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最初にダンジョン入るのは?  作者: 九龍亭流星
3/3

2:春画快楽堂

 海鶴の市街地を歩いていると、隣の誇狼さんがチョンチョンと肩を突いてきた。


「のう影殉よ」


「なに?」


「先程から一体どこへ向かっておるのじゃ?」


「んー、もうすぐで着くからちょっと待って」


「むぅ?」


訝りつつも素直に付いてくる誇狼さんを連れて橋を一つ渡り、そのまま商店街が並んだ区画へと足を踏み入れる。


「着いたよ」


「………………………は?」


程なくして到着した目的のお店を指差すと、長い沈黙の末に誇狼さんはそう漏らしたのだった。

 ぼくの指と誇狼さんの視線の先にあるのは濃い桃色の看板で、そこには白抜きの文字でこう記されている。




―春画 快楽堂―




と。


「さ、入るよ」


「お、おい影殉!?」


「うぅぅ゛お゛ぁ゛ぁあッッッッ♥♥♥♥♥ あ゛っッ♥♥♥ あ゛ああ゛っッ♥♥♥♥」


 来慣れた洋風のドアを開くと、中から大音量の喘ぎ声とグチュグチュグチュッという粘性の水音が飛び出てくる。どうやら、丁度制作(・・)が終わったところらしい。


「」


「行こ」


「なっ、ちょっ!?」


固まっている誇狼さんの手を引いて大量の衣装や作品の間を通り過ぎ、奥にある工房の扉を開くと、目的の人物がいつもの姿でそこに居たのだった。


「ふぅ……♥ ふぅ……♥ おや、影殉くんじゃないか。いらっしゃい♪」


「やあ春描(しゅんがく)


乱れた呼吸を整えながら汗で貼り付いた前髪を解きつつ振り返った春描に、ぼくも右手を挙げる。


「今日はどうした、というかその子は誰だい?」


「ああ、こっちは「な、ななななな!?!?」おっと」


「何をしとるかああああああああああああああ!?!?!?」


両目を見開いてタメに入った誇狼さんに気付いてすぐに耳を塞ぐと、直後にその怒号が店内を突き抜ける。一瞬反応が遅れたせいで、まともに誇狼さんの悲鳴を受けてしまった春描は「姦しいねぇ……」と微苦笑を浮かべるのだった。


「見ての通り、芸術活動(・・・・)さ」


「それの! どこが!! 芸術活動か!?!?」


(そういえば、初めて見たらそういう反応にもなるのか)


当然の様に言い切る春描に対し、咆哮する誇狼さん。そこには左手に絵筆を握り、右手で執拗に自らの陰部を掻き混ぜている妙齢の女の人の姿があった。

 隊長程じゃないけれど成熟した胸元を自信ありげにタプッと張る春描に誇狼さんの視線が鋭くなる。けれど、その言葉には一切嘘も無く、事実として春描の絵筆の前には全裸で自慰に耽る自画像が描き出されている。


