83話 理由
広がりきった亀裂からノルレルスが現れた。
赫々の眼光を滾らせ、こちらを睨んでいる。
「まさか時空の狭間、異空間に逃げ込んでいたとは。寿命で力を失いつつあるとはいえ、流石は主神だ」
「ノルレルス……ッ!」
俺はリ・エデンの柄に手をかけつつ、奴に問う。
「お前がカルミアを使って転生しようと目論んでいるのは分かった。……どうしてカルミアなんだ。こう言ったら悪いが、せめて自分の身内で済ませたらどうだ!」
こんな馬鹿な話のためにカルミアを犠牲にできるか。
叩き付けるように言えば、ノルレルスは肩を竦めた。
「へぇ、事情はトリテレイアから聞いたようだね。でも事情を聞いた割には鈍いな。こうなったのは、カルミアを器として使う他なくなったのは、君のせいでもあるのに」
「……なんだと?」
ノルレルスは構えていた赫槍を引っ込め、肩に担いだ。
「なんだ、分からないのかい。ふーむ……事情を知ってしまったよしみだ。君やそこにいるお友達には教えてあげるよ。我ながら結構面白い話でもあるし」
奴は俺たちの周囲をゆっくりと回るようにして歩き出した。
「神々ってさ。どうして被造物として自身の写し身である各種族を生み出したと思う? そんな面倒なことしなくても、神族だけ存在していてもいいって思わない?」
「それは……」
言われてみればそうだ。
各地の神話として、人間は神から生み出されたと伝えられている。
しかし詳細な理由まではどの神話でも語られていないはず。
帝国図書館の文献にもなかった話だ。
「神々が多くの種族を生み出した理由はね。それが神のためになるからさ。被造物は造物主である神を信仰する、これが肝だよ。……神々は被造物による祈り、つまりは信仰を糧に存在を強く保てるのさ。寿命を多少は無視できる程度にはね。だが、しかーし」
ノルレルスは赫槍の穂先を俺へ……否、リ・エデンへ向けた。
「僕を信仰してくれていた魔族たちはほぼ全員、その剣に宿る加護で連鎖的に消滅してしまった。例外は竜の国にいる一人と、後は各地に数人程度。……分かるかな? 君のせいで僕は信仰の力を失った挙げ句、寿命も迫っているって二重苦に追い込まれてしまったんだ。これじゃあ自分の子を転生の器として生み出す力も暇もない。だから僕はカルミアを、最も新しく生まれた神の肉体を必要とする他なかったのさ」
──そんな……。つまりは本当に俺が魔族をまるごと滅してしまったから……。
思わず半歩後退ると、後方から「聞いてはなりません!」とトリテレイアの声が飛んだ。
「レイド。あなたの行いは善くも悪くもありません。ただ生きるために行ったのみ。生きるため、やむを得なく行ったことについて、善悪や責任を考えても堂々巡りと化すのみ。それに魔族殺しを業とするなら、それは本来、ミカヅチが背負うはずだったもの。そしてカルミアの守護さえも」
トリテレイアの話から、俺はミカヅチの記憶を思い出していた。
カルミアの名前を知り、トリテレイアとも会っていたミカヅチの記憶を。
「そうだね。トリテレイアの言う通りでもある。僕の写し身たちは君に敗れたが、そもそもミカヅチが運よく魔王と相打ちにならなければ、その時に僕は信仰を失う危機に瀕していた。ついでにトリテレイアももっと早くにカルミアを生み、僕の手が及ばぬようミカヅチに守らせていただろう。その様子だと、大方、ミカヅチの生前にその旨の話は伝えていたのだろうね。でも……」
ノルレルスは外套を翻し、改めて赫槍を構えた。
「結局ミカヅチは死に、僕は魔族による信仰で寿命による死を先送りにし、トリテレイアもカルミアを守れる騎士が現れるまで、出産を遅らせる他なかった。故に……僕は待った。トリテレイアが、主神が子を生み、最も新しく力のある器がこの天界に生まれ落ちる時を」
