第12話:盤石なる三位一体と、スロー踏破の真意、そして熱々カニクリームコロッケ
第12話:盤石なる三位一体と、スロー踏破の真意、そして熱々カニクリームコロッケ
ガィィィィィンッ!!
第3階層、地下湖のほとり。鼓膜を劈くような金属の衝突音が、湿った洞窟内に反響した。
軽自動車ほどの巨体を持つ『巨岩蟹』が、丸太のように太いハサミを全力で振り下ろした先。そこには、身の丈ほどもある大盾を構え、岩のように微動だにしない巨漢の騎士――ガレスの姿があった。
「ふんっ、その程度のなまくらハサミで、俺の盾が抜けると思ったか!」
ガレスがニヤリと笑い、大盾を押し返す。巨岩蟹は自らの攻撃を完全に受け止められ、信じられないといった様子で一瞬硬直した。
「クロ、今だ!」
「ガゥッ!」
トウヤの指示が飛ぶと同時、巨岩蟹の足元の影から、漆黒の狼が弾丸のように飛び出した。
クロの新たなスキル【影渡り】によるゼロ距離からの強襲。クロは巨岩蟹の柔らかい関節部分に深々と牙を突き立て、そのまま強引に巨蟹の体勢を崩させる。
「よし、完璧だ」
その時、トウヤはすでに巨岩蟹の死角――無防備に晒された首元の装甲の隙間へと滑り込んでいた。
【無音連殺】の滑らかなステップから放たれる、淀みない【急所突き】。トウヤの短剣が、寸分の狂いもなく巨岩蟹の生命線を断ち切った。
ズシンッ、と巨蟹が崩れ落ち、光の粒となって消えていく。後に残されたのは、極上のカニ肉が詰まった巨大なハサミと甲羅だった。
「お疲れ、二人とも。見事な連携だったな」
「ワフッ!」
「ああ。俺が前で受け止め、クロ殿が撹乱し、トウヤが仕留める。……我ながら、恐ろしいほどに完成された陣形だ」
ガレスは大盾を下ろし、満足げに汗を拭った。
ガレスが仲間になった翌日、トウヤは第4階層の密林から、あえてこの第3階層の地下湖へと「後退」する決断を下した。
理由は明確だ。新メンバーを加えた新しい連携陣形を、未知の危険が潜む第4階層でぶっつけ本番で試すなど、トウヤの信条である「安全第一」に反するからだ。勝手知ったる第3階層で、なおかつ「極上のカニ肉」というご褒美を稼ぎながら、じっくりと3人の連携を磨き上げる。それがトウヤの選んだ道だった。
そしてその目論見は見事に当たり、ここ数日の訓練で、ガレスの【大盾術】と【挑発】を組み込んだ『三位一体』の連携は、もはや芸術的なまでの完成度を誇っていた。
「よし、カニのストックもまた増えたし、今日の訓練はこれくらいにしておこう。……飯にするぞ!」
「待ってました!!」
「ワォォォォン!!」
トウヤの言葉に、一人の元騎士と一匹の影狼が、まるで子供のように目を輝かせて歓声を上げた。
***
【拠点創造】で展開されたマジックテントの中。
本日のメインディッシュは、連日のカニ料理の集大成とも言える一品だった。
「今日は、ケイブポテトとカニ肉をたっぷり使った『特濃カニクリームコロッケ』だ」
トウヤは、あらかじめ異空庫で仕込んでおいたタネを取り出した。
濃厚なミルクとバター、そして大量のカニミソとほぐし身を練り込んだベシャメルソースに、マッシュしたケイブポテトを混ぜ合わせ、小判型に整えてある。それを小麦粉、卵、パン粉の順にくぐらせ、熱したたっぷりの油の中へ静かに投下した。
ジュワァァァァァッ!!