「さ、ボクも答えた訳だしその女の子……いや、おじいさん(・・・・・)について教えてもらえるかな?」


「なっ!?!?」


そして続けられた春描の一言に、誇狼さんは細めた両目をまん丸に見開くのだった。

 バッとぼくの方を見上げてくるけど、ぼくはまだ誇狼さんの事を話してはいない。

 軽く首を横に振って誇狼さんの疑念を否定してから、「うちの入隊希望者」と春描の質問に答える。


「誇狼さん」


「う、うむ、元柳戸藩の甲級冒険者正心(せいしん)誇狼丸(ころうまる)じゃ」


「これはご丁寧に」


 細い銀縁の丸眼鏡の奥で睫毛の長い双眸を細めてにっこりと微笑む春描。


「ボクは愛染(あいぜん)春描(しゅんがく)。見ての通りの春画絵師で、この快楽堂(かいらくどう)の主をしている」


そう言って絵筆で指し示した先には既に完成した裸婦像の端に書かれた『愛染春描』のサインがある。


「それで、最初の質問に戻るけど、今日はどんな用事だい?」


「いつもの御遣いじゃないんだろう?」とでもいう様に流し目を送ってくる春描。相変わらず妙なところで鋭いというか、察しが良いというか。まあ、話が早くていいけど。


「実は衣類や装備を分けてもらいたいと思ってさ」


「ふむ?」


「この誇狼さんがうちに入隊を希望してくれたのはいいんだけど、小鬼賢者(ゴブリンセージ)に女の子にされちゃった時に装備を粗方剥ぎ取られちゃったせいで素寒貧なんだよね」


「なんだ、ボクや千堂様のお仲間ってことか」


ケラケラと笑う春描に誇狼さんが「なんじゃと!?」と目を剥く。流石にこの変態から同類扱いされるとは思ってなかったらしい。まあ、動機の方は大分違うんだけどね。


「ちなみにどんな理由で入ったんだい? ボクは小鬼(ゴブリン)に犯される女の子の写生をしながら射精をしたくて抜け駆けをしようとした冒険者の手引きをした際に、筆を動かすのに夢中になりすぎて小鬼賢者(ゴブリンセージ)の接近に気付かずこの身体にされちゃった口なんだけど」


「おい! こんなド変態の同類なのか!? 同類にされる恥辱を受けねばならぬのか!?」


「その反応……そっかー、小鬼(ゴブリン)に犯されそうになってたのか。見たかったなぁ♥」


ぼくが誇狼さんを捕縛した時のことを想像したのか、妄想の中でニマニマと厭らしい笑顔を浮かべる春描に、流石に抗議の声を上げる誇狼さん。


「まあ、こういう人だけどと言うべきか、むしろこういう人だからこそと言うべきか、春画の腕は凄く良くてさ。自分の裸を題材にした春画や写真を売ったお金で集めた衣装や化粧なんかの小道具も転売してるから、余っている物を譲ってもらえないかなって思ったんだよ」


「……」


ぼくの説明に心底嫌そうな顔をする誇狼さん。対する春描は事情を呑み込んだらしく「つまりはだ……」と形の良い顎を撫でて頷く。


「その誇狼丸ちゃんをボクの思うが儘に着せ替え人形にしても良いということだね?」


「え、影殉!!」


「まあ、そうなるのかな」


「影殉!?」


まるで裏切りにでもあったかの様な顔をする誇狼さんだけど、正直誇狼さんのプライドを顧みる余裕は無い。よく“金が無いのは首が無いのと同じ”なんて言うけれど、それに準えるならとっくに誇狼さんは首無し武者な訳だし。

 装備も無しに奥羽妖界(ダンジョン)調査に連れて行くのは普通に無理があるのも加味して、誇狼さんの悲鳴を黙殺する。


「そういうことなら任せてくれたまえ。必ずやボクのセンスでもって、思わずチンチンが大きくなっちゃうくらい世界で一番エッチなおじいちゃんに仕立て上げてあげようじゃないか♪」


「い、嫌じゃ! は、離せ!! 離さんかこの変態!!! おい影殉助けてくれ!!!! 確かにわしは新調組入りを望んだが、こんな辱めを受けることまでは承知しておらんぞ!?!?!?」


「お! その顔その顔。そそられるねえ♥」


「ぬあああああああああああ!?!?!?」


「行ってらっしゃーい」


絶叫に似た悲鳴が余震の様に店内をビリビリと震わせて、誇狼さんがお店の方へと引きずられていく。その姿を見送りながら、ぼくはお店の外で待つことにしたのだった。





     ◆





 誇狼さんが魔窟・快楽堂から吐き出されたのはそれから30分後のことだった。


「お待たせ♪」


「~~~~~っ!!!」


「おぉぅ……」


 光る汗を拭って無駄に一仕事やり遂げた感を出す春描に手を引かれて現れた誇狼さんは、屈辱に顔を紅潮させてプルプルと震えながら潤んだ目でぼくを睨み付けてきた。

 その華奢な体を包み込んでいるのは白線の入った広い襟と赤いスカーフが特徴的な紺色のセーラー服で、唯一足元だけがぼくの頼んだキャラバンシューズで固められている。


(っていうか、キャラバンシューズも持ってるんだ……)


