第34話:死の黒砂漠と二人の逃亡者、そして絶対的蹂躙
第34話:死の黒砂漠と二人の逃亡者、そして絶対的蹂躙
数十年間、アルカディア王国において誰一人として生還した者のいない『真の深層』。
『悠久の大迷宮』第9階層――『瘴炎の黒砂漠』。
重厚な大扉を押し開けたトウヤたちを待っていたのは、文字通りの地獄だった。
視界の果てまで続く、墨を流したような漆黒の砂漠。そこかしこから赤黒いマグマが噴き出し、空気には肺を焼くような猛毒の瘴気が満ちている。
熱と毒。ただ呼吸をするだけで命が削られていく、生物の生存を徹底的に拒絶する環境。
「……うわぁ。これはまた、とんでもない所に泥を塗ってくれたな」
ジンが顔をしかめて外套の襟を立てる。
「だが、俺たちには関係ないな! トウヤの『迷宮踏破者の外套』と、俺の【魔力城塞】があれば、瘴気も熱も完全に弾き返せる!」
ガレスが笑い飛ばすとおり、彼らの周囲にはトウヤのスキルとガレスの防御力が融合した『不可視の結界』が張られ、毒も熱も一切侵入を許していなかった。
「ピィィッ!(前方から、大きいの来るよ!)」
上空を旋回するクーの念話と共に、黒い砂を巻き上げて巨大なサソリ――いや、上半身が溶岩の巨人で下半身がサソリという悪夢のような魔物『マグマ・スコルピオ』が三体、姿を現した。
「よし、第9階層の初戦闘だ! ジン、ルミナ、牽制! クロは死角を突け!」
「応ッ!」
トウヤの【神眼の指揮】が飛び、完璧に仕上がった陣形が火を噴く。
ルミナの【精霊共鳴】による絶対零度の氷槍がマグマの巨体を急冷して動きを止め、ジンが【直感回避】でサソリの尾の猛毒攻撃を躱しながら関節を破壊する。クロが【次元影跳躍】で空間を無視して背後に現れ、急所を噛み砕く。
そして、トウヤの『幻影の解体短剣』から放たれる【空間斬り】が、分厚い溶岩の装甲ごと魔力コアを真っ二つに両断した。
「よし、瞬殺だな。……おっ、このサソリの尻尾の付け根、毒袋を避ければ『極上の赤身肉』が詰まってるぞ! マグマの熱でいい具合にローストされてる!」
トウヤは一切の恐怖を感じる様子もなく、新たな階層の「新食材」に目を輝かせていた。
***
――トウヤたちが黒砂漠の入り口で呑気に食材収穫をしていた頃。
そこから数キロ離れた砂漠の奥地で、二人の少女が背中合わせになり、絶望的な死闘を繰り広げていた。
「ハァ……ッ、ハァ……! マリア、結界の残りは……!?」
「もう、魔力が……数分も、持ちません……!」
身の丈ほどもある大剣を構え、全身傷だらけで荒い息を吐くのは、没落した武門の貴族を再興するため、迷宮の奥底に眠るという『幻の宝薬』を求めて潜ってきた剣士、エリス。
その背中にすがりつくようにして、淡い光の結界を維持しているのは、教会の権力闘争に巻き込まれ「異端」の烙印を押されて追放された聖女、マリアである。
二人は上の階層で偶然出会った。追手から逃れるマリアと、一攫千金を狙うエリス。互いの孤独と覚悟に共鳴した彼女たちは、協力して下層へと進んだが、第8階層の空間の歪みで退路を絶たれ、あろうことかこの第9階層へと落ちてきてしまったのだ。
「ギシャァァァァァッ!!」
彼女たちを包囲しているのは、体長十メートルを超える漆黒の腐食竜『カース・ドラゴン』。全身から致死性の瘴気を撒き散らし、触れたもの全てを溶かす強酸のブレスを吐く、第9階層でも最悪の捕食者である。
マリアの『聖女の結界』と解毒魔法があったからこそここまで生き延びたが、それもいよいよ限界だった。
「……ごめんなさい、エリスさん。私さえいなければ、あなたは……」
「馬鹿を言うな! お前の回復魔法がなければ、私はとっくに第7階層で骨になっていた! ……家門の再興は叶わなかったが、最期まで貴族の誇りにかけて、お前だけは守り抜く!」
エリスは血を吐くような覚悟で大剣を握り直すが、その腕は重度の火傷と疲労で限界を超え、小刻みに震えていた。
カース・ドラゴンが大きく息を吸い込み、喉の奥で赤黒い強酸のブレスが光を放つ。
(……これまでか)
エリスが目を閉じ、マリアが震えながら祈りの言葉を紡いだ、その瞬間だった。
