第30話:隻眼の麻痺と、首無し騎士の蹂躙、そして芳醇なる王茸のクリームシチュー
第30話:隻眼の麻痺と、首無し騎士の蹂躙、そして芳醇なる王茸のクリームシチュー
『悠久の大迷宮』第7階層、地下廃都。
暗殺ギルドのしがらみを断ち切り、晴れて『悠久の踏破者』の専属斥候となったジンは、先行して裏路地の暗闇を駆け抜けていた。
(……前方三十メートル、曲がり角の先にスケルトン・ナイトが三体。だが、あいつらの足元には……おおっ! まだ未収穫の『発光ネギ』が群生してやがる!)
かつての彼なら、アンデッドの群れを見つければ息を殺して迂回するか、冷や汗を流しながら逃げる算段を立てていたはずだ。
しかし今の彼は、魔物の脅威よりも「食材の有無」でテンションが上がるという、トウヤの狂気的な『スロー踏破』の思考に完全に毒されていた。
「トウヤの兄貴! 前方に骨騎士が三体! その足元にネギの群生だ!」
ジンが後方へハンドサインと小声で伝達する。
「了解だ! ネギを傷つけないように、ルミナの魔法は無し! ガレスとクロで一掃するぞ!」
「ガッハッハ! 任せろ!」
「ワォンッ!」
トウヤの指示が飛ぶや否や、ガレスが大盾を構えて突撃し、スケルトン・ナイトたちを文字通り「粉砕」する。体勢を崩した骨騎士の兜を、クロが【影渡り】からの強烈な一撃で叩き割り、戦闘はわずか十秒で終了した。
「よしよし、いいネギだ。これは今日の夕飯に使えるぞ」
ホクホク顔でネギを採取するトウヤの横で、ジンはふと我に返り、両手で顔を覆った。
「……ダメだ。俺の斥候としての常識が、完全にぶっ壊れてきてる。魔物より食材を優先して索敵する日が来るなんて……」
「ジンさん、諦めてください。このパーティーにいる限り、常識という言葉は調味料以下の価値しかありませんよ」
ルミナが優雅に微笑みながら、恐ろしい真理を口にする。
その時だった。
「――ッ!」
ジンと、上空を旋回していたクーが、ほぼ同時に鋭い反応を示した。
「ピィィィィィッ!!(兄貴、前方の大広場からヤバいのが来る!)」
「トウヤの兄貴! 前方の巨大な石造りの建物の奥から、桁外れの魔力反応だ! こいつは……この階層の『主』に近い、サブボス級の化け物だぞ!」
ジンの緊迫した叫びに、パーティーの空気が一瞬だけピリッと引き締まる。
地響きと共に現れたのは、巨大な骸骨の馬に跨り、漆黒の重鎧を纏った首の無い騎士――『エルダー・デュラハン』だった。その手には、禍々しい紫色の魔力を帯びた巨大なランスが握られている。
「第7階層のサブボスか……! トウヤ、どうする!?」
ガレスが大盾を構え直す。しかし、トウヤの視線はデュラハンではなく、その後ろにある崩れた神殿の奥に向けられていた。
「ジン! あのデュラハンの後ろの祭壇みたいな場所、何かあるか!?」
「えっ? あ、ああ……【気配察知】に強烈な自然の魔力が引っかかる! 間違いねえ、あの奥に超レアな『特産品』か宝箱があるぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、トウヤの目に獰猛なキャンパーの光が宿った。
「よし、あの首無し騎士は『レア食材の番人』だ! 全力で排除するぞ!!」
「「「応ッ!!(了解!)」」」
「ワォォォン!」「ピルルッ!」
食材のためなら神をも殺す勢いの『悠久の踏破者』たちが、一斉に牙を剥いた。
「ギギギギ……ッ!!」
エルダー・デュラハンが骸骨馬を駆り、必殺のランスチャージを仕掛けてくる。紫色の魔力が渦巻き、岩盤すら消し飛ばす凶悪な突進。
