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70話 魔物と親子

『ヒュウウウウンッ!』


 霧のように濃い水飛沫が散り、藍色の瞳がこちらを見つめてくる。

 端的に表せば、その姿は馬だった。

 しかし単なる馬ではない。

 体躯は古竜やグリフォン並みで、頭からは一本の青い角が生えている。

 体の各所には水を掻くための鰭が付き、背には毛ではなく蒼色の鱗が揃っていた。

 巨大な水棲馬……ケルピーだ。

 しかも腹が不自然なほどに膨らんでいる、これは時期的にもつまり……。


「ケルピーは清らかな水辺を好む、この湖に子供を生みに来たんだ。木が倒れて水が濁っていたのは、出産直前で気が立って暴れた跡だったんだな……!」


『ヒュオオオオッ!』


 甲高く嘶いたケルピーから素早く距離を取る。

 ケルピーは馬の魔物らしくともかく脚力が強い。

 古竜以上にしなやかな脚で蹴られたら一撃で戦闘不能に至る。

 しかもあの個体は恐らく、妊娠しながらもグリフォンの縄張りを駆け抜け、ここまで辿り着いたのだろう。

 並みのケルピーではあり得ぬほどの脚の持ち主と見て間違いない。

 ケルピーが嘶くと湖の水面が棘のように逆立ち、生き物のように蠢き始めた。


『危険ですね。レイド、ここから離れましょう』


「離れたいけど、向こうが逃がしてくれなさそうだ」


 竿立ちになったケルピーは湖の水を操り、こちらへけしかけてきた。

 意思を持って繰り出される濁流は、まるで大波が生きているようだ。

 アイルは咄嗟に飛び立ち、ロアナとミルフィはガラードの背に逃れ、カルミアも乗せているガラードは一息で空へと舞い飛んだ。


『チッ! お嬢様方がいるんじゃ乱暴な動きもできねーな! レイド、封印術で奴を止められねーのか?』


「やってみるさ。封印術・竜縛鎖!」


 俺はルーナの背へと退避しつつ、詠唱を開始。

 体内から魔力を放出して魔法陣を展開し、空へと上がったルーナの背から、封印の鎖をケルピーへと放った。

 竜をも縛る鎖はケルピーの首や胴、脚部へ巻き付き縛るものの、


『ヒュオオオオオオッ!』


 甲高く叫ぶケルピーは力業で鎖から逃れようともがいていた。

 さらに封印術で魔力を抑えられながらも、周囲の水を操って上空のこちらへ狙いを定めているようだ。

 水棲馬ことケルピーは巨大な肉体や強力無比な脚力も然ることながら、厄介なのはこの水を操る能力だ。

 近くに水のない環境であればグリフォンのように鎖で縛って終わりだが、ここまで水が多い場所ではそうもいかない。

 また、ウォーレンス大樹海に流れる大河はケルピーの縄張りでもあり、ケルピーと他の魔物との縄張り争いで過去に何度も氾濫を起こしているとも聞く。

 古竜たちの憩いの場である湖に生息していていい存在ではない。

 どうにか湖から引き剥がす方法を考えていると、ルーナが口を開いて口腔に輝ける魔力を充填し始めた。

 竜種の放つ一撃必殺の大技、ブレスだ。

 しかも古竜のブレスは威力において、神竜帝国を守る空竜種のブレスを大きく上回る。

 ルーナの一撃が炸裂すれば、たとえ巨大なケルピーといえど……。


「レイドもルーナも待って! あの子は怖がっているだけよ! 少し話しをさせて!」


 ブレスが発射される直前、ガラードの背からカルミアが叫んだ。

 ルーナはカルミアの声を受け、ブレスの光を消失させていく。


『しかし、話しなどどうやって……! そもそもケルピーに私たちの言語は』


「私、多分話せるわ。そんな気がするの。……だからお願い、私があの子を説得するから」


 カルミアの真っ直ぐな眼差しに射られて、ルーナは閉口する。


「ルーナ、ここはカルミアに任せてみよう。神族だから、もしかしたら魔物との会話も成り立つのかもしれない」


『ですが危険ですよ? もしカルミアをケルピーの前に降ろしても、踏み潰されてしまえばひとたまりも……』


 ルーナの危惧はもっともなものだった。