 誇狼さんが着せ替え人形にされている最中に思い付いたダメ元のお願いだったんだけど、普通に履かせてるし。しかも、誇狼さんの足にぴったりと嵌るサイズ……。

 正直、何に使うんだろうと思わなくもないけど、仮に聞いても不幸な結末になる未来しか見えないので、ここは大人しく口を噤んでおくことにする。


「えっと、取り敢えず似合ってるよ?」


「辞世の言葉はそれで良いな!!!!」


代わりに誇狼さんの方にフォローを入れてみるけれど、却って怒らせちゃったのかグルルルルッ!と牙を剥かれる。


「でも、全部タダなんだし、仕方なくない?」


「ぐっ……」


ただ、流石に無一文な点を突かれると弱いのか、それを指摘すると気まずそうに視線を逸らす。


「し、しかしのう、この腰巻は聊か短すぎやせぬか!?」


それでもどうしても言いたかったのか、上着の下から出した尻尾をわさわさと忙しなく揺らしながらギュッと裾を抑えたプリーツスカートを頻りに気にする誇狼さん。


「あっ……」


「おおっ♪」


その瞬間、ブワッと一筋の風が吹いて、白い小ぶりなお尻とそれを締め固める深紅の褌が露わになり、なぜかバニーガール姿の春描が喜色を浮かべる。


「……パンツじゃないんだね」


「あんなスケスケの下着なぞ履けるか!!!」


つい呟くと、再び沸騰した誇狼さんが吠える。見れば、いつの間にか持ってきた画板の上でスケッチを始めていた春描が実にいい笑顔でグッと親指を立てていた。


―これはこれで―


そんな内心が想像できちゃうのがちょっと嫌だなと思いながら、用済みになった羽織を受け取って二人を促し隊長に指示されていた山へと向かう。すると、程なくして到着した山の中から、桜吹雪の着流しを来た隊長が丁度刀で柴を掻き分け出てきたところだった。


「おうお前ら……ってなんだ、ハル(・・)も来たのか」


「や、千堂様♪ せっかくボクがコーディネートした意匠で誇狼丸ちゃんが跳ね回るんだぜ。これをスケッチしないなんて愛染春描の名折れだろう?」


「確かにな」


「……」


ピョコンッと黒い付け耳を揺らしながら飛び跳ねる仕草を見せる春描(春画師)に、腕を組みながらニヤッと笑う隊長(お得意様)。一方の誇狼さんはそんな二人のやり取りを見てブルリと小さく身震いをしたのだった。まあ、まさか八十も過ぎて自分がそんな目で見られることになるとは夢にも思ってなかっただろうしね。


「さて、ジュン、コロ」


「はい」


「む?」


「今からコロの入隊試験を始める訳だが、準備は良いか?」


「無論!」


「え、誇狼さんは兎も角、ぼくもですか?」


「あたりめぇだろ、じーさんの力量を見るにも検分役は必要だからな」


「てっきり隊長がやると思ったんですけど」


「しょーがねーだろ、これ(・・)なんだからよ」


「まあ、確かに……」


組んだ腕で持ち上げた乳房を揺らして、寛げた胸の谷間から小さな木の板をスルスルと取り出す隊長。


「おおっ!」


(うるさい……)


その光景に隣の春描が満面の笑みと共に素早くボールペンを画板に走らせる。


「さて、入隊試験の御題だが……“宝探し”にすることにした」


「はあ」


「“宝探し”じゃと?」


「おう」


一つ頷いてポイッと胸の間から取り出した木片を投げてくる隊長。っとと。


そいつ(木片)をこの山の中に撒いてきた。おめぇらには今からそれを集め合ってもらう。但し、妨害ありしばき合いありの何でもありありルールだ。流石に絶境は自重してもらうがな」