「その大味な突撃、俺の目は誤魔化せねえよ!」
ジンが【暗殺者の歩法】で音もなく横合いから滑り込み、骸骨馬の関節に短剣を突き立てて体勢を僅かに崩させる。
「来い、首無しッ! 【鉄壁・極】!!」
体勢が崩れ、威力が削がれたランスチャージを、ガレスの『翠緑の金剛盾』が真正面から受け止める。凄まじい衝撃波が廃都の石畳を吹き飛ばすが、ガレスは一歩も後ろに下がらない。
「ルミナ! 鎧を焼け!」
「はいっ! 雷の精霊よ、天の裁きを下せ! 【トール・ハンマー】!!」
ルミナの放った無詠唱の極大雷魔法が、デュラハンの漆黒の鎧を直撃する。金属の鎧は雷撃を完全に通し、デュラハンは「ギィィィッ!?」と苦悶の声を上げて激しく痙攣した。
「クー! クロ!」
「ピィィッ!」
上空からクーが放った【風の刃】が、デュラハンのランスを持つ腕の関節を正確に切り裂き、武器を奪い取る。そして、クロが【影渡り】で背後に回り込み、強靭な顎でデュラハンの鎧の隙間――首の断面に噛み付いて強引に地面へと引き摺り倒した。
「これで、終わりだ」
完全に行動不能となった巨体の前へ、トウヤが【無音連殺】の滑らかなステップで肉薄する。
『幻影の解体短剣』が、流星のような軌道を描く。トウヤは【共鳴連撃】の補正を受け、デュラハンの鎧の最も脆い継ぎ目から、胸の奥にある魔力コアだけを正確に一刀両断した。
ドゴォォォォンッ……!!
第7階層のサブボスたるエルダー・デュラハンは、五人の完璧すぎる蹂躙の前に、何一つ見せ場を作ることなく光の粒となって消滅した。
「……ははっ。一瞬じゃねえか」
ジンが短剣をクルクルと回しながら、呆れ果てたように笑う。
強敵との死闘の緊張感など、このパーティーには一切存在しなかった。
「よし! ボスも倒したし、お宝の確認だ!」
トウヤが小走りで祭壇の奥へと向かう。そこには宝箱ではなく、濃厚で芳醇な土の香りを放つ、子供の頭ほどもある巨大なキノコが群生していた。
「おおおおッ!! これは『地下王茸』じゃないか! しかもこんなに大量に!」
トウヤが歓喜の声を上げる。
「ロイヤル・マッシュルーム……王侯貴族しか口にできないという、幻のキノコですか!? それがあの首無し騎士の守っていたお宝……!」
ルミナが目を輝かせ、ジンとガレスもゴクリと喉を鳴らした。
***
「よし、今日の激戦(?)を労って、今夜はこの『地下王茸』を主役にした極上の夜飯にするぞ!」
安全な場所にテントを展開し、トウヤはさっそく調理に取り掛かった。
本日のメニューは『厚切りベーコンと地下王茸の特濃クリームシチュー 〜ガーリックバゲット添え〜』である。
以前の階層で狩って塩漬け・燻製にしておいた特大の豚肉を極厚に切り出し、スキレットでこんがりと炒める。脂が滲み出たところに、大きくカットした地下王茸と発光ネギを投入。
ジュワァァァァッ!! と炒め合わせた瞬間、王茸が持つ「トリュフとポルチーニを合わせたような」圧倒的で暴力的な香りが、テント内に大爆発を起こした。
「うおおお……っ! なんだこの匂いは!? 鼻から脳みそがトロけそうだぞ……!」
ジンがフラフラとコンロに引き寄せられ、クロとクーはすでに床で涎の海を作って倒れ伏している。
トウヤはそこに、迷宮牛のミルク、濃厚なバター、そして少量の小麦粉とチーズを加えてグツグツと煮込み、極上のシチューを完成させた。隣のコンロでは、バゲットに特製のガーリックバターをたっぷりと塗ってカリカリに焼き上げている。
「完成だ! 熱いうちにバゲットを浸して食ってくれ!」
皿に盛られた、黄金色に輝くトロトロのクリームシチュー。
