第6話 教室の獣 ♀
これも……あれも……ダメ……これじゃ足りない……それも違う……ああ、こんなのじゃ、全然足りない……もっと、もっと強く、私を見て……私を欲しがって……お願いだから、もっと――!
視線に取り囲まれ続けた私は、快感に慣れ過ぎてしまってた。その甘さに体が馴染み切って、もう生半可な熱では反応せずに満足できなくなっていた。
期待を胸いっぱいに膨らませて白鳳学園の門をくぐった私は、いつものように冷たい仮面を被り、周囲から向けられる色めいた視線を敏感に感じ取っていた。でもどれも熱量に欠けて軽くて浅くて、くすぐったく感じるだけで終わってしまうものばかり。
胸の奥の空洞が埋まらない中、落胆しながら自分の教室へ向かい、席に着くと小さく溜息をついた。退屈そうな学園生活が始まり、私は拗ねてしまう。
そんな時――。
……ハッ…ハッ…ハッ…ハッ……。
「ーーーッ!!?」
ぞわっ……と、背筋を冷たい指で撫でられた感覚が走った。
背後から獲物を前にした獣のような荒い息遣いが聞こえた――気がした。思わず体が震えて心臓が大きな音を立て始め、呼吸が浅く乱れてしまう。
……えっ?……な、な、何?
……何かがいる……すぐ後ろに……。
……クンクン……ハァ…ハァ………ペッロォオォ……
ひっ、ひいぃいい!?
振り返る勇気が出ないまま固まっていると、匂いを嗅がれて首筋を生温かい舌でなぞられているような、生々しい感覚が体中を駆け上がった。欲望が剥き出しになった肉食獣が……すぐ傍にいる。
な、なに、これ……!
この欲に塗れた視線!
重すぎる……濃すぎる……!!
纏わりついて、ダメっ、逃げられない……!!
震えながら、恐る恐る僅かに振り返ったその瞬間、私は“ソレ”を見てしまった。
禍々しい気配を纏った獣が、獲物を前にした肉食動物のようにじっと私を見据え、口元を湿らせながら舌で唇をなぞっている幻を――。
その視線は明らかに異常で、底知れない飢えと執着を孕んだ暗い瞳が、私を逃がさないと嗤うように私の体中を絡め取っていた。
け、獣……い、いや、魔物……!
ば、化け物だわ!!
教室だと思っていたここは、獣の巣だった。私は餌場と知らずにやってきて、捕食者に捕捉された哀れな蝶――!
そう認識した時、喉の奥からかすれた息が漏れると同時に、体中が甘い歓喜の悲鳴を上げた。
あっ、あっ、あぁあああぁん♡
かつてない快感が容赦なく押し寄せ、理性が簡単に吹き飛んだ。痺れる熱が全身を貫き、逃げ場を奪うように甘い疼きが暴れ回る。抗うほど深く沈まされて――ただ私は、その激しい恍惚に呑み込まれるしかなかった。
こ、こんなの……初めて……!
獣と見紛うその正体は、雪城奏多くんだった。
一見はおとなしそうなごく普通の草食系男子で、よく見たらかわいい。でも、その裏側にはとんでもない獣を狩っていた。狂ったように私を求めて涎を垂らしている。
授業中も、廊下でも、校門を出ても、ずっと獣の視線は私を追い続け、いつでもどこでも、私の体中に絡まり舐め廻してきた。冷たい仮面と鎧を頼りに必死に平静を装っているのに、それを面白そうに爪でカリカリと執拗に掻いて静かに嗤っているようだった。
おかしくなりそうだった、弄られる快感に……。
家に帰ってもその余韻は消えず、リビングでも、寝室でも、お風呂でも、トイレの中でさえ、あの視線が私を見ている気がして、体の奥がひどく熱を帯びてしまう。自分で慰めるしかなかくて、指先で必死に誤魔化しながら私は何度も問いかけた。
ねぇ、まだ?
いつ私は食べられちゃうの……?
こんなに待っているのに、どうしてまだ、牙を立ててくれないの……?
三か月が経った。
でも、いつまで経っても彼は焦らすように私に視線を飛ばすだけだった。焦らしに焦らされた私の甘く重い情欲が、熟しきった果実のように限界を迎えていた。
ある日、学校で堪りに堪った鬱憤を筆に込めて書いていたら、いつの間にか遅い時間になっていた。慌てて教室にカバンを取りに戻り、ふと雪城くんの席を見つめる。
彼のあの視線が、気配がまだそこに在るような気がして――私は一人高揚していた。
あぁ……あぁ……早く、早く私を食べに……早く来て……!もう待てないの!
雪城くんを求めていたその時、ガラガラと教室の扉が開いて、他でもない彼がやって来た。
固まる私。強く求めたら彼が来た。
えっえーーー!?
み、見られた!?
どうしてここに!?訳分かんない!!
羞恥と興奮が一気に押し寄せて、大混乱に陥った私はそこから全力で逃げるのでした……。
そして、その夜。
「な、無い……!無い……!」
カバンをひっくり返しても、部屋中を探しても日記帳が見つからない。パニックになる私。
日記帳を誰かに見られたら、私の学園生活……ううん、社会的に人として終わる……天宮家にも泥を塗って、多大な損失と不名誉が生まれてしまう!