「ほう……」


隊長の言葉に俄に獰猛な色を双眸へと浮かべる誇狼さん。どうやら、妨害や殴り合いありの部分に血が騒いだらしい。


「制限時間は30分で、後は俺が100数えたら開始……ま、こんなところだな。何か質問はあるか?」


「あ、じゃあぼくから一つ」


「あん? ジュンがか?」


「はい」


「ま、いいぜ。なんでえ、質問は」


「これって、賭場で使われる木札ですよね?」


「……」


手垢に塗れて黒ずんだそれ(木札)の腹に彫り込まれた模様を見せると、隊長がピシリと硬直する。やっぱり……。


「これを換金すれば、誇狼さんの支度金くらいは用意できたんじゃ」


「おい貴様!!」


ぼくの指摘に、尊厳をドブの中で引きずり回された誇狼さんがキレた。


「わ、わしを! わしをこんな姿にさせおって!!!」


「ま、待てっ! じーさん話せば分か「ええい問答無用!! 影殉、そっちを持て!!」


「あ、うん」


強烈な殺気に大人しく隊長の両足を掴むと、対岸に立った誇狼さんは隊長の首根っこをがっしりと掴んで持ち上げる。


「お、おいおい、何するつも……」


「当然、こうするのよ!!」


「りぎゃあああああああああああああああああ!?!?!?」


顔を青くした隊長の頸を持ったまま、横倒しの旋毛風の様に地面を蹴って回転する誇狼さん。ぼくに両脚を固定されていたこともあり、まるで雑巾の様に全身を捻られる隊長。一拍置いて地面に墜落し、泡を吹いてピクピクと痙攣する隊長(美少女)を見下しながら、誇狼さんは「痴れ者めが」と唾を吐き捨てたのだった。


「ふむ、これはしばらく起きられなさそうだね」


そんな隊長のおっぱいを揉みながら呟く春描。そっか……、


「じゃあ、代わり頼めるか?」


「仕方ないね」


にこりと頷きながら、コホンと軽く咳払いをする春描。


「では、新調組六九番隊隊長千堂桜衛門影之殿に替わって、快楽堂店主愛染春描が行司を務めさせてもらおうか♥」


春描が宣言したのを確かめて、チラッとぼくを見上げた誇狼さんが「負けぬぞ」と不敵に笑い山の中に走り出そう……としたところで突然その場に蹲った。


「誇狼さん?」


ぼくもしゃがんで顔を覗き込むと、なぜか胸を抑えた誇狼さんは「ぬおぉぉぉ……」と震えていた。一瞬、心の臓の発作かと思ったけど、その割には顔色に変化が見られないような……、


「………が………て」


「うん?」


「ち……が…す…て」


「なに、誇狼さん?」


「乳の先が擦れて……」


「えっと……」


顔を真っ赤にして搾り出した誇狼さんの言葉にちょっと反応に困る。


「ブラジャーは着けて「そんなもの着けられるか!!!」まあ、うん」


一応確認してみるけれど、誇狼さんの言葉は何となく想像通りのものだった。まあ、いいんだけど。


(どうしよっか……)


それより、このままじゃ試験にならない。いやまあ、現場にはアクシデントも付き物だから、気にせず終わらせちゃうのも手といえば手なんだけど、それをすると誇狼さんが全裸で山の中に飛び込みかねないからなあ……、


