84話 魔神の空間
「……ふざけないで! お母さんをどこにやったの!」
怒りで震えるカルミアに、ノルレルスは薄ら笑いを浮かべた。
「そうキャンキャン叫ばないでよ、うるさいなぁ。少なくとも死んでないよ。でも今の寿命と力じゃ帰還することもできないかな。僕を倒せば帰ってくるけど……少なくとも、君がトリテレイアと再開する機会は二度とない」
残酷な運命を語りながらもどこか愉しげなノルレルスは、正に魔神だった。
少なくとも俺のような人間とは分かり合えない魔の神。
戦と不幸をばら撒くが如き、災厄の神だった。
「ノルレルス……ッ!」
ルーナの背から飛び降り、リ・エデンを振るう。
しかし奴は赫槍で一撃を受け止め、目を細めた。
「やっぱり君やその剣に肉体が直接触れなきゃ何も問題ないね。竜飼い如きのにわか剣術、隻腕でも十分防げるさ。……あの時みたいな油断はしない、君に勝機はないよ」
「だとしても……! お前が死ぬまでカルミアを守り続ける! そもそも十日って期限を設けたのも不自然だったが、あれはお前が死ぬまでの時間なんだろう! つまりお前に勝てなくても、後それだけ保たせれば……!」
「できると思うかい? 君なんかが」
気が付けば、目の前からノルレルスの姿が消えていた。
声の出所は後方、つまり奴は背後に回っている。
勘付いた時、心臓が大きく脈打った。
この移動も奴の神としての能力、見たことも聞いたこともない類いの何かだ。
残像すらない以上、やはり単なる高速移動でないのは間違いない。
「……っ!」
ミカヅチから引き継いだ記憶、つまりは戦闘経験を総動員し、勘任せに首を捻る。
直後、赫槍の穂先がこちらの首の皮を薄く裂いた。
『ガラード!』
『合わせる!』
回避の後、ルーナとガラードがそれぞれ迫る。
同時に前脚を振り上げ、一息でノルレルスに叩き込んだ。
空間の床が古竜の膂力で砕かれ、粉塵が舞う。
『野郎、どこだ!』
「無駄だよ。何をしたってね」
ノルレルスはあろうことか、首を振って奴を探すガラードとルーナの間に立っていた。
ガラードはノルレルスを逃がすまいと空を裂いて尾を振るうが、ノルレルスは大きく跳躍し、赫槍の長さを活かしてガラードの胴を穂先で裂いた。
『チッ……⁉』
「ガラード!」
ロアナが叫び、ガラードに駆け寄る。
傷は深く、血が噴き出し、ガラードの頑丈な鱗が完全に絶たれていた。
しかも傷から黒い靄が立ち上り、嫌な予感を覚えた。
「あれは……! ノルレルスの魔力か?」
「正解だよ、レイド・ドライセン。僕の魔力は魔族以外にとっては劇毒だ。薄めれば魔族に変貌する程度で済むけれど、今のは結構な量を穂先ごと体内に突っ込んだ。傷も内臓に達しているし、じきに彼は僕の魔力で体を砕かれ、死ぬだろう」
ガラードは立ち上がろうとするものの、もがく度に傷口から血液が溢れた。
「動かないで……!」
ロアナはガラードに駆け寄り、右手で懐から何かを取り出し、栓を抜く。
──あれは濃縮した治癒水薬の小瓶! 木箱の中にいた時、回収していたのか。
そのままロアナは小さな手で小瓶を傷口に突っ込み、中身を流しきってから取り出す。
するとガラードの傷がみるみるうちに塞がっていった。
『くっ……馬鹿みてーに染みる! だが助かったぜロアナ、ありがとうな!』
「レイドお兄ちゃん特製の治癒水薬だよ! ジュースの原液みたいに濃いものだから、染みるのは我慢して!」
ガラードは再び立ち上がり、ノルレルスを見据える。
『今のは痛かったぜ……魔神さんよぉ!』
「傷が塞がった程度で威勢がいい。けどね、体内に残った僕の魔力はそのままだ。君の命運は変わらない」
『抜かせ! 本体であるテメェを殺せば魔力だって消えるのが道理! 俺の命が尽きる前にテメェを殺るだけだ!」
「それが不可能だって言っているのさ!」
ガラードは疲労などないかのように攻め立てていく。
爪で、牙で、尾で、ブレスで。
ここが天界の一角であれば、瓦礫が倍増していたのは間違いない。
そのように思ってしまうほど、ガラードの攻めは苛烈だった。
『レイド、私たちも加勢を……!』
『待て、姫様! レイドもそこにいろ! ……そしてよく見ておけ!』
飛ぼうとしたルーナに、ガラードからの制止が入る。
