十一の一 蓋青江の戦い――朱貴の嫉妬
見返り渓谷を抜け、山の連なる街道を出て、開けた里の外れに朱貴は軍を止めた。
この度の戦では朱貴本隊五千の軍は全く出番がなく、虎勇ら三千の兵士等にも殆ど損害はない。玲爽の迅速な進軍による奇襲が成功したのである。
ここで韋駄天の果門を琢県の高善の所へ走らせ、朱貴らは蓋青江の手前まで進んで陣を張った。進軍の速度を上げるため輜重を殆ど持ってきていない。後から来る後続の輜重隊と高善からの援助を待つのである。
朱貴は捕虜となった二将軍と会見を持った。天幕を張った本陣の中に龍蘭、虎勇、趙翼の三将軍、そして正面に朱貴、その横にいつものように玲爽が座する。
二将軍は剣を解かれ監視の兵が付いているものの、縄目は受けずに歩いてきた。朱貴は中央の椅子に座るように勧めた。二人はどちらもソル族系で、居並ぶ獰猛そうな将軍達にこわごわ視線を走らせながら椅子に座り、改めて朱貴を見た。
まだ若い男だが竜人の異相に不気味さを感じ、ぞぞっと恐れて逸らした視線の先、隣に控える文官を見て目を見張った。長い竜髭が口元から細く顎へと垂れているが、それさえなかったら絶世の美女で通りそうな美貌の若者だった。少年と言ってもいいくらいの年に見える。
何者だろうと、二人の将軍は文官の方を見つめる。
「私は俳県の県主朱貴。初めてお目にかかる。こちらは我が軍師にて宰相の玲爽」
文官が優雅に頭を下げた。将軍達はびっくりして見つめた。こんな若い男が? いや、それよりも自分達の敗戦となった奇襲を、こんな若者が策したとは。
「そこに並んでいる将軍達は既にお馴染みだな。龍蘭。貴公らが捕らえようとしている男だ。そして、虎勇と趙翼」
三将軍が睨みつけるようにして、頭を形だけ下げた。
「わしは佑県の五将軍の一人、雷然」
黒髭の男が名乗った。佑県では名の通った武人なのであろう、ごつい感じの男で、左肩を負傷している。
「同じく、干恢」
こちらは気障な感じの金髪碧眼の美丈夫だった。
「我等の待遇は如何かな。不自由されてないと思うが、何しろ野陣の事なので、多少の不便は勘弁してもらいたい」
「捕虜に対する礼節ある厚遇は感謝する」
干恢が述べた。
「しかし、見たところ、たったこれだけの兵力で、我等佑県の軍に勝てると本気でお思いか。だとすれば、とんだ大馬鹿者と申さねばならぬ。こちらの本隊はまだ出ておらず、我等、先鋒が負けたのも、ひとえに奇襲が成功したればこそ。早々に降伏なされば、貴公らの身も保証されよう。次第によっては、官職も貰えますぞ」
「貴様、我等に降伏しろと?」
気の短い虎勇が腹を立てて立ち上がるのへ、朱貴は首を振って押さえる。
「戦は兵士数ではなく、策だ。我等には軍師玲爽がいる。佑県にどれほどの軍力があろうとも、勝機は我等にある。貴公らもどちらに付いたほうが得か良く考えることだな」
朱貴の軍師への手放しの信頼に、二人は再び玲爽を見た。彼等としても、恐ろしげな顔を見ているよりも美しい顔のほうがずっといい。つい、視線は軍師の方へ行きがちだった。見つめれば見つめるほど、魂が魅入られるような美貌である。
朱貴が不興気に咳払いし、はっと顔を向ける二人に声を尖らせた。
「この度の戦、『朝』から何か沙汰があったのではないか?」
両将軍はぎくりと、顔を見合わせる。
「なるほど。これから、貴公らには否応に拘わらず、協力して貰わねばならぬかもしれぬぞ。では、また、後ほど」
捕虜達が天幕の向こうに去ったのを見送って、
「あの二人、お前の顔ばかり見ておったぞ。いけすかん奴等だ。特にあの干恢という金髪。捕虜のくせになんだ? あの態度は」
と、朱貴は腹立たしげに吐き捨てるように言う。朱貴の焼き餅である。
「自信家なのでしょう。何とか懐柔したいものです。蓋青江を渡るには、彼等の船が必要ですから」
河口には二万の兵を渡した船がある。玲爽はそれを無傷で手に入れたいと思っていた。