「あ」


と、そこまで考えているうちに、誇狼さんの台詞に興奮したのか再び鼻息荒く写生を始めた春描と目が合う。そういえば、


「ねえ、春描」


「うん? どうかしたのかい、影殉くん?」


「前に出してた春画で、胸に張るシールみたいなものを使ってたことなかったっけ?」


「ああ、ニプレスのことかい? それならほら」


「いや、なんで当然の様に持ち歩いてんだよ」


しかもお前もかよと。

 画板に筆を置いてバニースーツの谷間から二枚のシールを差し出してくる春描。体温のせいか妙に生暖かいそれに顔を顰めたくなるけれど、貰う側なので文句も言ってられない。


「貰ってもいいか?」


「もちろんだとも♪」


「ん、ありがと」


春描にお礼を言って、誇狼さんの前に再びしゃがみ込む。


「誇狼さん、万歳して」


「う、どうしたのじゃ?」


ぼくの指示に訝りながらも素直に両手を挙げる誇狼さん。そのセーラー服の裾を掴んで顎下まで引き上げると、薄っすらと肋の浮いた華奢な体躯が露わになる。


「おおっ!!!」


「にょわっ!?!?!?」


「?」


予想通りの春描の声とは別に妙な悲鳴が聞こえた気がしたけど……まあ、いっか。

 台紙から剥したハート形のシールを掌に納まる程度にやんわりと膨らんだ誇狼さんの胸の先端に貼り付ける。


「ふ、ふぐうぅぅぅぅぅぅ……」


途中で剥がれてこない様に、念のため親指の腹でシール全体を擦るとふにふにとした感触が柔らかく手を押し返してきた。


「よし」


そうして左右のシールを貼り終えると、雪の様な肌の上で褌と同じ深紅の♥が二枚ふるふると揺れるのだった。


「これで、試験中は持つでしょ」


「う、うむ……」


「?」


ぼくがセーラー服から手を離すと、なぜかズザッと飛び退ってチラチラとぼくと自分の胸を見比べてくる誇狼さん。その顔がなぜか赤くなり、少し息も荒くなっている。んー?


「69!!」


「っと、そろそろ行こっか」


「そ、そうじゃな」


春描のカウントに羽織を脱いで腹掛けと袴脚絆といういつもの格好になりながら、軽く屈伸とジャンプをして準備体操をする。


「先の奥羽妖界(ダンジョン)では不意を討たれたが、次は負けぬぞ」


「不意……ああ、首を絞めたこと?」


「おう!」


(意外と根に持ってたんだ……)


自信満々に頷きながら山の中へ飛び込む誇狼さん。ぼくも誇狼さんとは逆方向へと向かって山の中へ入る。


「ラウンドワン♥」


その瞬間、奥羽大震災(ダンジョン・クエイク)の余震が起こり、『1』と描かれた画板を持ち上げた春描の頭の上で兎の付け耳がピコピコと揺れたのだった。





     ◆





(さて、どうしたものか……)


 誇狼さんと別れて雑木を掻き分けながら、ぼくはまず首を捻った。というのも、視界が悪い中での失せ物探しは単純に目以外の知覚手段を持つ方が圧倒的に有利な訳で、狼人の誇狼さんを人間のぼくが出し抜くにはそれなりの工夫が必要になるということだからだ。


(まあ、良い案が思いつくまでは普通に探すしかないか……)


「お、あった」


 一先ず、隊長の雪駄と思われる足跡を頼りに山肌を進むと、早速一枚目の小さな板が見付る。


「一枚!?」


そして、幸先は悪くないのかなと思いながら木片を手に取ったその瞬間、不意に感じた妙な胸騒ぎに従って地面を蹴ると、直前まで立っていた所でガチンッ!という硬質な音が鳴り、雪の様に白いトラバサミがぼくの足を食い千切らんと噛み締められたのだった。