 そこで俺は一つ、提案をしてみる。


「ならすぐ助けられるようにしよう。カルミア、ちょっと動かないでくれ。少し強引だけど……」


「えっ、どうするの?」


「こうするのさ。……封印術・蛇縛鎖!」


 魔術を起動し、手元の魔法陣から一本の細長い鎖を召喚する。

 蛇縛鎖は竜縛鎖よりも遠距離に対応しつつ、繊細な動きも可能な魔術だ。

 その蛇縛鎖でカルミアの胴を数周分縛り、そのままガラードの背からルーナの背へ移動させる。

 自在に伸縮可能な封印術の鎖だからできる芸当だ。


「きゃっ……⁉ レ、レイド! 空中を移動させるなんて聞いてないわよ⁉」


「少し強引って言っただろ? それに危ないのはここからだから、あまり暴れないでくれ」


「えっちょっ……何々、一体何をするのかしらちょっと心の準備が⁉」


「危なくなったら引き上げるから! じゃあ、話してきてくれ!」


「いや、まっ……」


 カルミアが何か言っている気がするけれど、もたついていたらケルピーを縛っている封印術の鎖も砕かれてしまう。

 俺は蛇縛鎖を真下へと伸ばし、それに伴いカルミアもケルピーへと向かっていく。


「レッ、レイドーッ⁉ 降ろしてくれるのはありがたいけどもっと他にないの⁉」


 絶叫するカルミアを眺めつつ、俺たちの真横を飛ぶアイルは若干引き気味に言う。


「まあ、いざという時カルミアを回収することを考えれば、これが最善であろう。竜を着地させ降ろしていたのでは、迅速な回収もできまい。とはいえ神族の娘を釣り餌のような扱いとは。レイドもやるものよな……」


「釣り餌だなんて。アイルも言ったように、カルミアの安全を考えればこの手が一番だろ」


「ううむ、実際そうなのがなんともな……」


 俺たちが話している間に、吊り下げられたカルミアはケルピーの目と鼻の先に辿り着いた。

 ぶらりぶらりと風に揺れつつ、カルミアは引きつった笑みを浮かべた。


「こ、こんにちは……気分はどうかしら?」


『ヒュイーンッ!』


「そ、そうよね! こんなふうに縛られていたら良い気分じゃないわよねっ!」


 暴れ続けるケルピーに半泣きのカルミア。

 ただ、このままではどうしようもないと悟ったのか、カルミアは意を決した表情でケルピーに語りかけた。


「いきなり縛ってしまってごめんなさい、でも落ち着いて? 私たちもあなたを不用意に傷付ける気はないから」


 さてどうなるかと見守っていたものの、なんとカルミアがあのように語りかけた途端、暴れていたケルピーがぴたりと制止する。

 これまでの暴れ方が嘘のようであり、ルーナも『これは……!』と驚きを隠せずにいた。

 カルミアはどこか聞き心地のいい、心に響くような声音で続ける。


「大丈夫よ。そう……そのまま座って。あなたを害する者は近くにいないわ」


『ヒュルルル……』


 カルミアの言うままに座り込んだケルピー。

 彼女は上空のこちらを向き、ジェスチャーでケルピーの鎖を外すように促してきた。

 俺は封印術・蛇縛鎖を解除し、ケルピーを自由にする。

 しかしケルピーは暴れる様子はない。

 ただ大きな瞳にカルミアを映し、呼吸を穏やかにしていた。

 カルミアは恐れなくケルピーの額に手を伸ばし、ゆっくりと撫でる。

 そうしてケルピーが心地良さそうに目を閉じてから、カルミアはこちらに手招きした。

 先ほどから俺たちへと声を発さないのは、せっかく落ち着いたケルピーを刺激しないようにするための配慮だろう。

 ルーナとガラードがケルピーから少し離れた場所に着地してから、俺はルーナの背を降り、鎖を伸ばして先に降下させていたカルミアへと向かう。


「カルミア。もう大丈夫なのか?」


 彼女の胴に巻き付いていた蛇縛鎖を消失させつつ聞けば、カルミアは頷く。


「平気よ。この子の心の声が伝わってきたの。……お腹の子を生むために遠くから来たのに、邪魔されたくないって。魔物にも親子の情があるんだなって思ったわ。でも自然なことよね。この子だって生きているんだから」


