第187話:終焉の重力嵐を歩く美食家たちと、最短距離の『直進劇』
### 第187話:終焉の重力嵐を歩く美食家たちと、最短距離の『直進劇』
『悠久の大迷宮』第98階層――『神域・終焉の重力核と極星の深淵』。
一歩足を踏み入れれば、致死量の重力圧が全身の骨を軋ませ、内臓をひしゃげさせる絶対死の領域。空間には漆黒の『重力球(極小のブラックホール)』が無数に浮かび、そこから吹き荒れる重力嵐は、神話級の金属であるミスリルすらも数秒で紙切れのように圧縮してしまう。
「(……ふむ。確かに、肩に少しばかり重しが乗っているような感覚じゃな)」
ガレスが、大盾を肩に担ぎながら、豪快に髭を撫でた。
「(ええ。前髪が重力に引かれて少し鬱陶しいですわね。ですが、お腹が空いている今の私たちを止めるほどの足枷にはなりませんわ)」
エリスが、自身の周囲に渦巻く致死の重力波を、大剣から放つ【剣気】だけでサラリと弾き飛ばしながら優雅に歩を進める。
ルミナとマリアは【聖光結界】と【重力反転の術式】を常時展開することで自身の周囲の空間圧を正常化し、ジンに至っては【幻影歩法】によって自身の質量そのものを極限まで軽く(ほぼゼロに)することで、重力嵐の中をスキップでもするように軽快に進んでいた。
「(おう、みんな。足元には気をつけろよ。うっかりその辺の重力球に吸い込まれたら、肉の鮮度が落ちるかもしれないからな)」
トウヤは、『拠点創造』のスキルを応用し、自身と仲間たちの足元にだけ【絶対的に座標が固定された見えない床】を瞬時に創り出しながら、まるで舗装された平坦な道を歩くように深淵を進んでいた。
普通の冒険者、いや、人類の頂点に立つ者たちであっても、この階層では「いかに重力の流れを計算し、引力を利用して次の安全地帯へ跳躍するか」という、血を吐くような頭脳戦と死の綱渡りを要求される。
だが、トウヤたち『悠久の踏破者』の六人と三匹にとって、この第98階層の環境は「少し風が強くて歩きにくい、星空の綺麗なキャンプ場」程度の認識でしかなかった。
「(さてと。羅針盤は96階層からずっと使い物にならねえから……今回も俺の鼻が頼りだ。みんな、俺の『匂いセンサー』に文句はないな?)」
「(ヒャッハー! 96階層も97階層も、トウヤの勘だけでボス部屋に直行できたんだ! お前の鼻以上に信用できるナビゲーションなんて、この世界に存在しねえよ!)」
ジンが双短剣を鳴らして笑う。
トウヤは、吹き荒れる重力嵐の中に立ち、目を閉じて深く息を吸い込んだ。
「(……スン、スゥゥゥン……)」
あらゆる魔力、重力のノイズ、次元の歪みを削ぎ落とし、ただ純粋な『食材の匂い』だけを探り当てる究極の美食嗅覚。
「(……よし、捉えた。あっちだ)」
トウヤが指差したのは、無数の重力球が密集し、視界すら歪むほどの超高重力バリアが展開されている『階層の中心方向』であった。
「(あっちの奥から……『極限まで圧力をかけられて旨味が凝縮された、超絶濃厚な重力熟成肉』の匂いがする。……間違いない、次の中継地点か、ボスの間だ)」
「(ガッハッハ! ならば進む道は一つ! 邪魔な重力球など、全て叩き割って真っ直ぐ進むのみじゃ!!)」
ガレスが、大盾を構えて先頭に立つ。
本来、この第98階層は『重力球の引力を利用したスイングバイ(軌道計算による移動)』を繰り返し、迷路のように張り巡らされた見えない重力流を読み解きながら、数ヶ月かけて迂回していくのが「正規のルート」である。
しかし、彼らにはそんな繊細な迷宮探索の常識など通用しなかった。
「(おいジン! 右から『アストラル・グラビティ・ビヒモス(神話級・超重力獣)』が来るぞ!)」
「(任せとけトウヤ! 【幻影歩法・質量ゼロ断ち】!!)」
重力流に乗って音速で突進してきた超巨大な魔獣に対し、ジンは重力の影響を一切受けない神速のステップで懐に潜り込み、その足の腱を鮮やかに切断する。
「(倒れたところを頂きますわ! お肉を圧縮させすぎないように……【渾身撃・無振動の重力相殺斬り】!!)」
エリスが、敵の放つ重力波と全く逆のベクトルを持たせた剣閃を放ち、魔獣の強靭な肉体を、細胞一つ潰すことなく綺麗に両断する。
ズバァァァッ!!