「ほぅ、今のを避けるか」


頭上にあった木の枝に捕まったままスルスルと引っ込んだそれを目で追うと、ガサリと揺れた藪の中から顔を上げた誇狼さんが不敵に口元を持ち上げたのだった。


「む? なんじゃ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」


「えっと、なんでかな……って」


「なんでって何がじゃ?」


「態々近付いてきから」


「ああ、それか」


キョトンとした顔で不思議そうに首を横に倒していた誇狼さんはぼくの疑問符に得心がいったように頷く。


「最初にあの痴れ者から言われたじゃろ? 妨害ありしばき合いありの何でもありありルールじゃと」


「それはそうだけど、そもそも誇狼さんの方が有利な条件なんだから、素直に探索に専念した方が効率良くない?」


「確かに“理”の上ではそうかもしれんな」


「だよね」


「じゃが、人は“理”のみに生きるに非ず!」


「つまり、理屈抜きに仕掛けてきたってこと? それはそれで問題g「問答無用!!」いや、そこは問答しろよ」


一応試験でこっちは検分役だぞと。

 流石に突っ込んだけど、当然聞く耳を持っている訳もなく唸り声を上げながら飛び掛かってくる誇狼さん。咄嗟にその顔面を蹴り飛ばすと「ギャンッ!?」とイヌ科らしい悲鳴を上げて藪の中へと墜落していった。


「ちょ、大丈b「ク、クク、クカカカカカカカカッ!!」


「えぇ……」


ちょっとやり過ぎたかと思いながら地面に降りて声を掛けると、当の誇狼さんはやおら立ち上がり喜悦の浮かんだ哄笑を上げたのだった。


「見事!!」


顔面を真っ赤に腫らしながらも、なぜか心底嬉しそうに快哉を叫ぶ誇狼さん。


「えっと、頭大丈夫?」


「酷い言い草じゃな。無論、ボケてもおらんし狂うてもおらんぞ!!」


ついそう尋ねると、ククッと含む様に喉を鳴らしてから誇狼さんは薄い胸を張る。えっと……?


「訳が分からんといった顔じゃな」


「まあ、うん」


態々接触してきた上に、顔面を蹴り飛ばされて機嫌が良くなる理屈は正直思い浮かばない……誇狼さんがドMって事なら筋は通るけど、


「何か失礼なことを考えておらんか?」


「まさか」


いくら何でもその線は無さそうだ。

 ジトッと向けられた視線から視線を逸らすと、誇狼さんは「まあ良いわ」と呟いてコホンと軽く一つ咳払いをする。


「わしが接敵を選んだ理由はただ一つ、おぬしが真に背中を預けるに足る男かを見極めんがためよ!」


「あー、そういう」


ビシィ!とこっちを指差しながら胸を張った誇狼さんの言葉に納得を示すと、誇狼さん何故か自慢げに「うむ!」と頷いたのだった。


「たとえ腐っても武士、力無き者にも勇無き者にも背は向けられぬ。総じて男でない者とは組めぬのじゃ!」


「うん、まあ理屈は分かったけどさ……」


それはそれとしてだ、


「面倒臭いね」


「武士とはそういうものよ!」


「そもそも、誇狼さん自身は女の子じゃん」


「殺ぉす!!!」


機嫌良さそうに細められていた両目をカッ!と見開いて吠える誇狼さん。けれど、すぐに顔を綻ばせてククッと喉を鳴らす。んー?


「まあ、わしにもわしの道理がある訳じゃが、それはそれとして礼儀があって然るべきじゃ。故に!」


「うん?」


突然その場で膝を突くと、湿った地面に頭を擦り付ける誇狼さん。


「頼む影殉! わしは武士として真におぬしと轡を並べたいと思うておる! じゃから、一度本気でおぬしと手を合わせたい! 合わせねば納得出来ぬのじゃ!!」


「……」


その慟哭に似た懇願は、まるで奥羽大震災(ダンジョン・クエイク)の余震の様に周りの木々を震わせて陽を遮る木の葉を揺らした。ビリビリと鼓膜を打つ言葉の一つ一つに血が通い、鉄錆を吹く様な臭いと重みが感じられもした。……はぁ、


「しょーがないなあ……」


「では!?」


「それで誇狼さんが納得するならね」


「忝い!!」


ぼくが頷いた瞬間、獰猛な笑みを浮かべる誇狼さんはスッと背筋を伸ばすとパァン!と大きく柏手を打った。一度……二度……。そして、左右の腕を交互に開くと、今度は真上にまで持ち上げた右脚をダンッ!と鉞の様に地面へと振り下ろす。


(四股……相撲か)


ジリッジリッと競り上がる様に面を上げる誇狼さんから迸る闘気に、さっきの咆哮でも飛び立たなかった野鳥が一斉に枝を蹴り、息を潜めていた魍魎がカサカサと地面を這っていった。


(捕れるかな?)