 話すカルミアの横顔には、高所や虫が苦手である無知な少女、といった気配はなかった。

 魔物の心を見通したように、全てが見えているかのような、そんな雰囲気さえ漂わせている。

 先ほどの心地良い声といい、これが神族の凄みといったものなのだろうか。

 ともかくカルミアという少女の力の一端が垣間見えた瞬間であった。


「【ドラゴンテイマー】スキルを持った俺でさえ、相手の心はテイムしないと正確には分からないのに。カルミアは凄いな。魔物の心が読めるなんて」


「そう? ……でもレイドの力も凄かったわよ? あなたがいなかったら、ああしてケルピーの近くで語りかけられなかったもの」


 そうやってお互いを称えていると、これまで静かにしていたケルピーが嘶いた。

 しかも体を震わせ、どこか苦しげに『ヴヴヴ……』と呻いている。

 体内の魔力を感じてみれば、明確な動きがあった。


「これって……!」


「生まれそうなんだな。少し離れよう」


 後退して見守っていると、ケルピーの尻の方からゆっくりと、半透明な膜に覆われた小さな脚が見えてきた。

 ……それでも脚の大きさから察するに、赤子の大きさは通常の馬とほぼ同じではなかろうか。

 見守っていると、母ケルピーの腹からゆっくりと赤子が出てくる。

 最後は膜と共に、水が流れるようにするりとこの世に生まれ出てきた。

 母親が口で膜を完全に取り去ると、少しの間、湖の岸辺に座っていた赤子のケルピーは、震える脚でどうにか立ち上がった。

 母ケルピーは鼻先を赤子の体にくっ付けながら、細い体を労ってやっている。

 魔物が生まれる瞬間に立ち会ったのはこれが初めてだが、人々から恐れられている魔物も、やはり自分たちと同じ生き物なのだと実感させられた。

 生き物が生まれる瞬間は神秘的と言う人がいるけれど、それは命というものを最も強く感じさせる時だからか。

 確かにあの親子からは、強い命の鼓動が伝わってきた。


『んー。子供が生まれる直前に知らねー古竜が来たら、魔物も怒るってもんだよなぁ……』


 ガラードは『今は子供にかかりきりなんだ。向こうもこれ以上、暴れることもねーな』と全身に漲っていた魔力を平時の状態まで弱めていく。

 古竜は臨戦態勢に入ると全身の鱗へと魔力を流し、硬化させるが、安全が完全に確保されるまでは着地後も気を抜いていなかったのだろう。

 戦い慣れているガラードらしいなと感じた。


「レイド。あの親子、しばらくこの湖にいると思うから。少しの間、古竜たちが近付かないようにできないかしら?」


「皆にお願いする必要があるな。まずルーナだけど、構わないか?」


 見上げると、古竜の姿のルーナは『勿論です』と答えてくれた。


『余所の魔物とはいえ、今回ばかりは仕方がないでしょう。こうして見守った身としては、あの親子の邪魔をするのも無粋に感じられますし。後でお父様たちにも私から伝えておきます』


「ありがとうな、ルーナ」


 それから俺たちはこの件を皆に伝えるため、竜の国へと戻ることになった。

 竜の国への短い道のりを歩みながら、カルミアはふと、こう問いかけてきた。


「レイド。人型種族も、魔物でさえも……子供を大切にするのなら。神族の私の親も、私に優しいかな?」


「きっと優しいさ。……どうしてそんなふうに思ったんだ?」


 カルミアはしばしの間俯き、顔を上げる。

 その表情にはどこか、ほんの少しの憂いが見えた気がした。


「ケルピーのお母さん。お腹にいた赤ちゃんのために、ルーナやガラードたち古竜に対しても勇敢に戦おうとしていたでしょ? もし仮に子供が連れ去られたら、きっと竜の国まで踏み込んできて探す勢いだったと思う。……でも私の親は、天界って場所から落とされた私を、今も必至に探してくれているのかなって。レイドの言うように、神族が想像もできないような全知全能の力を持っているなら、すぐにでも私を見つけてくれそうなのに」


「カルミア……」


 彼女の疑問に答えることは俺にはできない。

 カルミアがどういう事情で竜の国に降りてきたのか。

 そもそも何故、竜脈の儀の贈り物扱いだったのか。

 彼女の記憶もない以上、何一つとして断定できないからだ。

 それに……神族の力もその多くは遙か昔からの神話という形で伝わっているに過ぎない。

 その実、どんな力をどう行使するのかは正確には分からないし、その力がカルミアを探し出せるものとも限らない。

 けれど……ほぼ確実に言えることが一つだけある。


「カルミア。君はきっと、記憶を失う前にも誰かに愛されていたはずだ」


「……? どうしてそう思うの?」


 変な推測ならやめてほしいけど、と表情に出ているカルミア。

 そんな彼女に、俺は続ける。


「根拠ならあるさ。カルミアが竜の国に落ちてきた時のことだよ。……あの時、カルミアは正に流星だった。あんな速さで地面にぶつかったら、下手をしたら神族でも死んでいたかもしれない。でもカルミアは無事だった。助かった原因はカルミアを包んでいた光。あれにはなんらかの魔術的な、あるいは魔法的な力が明らかに働いていて、カルミアが地面に衝突しないように減速していた。……あの時、カルミアが気絶して、記憶も失っていた以上。その光でカルミアを包んだのは間違いなく君以外の誰かだ。あんなに強い力は、カルミアを大切にしていないと発揮できないさ」


「そう。……そう、だったんだ。今まではただ落ちてきた、としか聞けていなかったけれど。今の話、聞けてよかったわ」


 カルミアの表情は明るいものへと戻り、声も弾みを取り戻していた。

 ……正直、カルミアが家族について、あんなふうに悩むとは思っていなかったけれど。

 やはり記憶がない不安から、こうして様々な方向に悩んでしまうものなのだろう。

 ──早いところカルミアの記憶が戻ればいいけれど。流石に俺も竜の国に住んでいる皆も、記憶を取り戻す方法は分からない。自然に戻ってくれるのを待つか、その方面に詳しい誰かに頼んでみるか……。

 俺のツテでは神竜帝国の宮廷の医術師くらいしかいないけれど、皇帝から追放された俺が表立って宮廷の人間に接触するのは難しい。

 けれどいよいよとなればそれも選択肢に入れて考慮すべきだろうと、俺は頭の中を整理した。

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