「軍師殿がちょっと色目を使えば、あいつ関単に落ちるぜ。だいぶ執心みたいだった。一回寝てやりゃ……」
虎勇がにやにやと明け透けな提案をしかけると、朱貴が青筋を立てて立ち上がった。
「駄目だっ! 駄目だっ! 玲爽は俺のものだ。誰も触れてはならんっ! 玲爽、お前もあんな奴に色目なんか使ったら、許さんからな。なんだ、そんな髭。ちっとも役に立っておらんではないか。これから人前に出る時は顔を隠せっ! 誰にも見せるなっ!」
よっぽど先ほどから腹に据えかねていたのだろう。嫉妬の爆発に、言いだしっぺの虎勇を始め、龍蘭、趙翼も唖然として声も出ない。
「朱貴様、落ち着いてください。お声が外に漏れてしまいます。私が愛しているのは、貴方だけなのはよくご存知でしょう。誰にも色目なんか使いません。虎勇殿の冗談です。本気になさらないでください」
玲爽も必死になって、怒り狂う朱貴を宥める。
以前、玲爽は彼の愛情が冷めてしまうのを恐れていた時があったが、今はとんでもないことだった。
朱貴は、日を追うごとに玲爽に傾倒していく。彼を片時も離さず、独占したがった。それどころか、喰いつくしてしまいたい。丸ごと全て、何もかも。
竜人にとって、性愛は食欲と一緒である。愛すれば愛するほど、身も心も奪いつくさずにいられない強烈な破壊的な欲望。それが、竜人の愛だった。朱貴の嫉妬の激しさは、だんだん手がつけられなくなってきていた。
まだ激している朱貴を、玲爽が無理やり私幕に連れ去った。
龍蘭がため息を大きくつきながら、虎勇に非難の目を向ける。虎勇は屈託ない性格で、思ったことはなんでも口にしてしまう。
「あまり不用意なことは言うな。玲爽殿が困るだろう」
「今夜はもう、軍師殿は仕事になるまい。この遅れで、支障が出たらどうする」
と、趙翼も渋い顔だ。虎勇はぷっと頬を膨らませる。
「良い案だと思ったんだけどなあ。一番、簡単に事が運ぶんだぜ。孟董の例を見ろよ。他にも軍師に夢中になって、忠誠を誓ったり、寝返ったりした奴なんか、いっぱいいるぜ。あれを使わないって手はないと思うんだがな」
「そんなことしてみろ。例えおぬしだって、朱貴に八つ裂きにされてしまうぞ。兄者の軍師への想いは、並大抵のもんじゃない」
と、龍蘭。虎勇はまん丸いどんぐり眼をぐりぐり回した。
「はっきりいって、軍師に関しては、兄貴の奴狂ってるよ。だんだんひどくなるみたいだ。そりゃ、軍師はべっぴんだし、頭は切れるし、性格もいいよ。だけど、なんだかんだ言っても男なんだぜ。それが公衆の面前でも、わざとべたついて。軍師が止めてくれって嫌がってもさ。軍師のほうは、まだ若いし、女顔を気にして、一生懸命威厳を取り繕おうとしてるのに。見ているこっちの方が目のやり場に困っちまう。おかげで、みんな、軍師と県主の仲を知っちまった」
残った三人で酒盛りを始め、虎勇は瓢箪ごとラッパ飲みで流し込みながら、盛んに息巻く。
「玲爽殿を他の奴に取られまいとする兄者の必死の策なんだろ。あれでずいぶん、軍師を口説く男が減ったのは確かだ」
虎に似た龍蘭が朱貴を弁護すれば、
「それでも、軍師殿がやり難く思っているのは否めないぜ。朱貴殿はやり過ぎる」
と、軍師絶対の趙翼が苦言する。
「もし、軍師が、万が一だぜ、万が一、玲爽が死んだりしていなくなったら、朱貴兄貴はどうなっちまうんだろう。俺、それを考えると恐ろしいんだ。心配でならねえ」
虎勇は酔いも忘れたような顔で、ぶるっと震えた。
「そんなことがあってたまるか。そうなったら、我等は全滅だぞ。兄者だって絶対そんなことがないよう、目を離さずに守っているんだから」
龍蘭が耳のように見える鋭敏な感覚触手の塊を震わせた。趙翼が尻尾をぶんと打ち振ってきっぱりと宣言した。
「俺は、いや俺達も、どんなことがあっても、命に代えても軍師殿はお護りする!」