その時、俺はガラードの考えが分かった。
……ノルレルスの動きを見て、奴の能力を暴けと言っているのだ。
確かに奴の能力が不明なまま戦っても、竜の国で敗れた際の二の舞になる可能性が大きい。
すぐにでも飛び出したい気持ちを抑え、俺はノルレルスの一挙手一投足を注意深く見た。
一方、ノルレルスは回避を重ねていたものの、遂にガラードの爪を赫槍で弾き上げる。
さらに胴の下へ潜り込み、赫槍の石突きを跳ね上げ、ガラードの胴に叩き込んだ。
「古竜の中ではやる方だ。でもね、いい加減鬱陶しいよ」
『野郎……!』
ノルレルスの細身に見合わぬ膂力により、ガラードの巨躯が宙に浮いた。
瞬間、ノルレルスは「幕引きだ」と詠唱を開始する。
「凶座を刻め──グランドクロス!」
ノルレルスの頭上、ガラードの胴へと、輝く十字の魔力が現れた。
──アステロイドと同じだ。詠唱はあるのに魔法陣は出てこない。魔術とも魔法とも違う系統の力、これも神族の能力なのか。
輝ける十字の魔力はそのままガラードへ向かい、衝突した途端に大爆発を起こした。
「ガラード……!」
如何に強靱な古竜の肉体であっても、今の一撃は響いただろう。
ガラードは宙でどうにか体勢を立て直して着地したものの、明らかにふらついていて、鱗も各所が砕けて煙を上げていた。
『まだいける! だが奴を見失った……! どこに……!』
「ここだよ」
再び現れたノルレルスは、またもやガラードの付近に立っていた。
しかも呑気に欠伸すらしている。
──馬鹿な。あんな位置に立っていたなら、さっきの爆発で吹き飛ばされているはずだ。そもそも奴はガラードの胴の下にいた、どうやって至近距離の爆発から逃れた……!
最早、状況に関する情報が整合性を失っている。
戦慄していると、ノルレルスは自身の足下を蹴り破った。
……すると空間に巨大な亀裂が入り、ガラードは羽ばたく間もなく飲み込まれていく。
『チッ! またこれか!』
「君が万全の状態だったら飛んで逃げられたかもだけど、そのザマじゃ無理だね。諦めて落ちておくれよ」
『……すまねぇレイド! 後は頼むぞ……!』
「ガラード……!」
あの巨躯を俺とルーナで引っ張り上げるのは不可能だし、もう距離的にも間に合わない。
ガラードは亀裂に飲み込まれ、亀裂はその後、完全に閉じてしまった。
トリテレイアを飲み込んだ亀裂と同じだ。
「そ、そんな……」
ガラードが消えてしまったのを見て、ロアナがぺたりと座り込んでしまう。
「……まだ諦めないで。奴を倒せば女神様が戻ってくるなら、ガラードも同じ!」
ミルフィは次々に水弾を放つ。
一発一発が古竜にさえダメージを負わせる高速の一撃。
それをノルレルスは赫槍を回し、全て砕いてしまう。
「こんなの掠りすらしないよ。……もう終わりかい?」
「いいや……まだだっ!」
『レイド!』
俺はノルレルスへと突っ込み、奴の赫槍と打ち合う。
といっても膂力で劣る以上、防御重視でいなすようにして立ち回る。
同時、考えを纏めていく。
──奴の能力、空間に亀裂を入れていた辺りからも、空間に関する能力なのか? トリテレイアの生み出したこの場所も時空の狭間らしいし、神族は時間や空間に関する能力を扱えるのかもしれない。とはいえ俺をさっさと空間の亀裂に放り込まない辺りを鑑みるに……。
「お前の能力、リ・エデンの魔滅の加護が至近距離で機能している間は使えないらしいな!」
「へぇ、流石に気付いたかい。そうとも、僕の能力はエーデルの加護の前では封じられてしまう。でもそれがどうした? そんな小細工がなくとも、君一人なら容易に打ち倒せる!」
ノルレルスは赫槍を横薙ぎにした。
しゃがみ込んで回避し、真下から攻めにかかる。
「神竜帝国式・竜騎士戦剣術──竜翼昇牙!」
竜が急上昇しつつ敵に食らい付くかのような、素早い斬り上げの一撃。
全身の筋力を総動員して体を跳ね上げ、ノルレルスを狙うものの、
「速度は悪くない。人間にしては、だけどね」
ノルレルスは体を反らし、軽々とリ・エデンの剣先を避ける。
さらにその体勢のまま、赫槍を雑に振るった。
こちらはリ・エデンを垂直に立てて受け止めるが、止めきれずに遠方まで放り投げられる。
──あんな体勢からこんな力が出せるのか!