神話級の重力獣は、自らの重力圧すら活かせないまま光の粒子となり、『極上の重力圧縮ブロック肉』としてアイテムボックスへ収まった。
「(よし、ナイス解体だ! ……おっと、目の前の重力球が邪魔で直進できねえな。ルミナ、マリア!)」
「(はいっ! 【聖極氷結・重力核凍結】!!)」
魔術師二人が、進路上にある『極小ブラックホール』そのものを絶対零度で凍りつかせ、一時的に引力を機能不全に陥らせる。
「(凍った隙に砕く! 【流転の盾・特大質量バッシュ】!!)」
ガレスの物理法則を無視したシールドバッシュが、凍結した重力球をガラス玉のように粉砕した。
パキィィィンッ!!
空間を歪めていた重力の要が破壊され、一直線に伸びる安全な「道」が開かれる。
「(よし! 匂いは真っ直ぐ続いているぞ! このままのペースで直進だ!!)」
「「「オォォォォォォォッッ!!!!」」」
神が数百年かけて構築した『計算と忍耐の重力迷宮』は、トウヤの「美味い匂いがするから真っ直ぐ行こう」という身も蓋もない食欲と、それを実現してしまう絶対的な武力によって、ただの【障害物競走】へと成り下がっていた。
***
――数時間後。
「(……ん? おい、あれを見ろ)」
直進を続けていたトウヤが、足を止めて前方を見据えた。
吹き荒れていた重力嵐が嘘のように静まり返った、凪の空間。
その中心に、見慣れた『純白の建造物』――中ボスが待ち受けるセーフエリアの手前の門――が、静かに佇んでいたのである。
「「「…………あれ?」」」
悠久の踏破者たちは、全員で顔を見合わせた。
「(……トウヤ様。私たち、この階層に降りてからまだ【半日】も経っていませんわよね?)」
エリスが、狐につままれたような顔で首を傾げる。
「(ああ。確かに道中で重力球をいくつかぶっ壊して、魔獣を狩りながら進んだが……いくらなんでも、中間地点に着くのが早すぎないか?)」
トウヤも、自身の時計(体内時計)を確認しながら呆気にとられている。
「(ガッハッハ! 何を言うか! トウヤの『極上肉センサー』が真っ直ぐここを指し示しておったのじゃ。迷宮の構造など関係なく、最短距離を突っ切った結果に過ぎんわい!)」
ガレスが腹を抱えて大笑いする。
彼らは気付いていない。
この第98階層は、重力によって空間が歪められているため、通常ならば「真っ直ぐ進んでいるつもりでも、いつの間にか元の場所に戻っている」という無限ループのギミックが施されていた。
しかし、トウヤの【嗅覚】は空間の歪みなどお構いなしに「匂いの源流」だけを捉え、それを信じた仲間たちが進路上の重力ギミック(歪みの原因)を全て物理的に破壊してしまったため、文字通りの『直線ルート』が開通してしまったのである。
「(まぁ……着いちまったもんは仕方ねえな!)」
トウヤはニヤリと笑い、純白の門を指差した。
「(この先に、98階層の中ボスがいるはずだ。あの門の向こうから、さっきからずっとヤバいくらい美味そうな匂いが漂ってきてるからな!)」
「(ヒャッハー! 最高だぜ! サクッと中ボスを平らげて、セーフエリアで極上の重力肉キャンプと行こうや!)」
ジンが双短剣を鳴らし、マリアやルミナたちも嬉しそうに頷く。
普通ならば何ヶ月も重力嵐の中を彷徨い、心身共に削られた末に辿り着くはずの中間地点。
そこへ、わずか半日の「食欲に任せた散歩」で到達してしまった彼らの顔には、疲労の色など微塵もなく、ただ【極上の飯(中ボス)】への期待だけが満ち溢れていた。
「(よし、行くぞみんな! 98階層の中ボス、美味しく捌いて頂こうぜ!!)」
「「「いただきます(オォォォォォォッ)!!!!」」」
迷宮の理不尽すらも食い破る最強の美食家たちは、底なしの胃袋を鳴らしながら、中ボスの待つ試練の間へと意気揚々と足を踏み入れていくのであった。