 再び腰を落として拳を地面に置いた誇狼さんを見下しながら思案する。

 正直に言ってしまえば、ぼくは真っ向勝負を得手としていない。多少の心得はあるものの、新調組の本分はあくまで走ることと逃げることで闘うことではないからだ。幸い、体格差が逆転しているおかげで勝ちの目もあるとは思うけど、根本的な武芸の腕は武士一辺倒だった誇狼さんの方が上と見る方が正しいだろう。


(それを加味すると……)


「ゆくぞっ……!!」


「っと……」


拳を地面に打ち付けて突っ込んでくる誇狼さん。その姿勢は低く、流石に下に潜り込むことは出来そうにない。

 半ば予想通りの状況で、誇狼さんが「シャアッ!!」という気合と共に爪を向けた掌底を繰り出してくる。元が小柄で、その上地を這う様な低空からの一撃は捕るにも流石に博打になる。


「んっ」


ここは素直にその手を捌きながら、腰を落として逆に前へと踏み込む。


「ガウッ!!」


即座に反応してくる誇狼さんの牙。それを体を捩りながら避けて肩口に組み付くと、そのまま押し潰されることを嫌ったのか、誇狼さんが思いっきり地面を蹴った。


「よっ」


「ぬう!?」


その反動を借りて誇狼さんを持ち上げると、すぐに両足をバタつかせてくる。いくら小柄とはいえ、人一人が腕の中で思いっ切り暴れたらよっぽど慣れている人でもないと捉えておくことは難しいだろう。


「ふっ」


「ぬおっ!?」


けれど、こっちもこっちで捕手の方には意識を置いていない。藻掻く誇狼さんの下に体を入れて、そのまま逆上がりの要領で上下を替えれば下に敷いた誇狼さんのびっくりした目と目が合った。


「ふんっ!」


「っとと」


けど、ぼくの攻め手はそこで強制的に中断させられる。近くにあった石ころを握り締めて躊躇なく殴り付けてきた誇狼さんの手から跳び退って距離を取ると、跳ね起きた誇狼さんが即座に地面を殴り付けて突貫してきた。


「っ」


すぐにさっきと同じ要領で上に退避しようとした瞬間、ガッと木の幹に爪を立てた誇狼さんは腕の力で無理矢理軌道を変えて、そのまま追い縋ってくる。

 咄嗟に足を引いて誇狼さんの顎から逃れると、捕まった枝の葉を毟って下へと投げ落とす。いくら元狼人の運動能力とはいえ、自由の利かない中空での立ち回りはこれだけで一気に不自由になるはずだ。


「っと」


同時に掴まっていた枝から手を離して、畳んだ肘を()に誇狼さんの顔面へと突っ込む。


(手応えありっ)


ゴチッという固い音が上がり、肘先から痺れる様な感触が伝ってくる。


「クカッ」


「マジか……」


けれどそう思った瞬間、先に落ちたはずの誇狼さんがダンッと力強く地面を踏み締めたのが分かった。


「くっ……」


「ようやっと捕えたぞ!!」


即座に距離を取ろうとしてみたけれど、一瞬早く伸びてきた誇狼さんの細い手がぼくの腕の上を走って袴の腰板をギュッと掴んでくる。同時にねっとりとした熱い吐息に耳を撫でられて、視界が一瞬でグルンッと反転した。


(上手投げっ)