テント内に、食欲を暴走させる極上の揚げ音が響き渡る。
パン粉がキツネ色に揚がり、中からカニとバターの芳醇な香りが爆発的に立ち昇ると、テーブルで待機しているガレスとクロの口からは、すでに滝のような涎が流れ落ちていた。
「よし、揚がったぞ。熱いから火傷するなよ」
山盛りにされた黄金色のコロッケ。トウヤはそこに、手作りの特製タルタルソース(迷宮レモンの果汁入り)をたっぷりと添えた。
ガレスは震える手でフォークを突き刺し、大きなコロッケを口へと運ぶ。
「はふっ、ほふっ……!! ――――ッッ!!!」
サクッ、という軽快な衣の音の直後、ガレスは目を見開き、天を仰いだ。
衣を突破した瞬間に溢れ出したのは、とろけるような熱々の特濃カニクリームだ。カニの強烈な旨味とミルクの優しい甘みが一体となって口内を蹂躙し、ホクホクとしたポテトの食感がそれを優しく包み込む。さらに、タルタルソースの酸味が揚げ物の油っこさを完全に中和し、無限の食欲を引き出してしまう。
「う……美味すぎる……! サクサクなのに、中はトロトロ……! まるで口の中でカニの旨味が爆発しているようだ! トウヤ、お前は魔法使いではなく、食の神の使いか何かなのか!?」
「ワフゥゥゥゥン……!(最高……!)」
ガレスが涙を流しながら絶賛し、クロもハフハフと熱がりながら一心不乱にコロッケを飲み込んでいる。
トウヤも自作のコロッケを頬張りながら、「うん、これは我ながら傑作だな」と満足げに頷いた。
***
食後のコーヒー(ガレスには食後のハーブティー)を飲みながら、くつろいだ空気がテント内を満たしていた時だった。
ガレスがふと、真剣な表情になって口を開いた。
「なあ、トウヤ。一つ聞きたいことがある」
「ん? なんだ、コロッケのおかわりならまだあるぞ」
「いや、飯のことじゃない。……俺たちの『進み方』についてだ」
ガレスは自分の大盾をポンと叩いた。
「ここ数日の訓練で、俺たちの連携は盤石になった。俺の耐久力とヘイト管理、クロ殿の機動力、そしてお前の決定力。手前味噌だが、並のAランクパーティーすら凌駕する戦力だと確信している。……そろそろ、第4階層、いや、その先の第5階層へと一気に進んでもいいんじゃないか?」
それは、冒険者として当然の疑問だった。
現在の彼らの実力からすれば、第3階層の魔物など赤子同然だ。より深い階層へ進めば、より強い魔物と戦え、より高価なドロップアイテムが手に入る。一般的な探索者であれば、一刻も早く下層へ行きたがるだろう。
しかし、トウヤはコーヒーのマグカップを置き、静かに首を横に振った。
「ダメだ。まだ下へは行かない」
「なぜだ? お前の言う『スロー踏破』が、単に時間をかけるという意味でないことは分かっている。だが、今の俺たちなら……」
「ガレス」
トウヤの声が、普段の陽気な響きから、底冷えするような真剣なものに変わった。
その眼光の鋭さに、ガレスは思わず言葉を呑み込んだ。
「俺たちが目指しているのは、ただの金策や名誉じゃない。数十年間、誰一人として成し遂げられなかった『悠久の大迷宮の完全踏破』だ」
トウヤはステータスボードを空中に展開し、三人のレベルとスキル熟練度の項目を指差した。
「いいか? なぜ過去の優秀な冒険者たちが、誰も最下層に辿り着けなかったのか。それは、この迷宮が下層に行けば行くほど、常識が通用しない理不尽な環境と魔物を牙を剥くからだ。俺たちがいかに強い陣形を組もうと、『未知の階層』では何が起きるか分からない」
「……」
「俺は、自分のステータス……レベルアップのアナウンスや、スキルの熟練度の上がり幅が『完全に止まる』まで、次の階層へは進まない」
トウヤの指先が、テーブルをコンッと叩いた。
「慢心こそが、迷宮における最大の死因だ。『今の俺たちならいける』と思った瞬間が一番危ない。だから俺は、その階層の魔物をただ倒せるだけでなく、目を瞑っていても無傷で完封できるレベルまで、徹底的に経験値を吸い尽くす。……この階層から『これ以上学べることは何一つない』とシステムが証明してくれるまで、俺は絶対に下へは降りない」
それは、臆病だからではない。
絶対に死なず、絶対に仲間を死なせず、確実に誰も見たことのない最深部へ到達するための、狂気的なまでの「慎重さ」と「執念」だった。
ガレスは目を見開いた。
この青年は、美味い飯を作り、快適なテントで笑っているだけの男ではない。誰よりも深く迷宮の恐ろしさを理解し、誰よりも冷徹に生存戦略を計算している『真の探索者』なのだ。
「……恐れ入った。お前の言う通りだ、トウヤ」
ガレスは深く頭を下げた。自分の考えがいかに浅はかであったかを恥じると同時に、このリーダーについて行けば、本当に歴史に名を刻む偉業を成し遂げられると、魂が震えるのを感じていた。
「俺は騎士として、過去に己の慢心で部下を死なせた。だからこそ、お前のその『決して慢心しない』という誓いが、何よりも頼もしく、そしてありがたい。……疑うような真似をしてすまなかった。俺はどこまでも、お前のスロー踏破にお供しよう」
「分かってくれればいいさ。俺だって、死ぬのはごめんだからな」
トウヤはいつもの柔らかな笑顔に戻り、マグカップを傾けた。
「それに、階層を急いで進んだら、その階層の『未知の美味い食材』を取り逃がすかもしれないだろ? それが一番の損失だ」
「ははっ、結局そこに行き着くのか! お前らしいな」
ガレスが腹を抱えて笑い、クロも釣られて「ワォン!」と元気よく吠えた。
安全第一、慢心厳禁、そして何より美味い飯。
絶対の生存戦略を掲げる『悠久の踏破者』の歩みは、カタツムリのように遅くとも、その足跡は岩よりも重く、確実に大迷宮の深淵へと向かっていくのだった。




