三の三 虎勇捕まる――玲爽の誤算
此方は、民安の役所内。官吏達が官吏長を囲んで、難しい顔を並べていた。捕らえた虎勇が、近頃名を上げてきた山賊退治の朱貴の仲間だとわかったのである。
だが、すでに盗賊の罪状で書面を県に送ってしまっていた。扱いも遺恨晴らしだったから、かなりの手荒さだった。今更、間違いでしたとはいえない。
これが露見したら、官吏長ともども、全員処罰を受けて、降等ならまだしも、職を剥奪、路頭に迷うことになるかもしれない。
「いっそのこと、今のうちに、虎勇を殺してしまいましょう。奴さえいなければ、知らぬ存ぜぬで押し通せます」
それしか方法はないと、話はまとまった。
朱貴達は、玲爽に言われた通り、役所の動きを見張りながら、町の人々から役所の酷い仕打ちの一つ一つを書面にとっていた。そこへ、果門が玲爽の書状を届けてくる。
書状には、民安の役所が都合の悪い証拠を消すために、虎勇を早々に殺そうとする可能性が高いので、事が動いたら、すぐに役所に乗り込めとあった。
県主を抱きこんでいるから、少々暴れてもかまわないとまである。虎勇殿の命を最優先に、と読み終えて、朱貴は立ち上がった。
猿喜が駆け込んできて、いよいよ虎勇が危ないと告げた。
「役所を破るぞ!急げ!」
朱貴が仲間に号令した。
役所では、虎勇を牢から出して、取調べ場に連れ出した。逆手に縛られたままの虎勇を土間に突き飛ばすと、いきなり首に縄を巻き二人掛りで締め始めた。
虎勇は必死の力を振るってその二人を跳ね飛ばす。数人が飛び掛って、土間に押さえつけ、再度首の縄を絞めようとした。
その時、表で騒ぎが起こる。騒ぎはたちまち役所内に広がり、足音が駆けてきたと思うや、数人の乱入者が飛び込んできた。
びっくりして動けないでいる役人達を、朱貴らはたちまち叩き伏せ、縄で縛ってしまった。
「兄貴!」
虎勇が歓声を上げた。朱貴と龍蘭が、虎勇のもとに駆け寄る。虎勇は縛られて転がされている役人どもを睨みつけると、
「こいつら、ひでえやつらだ。牢にいれられている連中の半分は、罪もねえ善人なんだ。みんなこいつらの欲や無理難題で掴まってるんだ。食い物も満足にくれないし、ぶつ打つ蹴ると、散々いじめやがる。俺も背中に鞭を百くらった」
服を脱いでみせると、背の皮膚が破れて真っ赤に腫れ上がり出血していた。龍蘭は眉をひそめて、虎勇の背中を布で拭ってやる。
虎勇はふと、気づいたように、
「玲爽先生は? 見えないようだが、」と、見回す。そして、
「兄貴、とうとうやっちまいましたね。これで、俺達は、お尋ね者ですかい?」
なんだか嬉しそうに言う。
「先生は、おぬしの為に、関都へ行っている。これは、先生の勧めでもあるんだ。今日、明日にでも、県主を此方に連れてくるだろう」
虎勇はびっくりした。
「そんな事、できるんですかい?」
朱貴が言った。
「先生がそう書いて寄越したのだ。そして、県主に、町の官吏どもを懲らしめてもらうのさ」
「そりゃあいい」
虎勇も大喜びした。すると、果門がにやにやして言う。
「みんな、玲爽先生が判らないかもしれないですぜ」
みんなが不審そうに見ると、
「先生、また、凄い美女に化けているんでさ。先生だって判っていても、ぼおっと見蕩れちまいますぜ」
と、言う。朱貴は案じるように眉を寄せ、虎勇と趙翼は顔を見合わせた。
そうこうしているうちに、表が賑やかになった。朱貴らが出てみると、はや、武興が配下の兵を連れて到着していた。
半壊している役所を眺め回し、供の兵に、倒れている者の手当てをさせている。
朱貴らは表に出て、武興の前に平伏する。
すると、乗り物の陰から美女が飛び出してきて、虎勇に抱きついた。
「兄さん、兄さん、無事だったのね!」
目を白黒させる虎勇に、
「玲爽です。うまく合わせてください」と、素早く囁く。