状況を理解したのと同時にドンッと強い衝撃が横面と肩口を突き抜ける。


「くっ」


それでも衝撃で緩んだ手を振り解き痛む肩を抱えながら距離を取ってみれば、ぼくを地面に叩き付けた誇狼さんも荒く肩で息をしていたのだった。


「ハァ……ハァ……ペッ」


さっきの肘鉄で口の中を切ったのか、赤く染まった唾を吐き捨てる誇狼さん。けれど、さして気にもしていないのか、むしろ嬉しそうにギラリと白い歯を覗かせる。


「中々やるではないか」


「そりゃどーも」


「じゃが攻めは下手くそじゃな。逃げと捌きに比べて拙すぎるぞ」


「新調組だからね」


「わしと轡を並べる朋友(とも)である以上、今後はそちらの修練にも励んでもらうぞ」


「……まあ、いいけどさ」


どっちが検分役なのか分からないなと思いながら、息を整えて再び構えを取る。対峙する誇狼さんもスカートを持ち上げると、再び拳を握って仕切りの型に入る。


「では、決着といくか」


「はいはい」


大地に爪を立てて頑張る狼の様に拳を木の根に突きながら獰猛な笑みを浮かべる誇狼さん。そんな誇狼さんを見下しながら、ぼくもいつでも跳べる様に両踵の下に薄く浮き(・・)を作る。


「いざ!」


「っ」


「おっとそこまでだぜ、お二人さん」


そして組み合おうとした瞬間、ぼく達の目の前を一筋の銀光が走った。


「っと」


「ぬっ!?」


咄嗟に動きを止めると、ブレーキが間に合わなかったのか水月に突っ込んでくる誇狼さん。すぐに受け止めるけど、それでも勢いが死に切らずぼく達は縺れ合う様に湿った地面を転がったのだった。


「隊長……」


顔を上げれば、案の定銀閃の主は白刃を握った隊長だった。


「おうジュン」


「おうジュン……ではないわ!!」


刀を鞘に納めながら近付いてきた隊長に、腕の中で身を捩った誇狼さんが吠えかかる。


「貴様、男同士の戦いにしゃしゃり出てきおって! それでも武士か!?」


「おめぇさん基準で武士かは知ったこっちゃねぇが、少なくとも俺は上役だ」


「あ、時間」


「そーいうこった」


隊長が胸の谷間から引っ張り出して見せてきた懐中時計の針は、確かに最初の号令から四半刻の経過を指し示していたのだった。


「チッ……」


流石にその事実の前には反論のしようも無いのか、苦々し気に舌打ちをしつつも立ち上がる誇狼さん。


「それで、試験の結果はどうなんですか?」


「そうさな……俺の博打札は何枚ずつ集めた?」


「ぼくは一枚だけですけど……」


「……」


襲撃の直前に拾った木札を見せると、誇狼さんが無言でセーラー服をたくし上げる。すると、中に突っ込んでいたらしい数枚の札がカラカラと音を立てて零れ落ちた。


「ひーふーみー……おう、全部だな」


その枚数を確かめて満足そうに頷く隊長。


「流石狼人だ。鼻のは利くみてぇだな」


「じゃあ?」


「おう、合格だ。これをもってじーさんも六九番隊の隊士とするぜ」


「良かったね、誇狼さん」


「う、うむ……」


ぼくがそう言うと、なぜか誇狼さんは少し困った様に頬を掻いた。まあ、いっか。それよりもだ、


「じゃあ折角だし、これ(・・)で誇狼さんの歓迎会でもしよっか」


「! ククッ……そうじゃな!」


「あん? あ、おいジュン!?」


代わりに試験で使った博打札を見せると、すぐに人の悪い笑みを浮かべて同意してくる誇狼さん。対照的に隊長の方が慌ててるけど、正直これくらいしても罰は当たらないだろう。そもそも、ぼくの御給金だし。


「じゃ、行こ」


「うむ!」


慌てる隊長を置いて山を出ると、丁度描き上げたらしい春描が「おかえり♪」と満面の笑顔で誇狼さんを組み敷くぼくの絵を見せてきたので、その顔面を全力で蹴り飛ばしておいた。







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