次いでノルレルスは瞳を一瞬、赫々に輝かせた。
何をしてくるのか、嫌な予感に背筋が凍る。
背後から轟音が立ったと思えば、投げられた先、空間に亀裂が走っていた。
──しまった、奴から離れすぎたのか!
体が宙に浮いてしまっている以上、もう亀裂に落ちることしかできない。
落ちてしまえばトリテレイアでさえ自力で戻ってこられないとなれば、俺の帰還も絶望的だ。
『レイド! 待ってください、今……!』
ルーナが羽ばたくが、同時にノルレルスもこちらに跳躍してくる。
「悪いね、古竜の姫君。ここから先は僕と彼、二人だけでやらせてもらおう!」
ノルレルスは俺と共に空間に開いた亀裂へと入り込む。
ルーナも急ぐが、古竜の巨躯では亀裂には入り込めない。
亀裂自体も徐々に閉じている。
このまま分断されると思いきや、ルーナは飛翔した勢いのまま、人間の姿に変じて丸まった。
俺は亀裂の内部へ飛び込んできたルーナを受け止め、そのまま背から着地する。
強い衝撃に襲われ、全身が痺れたものの、どうにか無事だった。
「うっ……! ……ルーナ、大丈夫か?」
『あなたが受け止めてくれたお陰です。しかしここは……』
ノルレルスの生み出した亀裂の先にあったのは、澄んだ夜空を連想させる空間だった。
足場も半透明で、星々の瞬く闇夜に浮かんでいるように思える。
──周囲にトリテレイアやガラードの姿はない。二人が放り込まれた空間とは別の場所なのか?
ノルレルスは複数の異空間を自由に行き来できるようだ。
転生による死の回避といい、神族はなんでもありなのか。
軽い音を立てて着地したノルレルスは、ゆっくりと歩んでくる。
「やれやれ、結局君と二人きりにはなれなかったか。でもこれで他の邪魔は入らない。土壇場でカルミアが主神として覚醒し逆転、みたいな事態も防げた訳だ」
ノルレルスは「実を言えば、僕としてはそれが一番怖かったよ」と続けた。
俺は立ち上がりつつ、奴を見据えた。
……奴の高速移動能力は未だにはっきりしない、このまま戦っても押し込まれて負ける。
これまでは奴の高速移動に対し、複数人でカバーし合って戦っていたものの、俺とルーナのみでそれは不可能だ。
ならばこそ、と俺はリ・エデンのみならずリ・シャングリラも引き抜いた。
改めて頼りになるのはミカヅチの記憶、彼も二刀流という形で双剣の扱いは心得ていたようだ。
それにこうしてリ・シャングリラを握れば、この剣に関する記憶も蘇ってくる。
そうだ、リ・エデンとリ・シャングリラは本来……。
「さあ、最後の戦いだよ。レイド・ドライセン。あくまで神に抗うというのなら、神罰で死ぬのも道理というものさ!」
星明りに照らされた異空間の中、ノルレルスとの最後の死闘が幕を開けた。