「しかし我らの友、エーデル・グリラスの手助けにより、カルミアを竜脈の儀にて地上へ送り届けられました。あなたの魔の手からこの子を逃がし、新たな皇竜騎士に守っていただくために」
「本当、エーデルも寿命が近かった割に何でもありな神だったよね。死の間際、折れた自身の角を座標にして、カルミアを天界から一瞬で飛ばすなんて。……けれど馬鹿げた逃避行ももう終わる。お喋りだってここまでだ」
ノルレルスから発される殺気が膨れ上がり、同時に周囲も暗黒で満たされていく。
白い空間が奴の色で浸食されていくようだった。
「僕はこれまで通り転生を果たして生き延びる。そうとも……全てこれまで通りだ。僕は僕の信じる神族を、天界の道を……ただ貫くのみ!」
そうして跳躍してきたノルレルスの赫槍と、こちらのリ・エデンが衝突する。
リ・エデンは魔滅の加護を発揮して輝くが、ノルレルスの赫槍から出る漆黒の魔力は、かき消されては溢れ出て、決して途絶えない。
「そもそも僕ら神族は転生を続けて生を繋いできた、何千、何万、あるいはそれ以上の年月を。それで僕らの力が弱まろうとも、いいじゃないか。これまでだってそうしてきたのだから! なのに……トリテレイアもエーデルも他の神も、皆、転生を拒んで次の世代へと言い出した。今更すぎるよね……改めて聞くが、何故だいトリテレイア。どうして君は僕を、かつての君自身の道を裏切った! 己の種族の命運を不確定な未来に賭けるとは、それでも僕らの主か!」
俺と打ち合い、赫槍を縦横無尽に滑らせながら、ノルレルスはトリテレイアに問いかける。
するとトリテレイアは答えた。
「分かっています。私たちの行いはかつての私たちを、あなたを裏切る行為だと。今更どうしたというのも、あなたの怒りも道理です。ですが私たちは子を使っての転生を、愛を欠く恥ずべき行いと悟ったのです」
「だからそれは、何故」
ノルレルスへと、トリテレイアは毅然として語る。
「我らの被造物、人型種族の営みから学んだのです。彼ら彼女らは短命でありますが、子を愛し、命をかけて多くを繋いでいきます。ですが私たちはそんな営みを知るまで、私たちの魂こそが本体、肉体と子は我らの魂に従わせるものとしてきました。……寧ろ何故、それらを知り、従来と同じ方法で存命しようと思えるのでしょう。我ら神族は愛を欠き、故に力も失い、被造物にスキルを発現させられなくなったと。そう結論が出たではありませんか!」
「詭弁だよ、主神トリテレイア。感情は移ろう、君の語る愛すらも。絶対たる神が、被造物の曖昧な感情如きに影響されるなどと、愚昧極まる……!」
ノルレルスは赫槍を振り回し、こちらを強引に捉えた。
リ・エデンの刃で受け止め、堪えようとするものの、圧倒的な魔力量による魔力噴射で赫槍は爆速と化し、俺は宙へと弾き上げられた。
『レイド!』
咄嗟に飛び上がったルーナに受け止められたものの、奴はこちらを無視してカルミアへと向かっていた。
ガラードたちが阻もうとするが、奴の速度が早すぎる。
カルミアは首を握られ、足が地から離れていた。
ノルレルスの赫槍は奴の真横に突き立てられている。
「あ、あぁっ……⁉」
「これが君の最後の記憶となるだろう、カルミア! 記憶喪失? 笑える冗談だよ。そもそも君は記憶を失っていたんじゃない。最初からなかったのさ。……何せ君は、竜脈の儀の直前に誕生し、僕の寿命が尽きるまでの時間稼ぎとして下界に逃がされたのだから。でもレイド・ドライセンたちが記憶喪失と勘違いしたのも仕方ないよね。神の生まれ方を知らなかったようだし。……神族は子を身籠るが、その子を赤子として、腹から直接産むとでも思っていたのかね? 彼らは」
