


「軍を相手にするのは、賊徒と違うことを教えてやろうぞ。こっちには代々名門の将軍が揃っているのだ。うかうかと入ってくればしめたもの。奴等の兵站は一本の街道だけが頼りだ。それこそ袋のネズミというものよ」


 郭崔はからからと笑った。

 百妥はこっそりと夜の庭に忍び出た。鋭く指笛を吹くと、庭の茂みの闇に音も無く数人の気配が生じる。


「お前達、俳県の動きを探っておいで。郭崔はどうも頼りない。あんまり相手を甘く見るのも考えものだからね」


 百狐の百妥の眷属けんぞく達は、無言で再び気配を消した。


***


 しかし、その時既に、朱貴軍は佑県へと入っていた。迅速を重視したのは玲爽である。


「相手にじっくり策をたてる隙を与えないこと。これは兵法の初歩です」


 手際の良い軍師の采配は、早くも行動に移っていた。



 先行した五将軍率いる二万の軍は、琢県との県境を流れる大河蓋青江がいせいこうを渡り、天蓋山脈の西端に位置する霊嶮連峰れいけんれんぽうの間に通した細い街道を進んでいた。

 これからずっと俳県の国境近くまで山道が続く。将軍としてもここは早く通り過ぎて、敵に気づかれる前に俳県に入ってしまいたい。

 右側はそのまま天蓋山脈へと続いていく高い山で、時々切り立った絶壁となる。左側は蓋青江上流の見返り渓谷が流れる。遠くで竜が鳴き、頭上を鳥が飛んで行った。

 戦争とは無縁ののどかな自然である。街道を外れれば直ぐに鬱蒼うっそうとした山となり、その暗闇には太古からみつく恐ろしい恐竜や獣達がひしめいている。山賊夜盗の残党も潜む。しかし、この大部隊の前では彼等もおとなしく鳴りをひそめているだろう。


 峠に掛かり、疲れが出てだらだらと重い足を運ぶ兵士等が叱咤されつつ長々と続く軍の列を見下ろして、趙翼が合図を送った。

 元綱が切られ、積み上げられた岩が崖の斜面を転がり落ちていく。


 予想もしていないまさかの攻撃に兵士等は驚きの声をあげ、川に落とされ、岩に潰されて混乱した。冷舟の強弩隊が立ち上がり、慌てふためく軍に重い矢を射掛ける。ばたばたと兵が倒れ、将軍達もとっさに軍を纏められない。


「敵襲だっ! 静まれっ! 隊を整えろっ!」


 声を限りに叫んでも、一度恐慌状態に陥ってしまった軍は収拾がつかない。茫然とする将軍達の前に、虎勇がぬっと立った。その背後には二千の兵。硬い虎髭を生やした熊のような大男が大きな鉄棒を振り上げて、


「俺は虎勇だ。通りたければ、俺を倒してからにしろ!」


 と、大音声でがなりたてながら近づいてくる。すごく楽しそうだ。


 わわっと退路を振り向くと、そこには虎勇より巨きな豪傑が立ち塞がっていた。がっしりした肩、巨木のような体躯。頭に青と黒のふさふさとしたたてがみがなびき、金色の眼はらんらんと力強く光る。かっと大きく開いた口裂には、大きな牙が伸びる。


「小沛の龍蘭とは俺のことだ。将軍ども、相手になってやる」


 手にした大槍をぶんと振って、大きく笑った。


「掛かれっ! 敵は少数だ! 首を挙げた者には特別恩賞があるぞっ!」


 将軍達は脅える兵士を鼓舞する。おうっと鬨が上がるところへ、龍蘭が槍を振り回し、片手で兵を薙ぎ払い、


「引けっ! 引けっ! 俺の目当ては将軍だ。抵抗しなければ助けてやるぞっ!」


 と、吠えながら進んでくる。


 前方では嬉々として暴れまわる虎勇の後ろに、ワニ族の厳牙が重い矛を振り回して兵士等を打ち伏せる。狭い山道の街道は大軍の戦には向いていない。兵士等は互いが邪魔になり、陣を組むこともできない。


 そこへ、崖の上から趙翼らが飛び降りて来て、部隊を更に寸断させた。彼等の目当ては将軍達だけである。指揮系統さえ潰してしまえば、軍は崩壊したも同然。

 軍師玲爽は人々の命の損失は例え敵であっても最小限に抑えたいと願っていた。


 三人の豪傑に加えて、崖の上から押し潰すように襲ってきた獰猛な狼人や、初めて見る巨体の手長熊らの恐ろしい姿に肝を潰した兵士等は、恐怖の声を上げて我先に渓谷へと飛び降り、転げ落ちて逃げ出した。

 

「逃げる兵士には構うなっ」


 追おうとする手長熊族らに趙翼が叫ぶ。

 果敢に踏み止まって戦う武将も、彼等の前では無力に等しく、孤立した将軍達は三人が倒され、二人が捕虜となった。二万の軍は統率者を失い、散り散りとなって、桂京に向かって逃げ落ちて行った。

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