血の気が引いて、絶望する私。
教室に行くまで確かに持っていた。そして、あの場にいたのは――
「――ッ!!!」
……ゆ、雪城くんに、日記帳を見られた……?私の一番恥ずかしい秘密を、覗かれた……!?
私の中の何かが弾け飛んだ。
体中に粘りつく獣の舌が絡みつき服を溶かして浸食し、ゆっくりと全身を開かれ晒される感覚。そしてあの欲望の視線は私の最も恥ずかしい秘密に……熱に満ちた秘奥をじっくりと覗き込んだ。
――あっ、あっ、あぁあああぁん♡
こ、こんな時にまで、どうしてこんなに、昂ってしまうの――!?
もう、無理だった。
必死にしがみついてた理性が恥ずかしい秘密まで覗き込まれて、完全に吹き飛んでしまった。社会的な立場も、天宮家も、未来の体裁も――何もかもどうでもよくなっていく。そんなことより雪城くんを求める衝動の方が、ずっとずっと強かった。
彼に近づきたい。彼の事を知りたい。彼の恥ずかしい秘密を知りたい。誰にも見せられない羞恥の奥まで全部。そして――あの飢えた獣の視線で、私をもっともっと深く激しく求めて!
私の胸の奥で膨れあがる渇きは、もはや言い訳も理屈も許さない。そして自分の溢れる欲求を満たすため、私は食べられるべく自ら獣の胸に飛び込み、身を差し出す決心をした。
甘い捕食の予感に身を震わせながら、私は勇気を振り絞って雪城くんを誘った。彼の秘密を知りたいと言う私に、戸惑いながらも沢山話をしてくれて、生い立ちまで語ってくれて嬉しかった。
そして、彼は私と全く同じ境遇、同種の人間だったことに驚いた。
離婚した親、仕事で居ない父、独りぼっちの家。友達が居ないこと、普段、家で一人でアニメを見たりやゲームをしているオタクであること。そんな秘密を包み隠さず教えてくれた。
同じ境遇にいる彼……ううん、私はまだ両親はいる。彼の方がもっともっと深い闇の中で過ごしていた。一見おとなしそうに見える彼の中に潜む獣は、愛情に飢えた心が見せる強烈な欲望だった。だからこそ、私は彼に惹かれてしまうのだと知った。
そんな彼が孤独を癒す場所、ネットゲームの話を聞いた。ゲームをした事の無い私にとって、初めて知った未知の世界。すごく面白そうで、嬉しそうに話す彼が輝いて見えた。
そんな時――状況が一変する。
雪城くんに私ではない“女”の存在があった。
彼には好きな女が……彼を誑かす女が存在した。
「天宮さん、そんなエリシアたんにすごく似てるんだ。だから……つい見ちゃってたんだ。ほんとに、ごめんね」
その言葉が、刃物のように私の胸を切り裂いた。
獣の視線はたしかに私を射抜いていた。けれど、獣の視線は私を通して他の女を見ていた。その瞳の奥で揺れていたのは――私ではなかった。私の輪郭をなぞりながら、彼は他の女を見ていた。肌越しに透かすように私を通して他の女の影を抱きしめていた。
私を見ていなかった。欲しいのは私じゃなかった。私はただ容姿が似ていただけ。だから彼は私を食べに来なかった。喉を鳴らすこともなく、牙を立てることもなく、ただ静かに、飢えたまま。
触れられないことが、こんなにも熱を持つなんて。求められない身体が、こんなにも疼くなんて。皮肉にも、この場でさえも私は一番残酷な形で彼に焦がれていた。
また、私は二番目なの……?必要とされてないの……?求められていなかったの……?
その事実を突きつけられ、胸の奥で何かが音を立てて崩れ落ちた。
はっきりと“代わり”なのだと知った途端、血が逆流するように、全身が灼けついた。羞恥と惨めさと言葉にできない劣情が渦を巻き、やがてそれは激怒へと姿を変えた。
涙が視界を滲ませる中、私は自尊心を守るように毅然と背を向けてその場を去った。
そして、その夜――。
「この女が雪城くんを誑かす女……魔女ね」
家に帰った私はそのエリシアとかいう女をネットで調べた。検索され表示される沢山の女の画像に思わず息を飲む。
確かに、私に似ている。
可憐さと色香を絶妙に混ぜたような姿――。画像の中には水着姿や、胸元の大きく開いたドレス姿、布面積の少ない際どい衣装を着て誘う姿が沢山あった。扇情的なポーズで男を惑わすふしだらな女、まるで勝ち誇ったようにエリシアは嘲笑い、見下した瞳で私を見つめていた。
「……男を惑わす魔女め……絶対許さないわ」
私はそんな魔女をディスプレイ越しに睨みつける。嫉妬という感情がこんなにも熱くて惨めで苦しいなんて、知らなかった。
「彼の視線は私のモノよ!雪城くんは渡さないわ!!」
この女は絶対に許さない、絶対に負けない。
「私は魔女を倒す!彼の中から消滅させる!世界に平和を取り戻すの!!」
私が、彼の世界になる――。
拳を握りしめ高らかに宣言し誓った私は、魔女討伐に向かう勇者だった。
そんな私は「よく考えたら架空のキャラクターよね」と思えるようになるまで、すんごく時間がかかった。
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