『ペラペラと、無駄口が多い神様だぜ、テメェはァッ!』
ガラードが咆吼を上げ、爪を振り上げた。
その大爪はノルレルスを捉えたものの、なんと片手で受け止められていた。
しかし隻腕のノルレルスは、一撃を受け止める代償にカルミアを手放しており、床に叩き付けられたカルミアは激しく咳き込んでいた。
「君こそ騒がしい古竜だ。黙ってカルミアを差し出せば痛い目を見ずに済んだものを」
『ハッ、馬鹿言えよ。カルミアが生まれたばっかの神様って言うなら。生まれたばかりのガキを助けずして、仁義を語れるかってんだよクソッタレ!』
ガラードは次いで尾を振り、ノルレルスへと差し向ける。
さしものノルレルスも片腕のみでは、爪と尾、両方は防げない。
真横に突き立てていた赫槍を抜き、ガラードの爪と尾を防いだ。
『ロアナ!』
「分かっているよーっ!」
ガラードの攻撃に合わせ、ロアナが倒れたカルミアへ素早く駆け寄り、カルミアを抱えてその場から離脱した。
次いでミルフィが魔法で水を練り出し、数十本の剣として宙に浮かせた。
「……あの時の、お返し……!」
ガラードの剣を受け止めている以上、ノルレルスはミルフィの攻撃を防げない。
大打撃は必至であるのに、顔は涼しげだった。
「当たると痛そうだね」
気付いた時には、ノルレルスはミルフィの背後に回っていた。
その場にいた全員が、瞬きの間すら奴から目を離していなかった。
だからこそ、全員が驚愕で息を呑んだのが分かった。
「……っ⁉」
驚きつつも咄嗟に離れようとするミルフィ。
しかし彼女の動きより、ノルレルスの動きの方が数瞬早い。
『させません!』
ルーナが飛びながら放ったブレスが、ミルフィに赫槍を向けたノルレルスを狙う。
距離があるにも関わらず、ルーナの狙いは正確無比かつ、ミルフィを巻き込まない程度という絶妙な威力と魔力の調整がなされていた。
古竜のブレスは放たれれば回避困難なほどの速度だ。
魔術で狙われるのとは訳が違うし、かつて魔族がルーナのブレスを避けた際だって、放たれる前に軌道を読んでいたのだと分かる。
けれどノルレルスは……明らかにブレスを放たれた後、ブレスの着弾地点から逸れた場所、ガラードの近辺に戻っていた。
……まただ。
距離のあったミルフィの背後に回り、ルーナのブレスすら回避しきる高速移動。
俺も最初に戦った時、あの高速移動に面食らったし、アステロイドを至近距離から放たれる原因となった。
──ただ素早いだけの移動とは違う。やっぱり、最初からあそこに立っていたかのような……。
ルーナの背から、奴を注意深く観察する。
するとトリテレイアが上空のこちらへ叫んだ。
「レイド! ノルレルスは神としての力を使っています! 彼の固有の能力は……!」
必死の形相であるトリテレイアにより、肝心な情報がこちらに届く、その手前。
「はい、そこまでねー」
ノルレルスがトリテレイアの正面に現れ、口を塞いだ。
そのまま足で正面の虚空を蹴ったと思えば、奴は空間に黒い亀裂を入れ、その中へとトリテレイアを軽々と放り込んでしまった。
「そんな……お母さんっ!」
カルミアが必死に手を伸ばすものの、届かない。
トリテレイアもカルミアに手を伸ばしたまま、亀裂の中に消え、亀裂自体もやがて閉じた。
──あれも奴の能力なのか。明らかに空間自体に作用していたぞ……!
魔術も魔法も超越した、軽々と空間に干渉する域の能力。
しかも無詠唱かつ予備動作はないに等しい。
あまりにもデタラメな力に、底知れぬ神族の力を改めて感じてしまった。
ノルレルスは涼しい顔で手を払った。
「危ない危ない、ばらされるところだった。能力は情報が漏れていない時こそ最大限の力を発揮する、そうは思わないかい?」