ジンは震える手でガーリックバゲットをシチューに浸し、王茸の欠片と一緒に大きく口へと運んだ。
「――――ッッ!!」
ジンの右目が、カッと見開かれた。
噛んだ瞬間、王茸から弾け飛ぶ芳醇な香りが鼻腔を突き抜け、ベーコンの強烈な旨味とミルクの優しいコクが、味覚のすべてを優しく、そして力強く蹂躙する。カリカリのバゲットがその極上のスープをたっぷりと吸い込み、ガーリックのパンチが食欲をどこまでも加速させていくのだ。
「う、うめぇ……!! 香りが……旨味が、口の中でずっと暴れ回ってる……! 俺、生きててよかった……っ!」
「美味しいです! シチューの海で溺れたい……!」
「ガッハッハ! このバゲットってやつ、いくらでも腹に入るぞ!」
ジンが涙を流して絶賛し、ルミナは頬をシチューで汚しながら満面の笑みを浮かべ、ガレスは無限にバゲットを要求する。
トウヤも熱々のシチューを堪能し、「うん、完璧な美味さだ」と自画自賛の笑みをこぼした。
***
「ふぅ……食った食った。みんな、最高にいい食べっぷりだったな」
食後のハーブティーを飲みながら、トウヤは空中にステータスボードを展開した。
「さて、恒例のステータス確認だが……。うん、見事に全員の経験値バーがピタリと止まったな。ジンの罠解除や隠密のスキル熟練度も、この数日でカンスト状態だ」
トウヤの言葉に、全員がステータスボードを見上げる。あのエルダー・デュラハンを倒してすら、経験値は微動だにしていなかった。それは、この第7階層から「これ以上得られる戦闘の教訓は何一つない」という完全クリアの証明である。
「食材の『地下王茸』も一生分ストックできたしな。……よし、明日からいよいよ、未知の第8階層へ潜るぞ」
トウヤが力強く宣言した。
「第8階層、か……」
ジンがコーヒーのマグカップを置き、少しだけ真剣な顔つきになった。
「トウヤの兄貴。ギルドの資料によれば、第8階層から先は『環境そのものが牙を剥く領域』だ。強烈な魔力異常や地形の狂いが生じていて、追跡魔法や匂いによる『外部からの索敵・追跡』が一切無効化されるっていう、文字通りの『境界線』だぜ」
それを聞いたルミナの長い耳が、ピクッと反応した。
「……追跡魔法が、一切無効化……。それって、どれだけ優秀な魔法使いでも、私たちの居場所を特定できなくなるってことですか?」
「ああ、そういうことだ。お偉い貴族の騎士団だろうが、エルフの精鋭部隊だろうが、第8階層に足を踏み入れたら最後、足跡一つ追えなくなる迷子の森だ」
ジンがニヤリと笑って答える。
ルミナは胸の前で両手を組み、深く、深い安堵の息を吐き出した。
ファエレン長老が差し向けたであろう追跡の恐怖が、これで完全に払拭されるのだ。
(お父様……。私、もう絶対に里には戻りません。だって、こんなに優しくて強くて、毎日最高のご飯を食べさせてくれる居場所を見つけてしまったんですから!)
「追跡が無効化される階層か。スロー踏破にはもってこいの隠れ家だな」
トウヤは笑いながら、全員の顔を見回した。
「どんな過酷な環境が待っていようと、俺たちの連携とこのテントがあれば関係ない。美味い食材を求めて、明日もガンガン(ゆっくり)進むぞ!」
「「「応ッ!!(はいっ!)」」」
「ワォン!」「ピルルッ!」
王都の暗殺ギルドも、エルフの精鋭騎士団も、もはや彼らの影すら踏むことはできない。
常識外れの強さと底なしの食欲を持つ『悠久の踏破者』の六人は、絶対安全圏となる第8階層の未知なる美味に向けて、意気揚々と歩みを進めるのであった。