「ピルルゥゥゥッ!!」
突如、天空から鼓膜を劈くような甲高い鳴き声が響き渡った。
次の瞬間、空から『巨大な重力の塊』が隕石のように降り注ぎ、ブレスを放とうとしていたカース・ドラゴンの頭部を、黒い砂の中へと強引に叩き伏せたのだ。
「ギャァァァッ!?」
「な、何が……!?」
エリスとマリアが呆然と目を見開く中、彼女たちの目の前の空間が『歪んだ』かと思うと、そこから漆黒の巨大な狼――クロが音もなく飛び出した。
「ワォンッ!!」
クロの【次元影跳躍】からの【噛み砕く牙】が、カース・ドラゴンの強酸を纏った翼の骨を、まるで枯れ枝のようにボキィッ! と粉砕する。
「な、なんだあの狼は!? 瘴気を全く受けていない!?」
「あの上空の鳥も……! 一体、何が起きているの……?」
混乱する二人の耳に、地鳴りのような男の咆哮が届いた。
「お前たち! よくここまで持ち堪えたな! あとは俺の盾に任せろォォッ!! 【魔力城塞】!!」
巨漢の戦士ガレスが二人の前に躍り出ると、彼が構えた『翠緑の金剛盾』から巨大な光の城壁が展開され、カース・ドラゴンの撒き散らす瘴気を一瞬にして完全に浄化・遮断した。
「精霊よ、集え。裁きの雷を……【トール・ハンマー】!!」
さらに後方から、銀髪のエルフの少女・ルミナが放った極大の雷撃が、ドラゴンの巨体を焼き焦がす。
「ヒャッハー! 腐食竜の鱗の隙間、丸見えだぜ!」
眼帯をした斥候の青年・ジンが【直感回避】でドラゴンの暴れる尻尾を軽々と躱し、装甲の隙間に短剣を突き立てて動きを完全に封じ込めた。
「な……なんなの、この人たち……?」
エリスは大剣を落とし、へたり込んだ。
王国最強の近衛騎士団でも太刀打ちできないであろうカース・ドラゴンが、突如現れた数人の男女と二匹の獣によって、まるでおもちゃのように蹂躙されているのだ。
「よし、トドメだ。……おっ、こいつの尻尾の肉、ちょっとクセが強そうだけど、赤ワインで煮込めば美味く食えそうだな」
そんな場違いな呟きと共に、最後に現れたのは、ごく普通の青年のように見える探索者――トウヤだった。
「シッ!」
トウヤの足が地面を蹴ったと思った次の瞬間、彼の姿はドラゴンの懐へと完全に消失し、直後、ドラゴンの分厚い首が、音もなくズレて滑り落ちた。
『幻影の解体短剣』と【空間斬り】による、一切の抵抗を許さない絶対的な一撃。
カース・ドラゴンの巨体が地響きを立てて崩れ落ち、光の粒となって消滅した。
「ふぅ、片付いたな」
トウヤは短剣の血を払い、鞘に納めると、ポカンと口を開けて固まっているエリスとマリアの方へと振り返った。
「だ、誰……あなたたち、は……?」
マリアが震える声で尋ねる。
「俺たちは『悠久の踏破者』。ただの迷宮探索パーティーさ」
トウヤは二人のボロボロの姿と、空腹でげっそりと痩せこけた頬を見て、いつものように柔らかな、しかしどこか悪魔的なキャンパーの笑顔を浮かべた。
「君たち、ひどい傷だし、ずっとまともな飯を食ってないだろ? とりあえず、安全な『テント』を張るからこっちにおいで。……腹、減ってないか?」
「え……? テント……? ご飯……?」
死の黒砂漠のど真ん中で、数秒前まで死にかけていたというのに、突然「ご飯にしよう」と言い出した青年の言葉に、エリスの思考は完全にショートした。
しかし、限界を迎えていたマリアの胃袋が、キュルルルルゥゥ……! と、この地獄のような第9階層に、不釣り合いなほど可愛らしく、そして大きな音を響かせてしまった。
「あ……ぅぅ……」
顔を真っ赤にして俯くマリア。それを見たエリスの胃袋も、釣られたように盛大に鳴る。
「ガッハッハ! 元気が一番だ! さあ、トウヤの飯は最高だぞ!」
ガレスが豪快に笑い、ジンとルミナも「また新しい『被害者(胃袋を掌握される者)』が増えたな」と苦笑しながら二人を抱き起こした。
前人未到の第9階層。死と絶望が支配する黒砂漠で、追放された聖女と没落令嬢は、最強の蹂躙者たちと、彼らがもたらす「未知の飯テロ」という、新たな運命(と究極の美味)に巻き込まれていくのだった。