「い、いも、いも、芋じゃない、いもうとよ。し、しんぱい、かか、かけた、な」
虎勇が慣れない芝居を棒読みでうつ。内心、玲爽の美女ぶりにくらくらしている。
ぼおっと、これも見蕩れていた朱貴もはっと我に返って、県主の前に進み出ると、兼ねて用意していた書状を恐れながらと差し出した。
玲爽も、虎勇と進み出て、
「御前様、悪い官吏らめを処罰してくださいませ」と、訴えた。
虎勇を殺そうとした事実があるし、書状にはこれまでの不正悪行が記されていたので、官吏長はじめ役人一同は、県主の権力の前に、どんな申し開きもできず、ことごとく捕縛され、あらためて県の刑吏に引き渡されることになった。
そのまま、武興は、朱貴ら一行を伴って、関都に引き上げた。
***
関都に戻ると、玲爽はそのまま武官に促される形で、半ば強引に武興の私室に連れて行かれた。
目的を達したのだから、何とか逃げ出そうとするのだが、なぜか見張りの目が厳重で逃げ出す隙がない。朱貴とも連絡がとれないまま夜になり、武興が来てしまった。
「御前様にはなんとお礼を申してよいかわかりません。どうぞ、兄のもとへ参らせてください」
玲爽は拱手拝礼して頼む。
「もう、芝居はよいぞ、虎玲、いや、玲爽」
ぎょっとして顔を上げると、武興のぎらぎらした視線に出会った。その視線は、美貌の少年にとって、あまりに馴染みのものだった。身を翻して扉に手をかけたが、外から鍵がかかってびくともしない。
「よくぞ、わしを欺いてくれた。竜人の朱貴を見て、わしはぴんときたのだ。金猛を倒した一行に、玲爽という文人が加わったと聞いている。お前だろう」
武興は獲物をいたぶるように、ゆっくりと近づいてきた。玲爽は相手を見くびりすぎていたと悟った。ただの私利私欲を肥やすだけの暗愚な県主ではない。どうして、なかなか切れる。
伸ばして来た手をかわして抗うと、武興は手近の燭台で殴り飛ばした。床に倒れて呻く彼を捉える。
「礼をしてもらうぞ」
力ずくで押さえ込まれ、玲爽はいくら歯軋りして悔しがっても、どうにもならなかった。
***
翌朝、武興の留守の隙に屋敷を抜け出し、玲爽は仲間が逗留している宿へと走った。
ここにはもう一日とてもいられない。早く逃げ出すのだ。走りながら、涙が零れそうだった。
だが、宿に戻った彼を待っていたのは、朱貴と仲間達が県府の役人に任命されたという報せだった。
「先生、どうしよう」
朱貴の当惑した声を、彼は奈落の底に突き落とされる思いで聞いていた。
武興の奴。なんて抜け目のない男。返す返す自分の読みの甘さに反吐が出る。朱貴や仲間に、先生だ軍師だとちやほやされて慢心していた自分への罰だ。稚拙な策のせいで、何もかも取り返しがつかなくなってしまった。
武興が朱貴や自分を官僚に組み込んだのは、彼を手元に置くためだけではない。山賊退治で名を馳せてきた朱貴を利用しようとしているのだ。
英雄朱貴を配下に組み入れれば、民人や近隣諸国への威圧になる。そして、有事の際には格好の捨て駒にとなるだろう。
玲爽は、それでも、気を静めて落ち着いた声で朱貴に向かって言った。
「武興は我々の名を知ってそれを利用しようというのです。このままでは、武興の思いのままに操られるだけとなるでしょう」
「だが、どうしたらいい? 勝手にやめたら、それを理由に追っ手が出て我々は犯罪者として追われるだろう」
朱貴が案じ顔で言った。
「しばらく時期をみるしかありますまい。民安の現状は、すなわち、県下のどこにも当てはまることなのです。腐敗の根本は、そもそも県主の武興にあるのですから。やはり、ここはひとつ、武興を廃すしかないでしょう。そのためには、良く策をめぐらさねばなりません。今のところは、武興に懐いた様子をみせて、辛抱いたしましょう」
玲爽が方針を示した。こうして、朱貴らは、一夜にして、県の官吏になってしまったのである。




