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from the sky   作者: 菊沢博也
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黒–2

 0


「お前は誰だ?」

 彼女は私にそう尋ねた。

「私は…」

 私が答えに窮していると、彼女はなおも続けた。

「お前は誰だ?」

「お前は誰だ?」

「お前は誰だ?」

 やがて彼女の体はどろりと溶け、ぐちゃぐちゃに崩れ落ちてしまった。

 ただの肉塊に成り果てた彼女はそれでも私を問い詰める。

「お前は誰だ?」


 そこで私はハッとして目を覚ます。博士のベッドの上だった。全身に汗をかいていた。

 できれば昨日クレスが話していたこともすべて夢であって欲しかったが、私が人工的に作られた存在であることは事実のようだった。

 私は重たい足取りでとなりの部屋に入った。

「よく眠れたか?」

 博士が机に座っていた。机の上には湯気が上るマグカップが置いてあった。

「飲みなさい」

 私は机についてマグカップを口につける。私が初めてここに来た時と同じく、中身はココアだった。

 博士はおもむろに口を開いた。

「…自分が何者なのかなんて、分かってる人間の方がこの世に少ない。君ぐらいの年齢の時は誰しも同じような悩みを持つんだよ。『自分は一体何者なんだろう?』ってね。–––かく言うこの私もそうだった。みんな同じように悩んで、少しずつ『自分』を獲得していくんだ」

 博士がこんなに長く話すのは、初めてだった。私は静かに耳を傾けた。

「だから、青は自分が何者なのか、これからゆっくり探していけばいい。少なくとも私は君をここから追い出すつもりはない」

 博士の言葉を聞きながら、私は目頭が熱くなっていくのを感じた。

「私は…普通の人間になれますか?」

 私はそう聞いていた。

「青、何度でも言うけど、君は紛れもなく人間だ。そんな風に不安を感じることができるのが、君が人間であることの動かしようのない証拠なんだよ」

 博士のその言葉に、私はまた泣いてしまったのだった。


 7


「実は、告白されたんだけど」

「ふぶっ」

 青の突然の発表に、僕は飲んでた水筒のお茶を吹き出してしまった。

 青は普段は表情の豊かな方ではなかったが、だからこそたまに見せる笑顔にコロッとやられる男子も多かった。

 そんな男子の一人が勇気を出して仕掛けたようだ。僕はしまった、と思った。だが、一体何が『しまった』のかわからなかった。

「それで、綱介に相談したいんだけど…」

「はっ、なっ、な、何を?」

「いや、なんて言って断ろうかと思って」

「え…あ、そうなの?」

「なにが?」

 青にその気が無かったことが分かって、僕はホッとした。しかし、何にホッとしたのかは分からなかった。


 7


「空から落ちることのなにが楽しいんですか?」

 博士は私のこの質問に困惑しているようだった。

「…なんだ、藪から棒に」


 私の生い立ちが分かってからしばらくの間、私は一日中放心したようにぼんやりと過ごしていた。だが、数日前から私は熱心にパソコンで人間の営みについて調べていた。調べると言っても気になったことを検索しそれについて書かれた記事を読み、その記事の中に出てきた新たに気になった言葉をまた検索する、という博士曰く「ネットサーフィン」をしていた。

 私は自分以外の人間が何を考えているのか、どんなことをしているのか、そのことにとても興味が湧いたのだ。それを知ることが、自分を知ることの手がかりになるとも思った。

 そして、その過程で私はとても不可解な人間の営みを知った。それが「スカイダイビング」だ。

「空から飛び降りることの、一体何が楽しいんでしょうか」

 博士は少し考えてからこう答えた。

「この世界には君とは違う価値観を持った人間が大勢いる。おそらくは君が理解できない人間の方が多いだろう。そう言う時は実際に話を聞いて、理解するしかない。まあ、無理に理解しようとする必要なんてないけどね」

「話しても分からない時は?」

「…その時は青が自分で体験するしかないな」

「体験…」

 私も実際にスカイダイビングを体験すれば、それを楽しいという人の気持ちがわかるだろうか。しかし、こんな地下深くのラボではもちろん不可能だった。

 今までは、斎野博士がいれば、それで何も不満はなかった。ラボの外に出たいなどと思ったことはなかった。だが、ネットで多くの人の暮らしを知った時、私の心にこのラボの外にはどのくらい世界が広がっているのか見たい、色んな人の話を聞いてみたい、そんな思いが芽生えたのだった。


 7


 高校一年生と二年生の間の春休み、僕たちは自転車で青が倒れていた海岸に訪れた。最初は僕の自転車の荷台に青を乗せて走っていたのだけど、おまわりさんに普通に注意されたので、青を荷台から降ろして、僕は自転車を押して歩いた。

 すでに気温はかなり高くなっていたけど、海から吹いてくる風は少し肌寒かった。

 この海岸はもともとあまり知られておらず、いつも人はいなかった。

「…なんか、思い出せた?」

 僕は青に尋ねる。青とここで出会ってから半年近く経っていたが、彼女の記憶はまだ戻っていなかった。

 青は黙って首を振った。僕らは何も言わず、しばらく二人で海岸を歩いた。


 停めて置いた自転車のスタンドを畳むと、青は勝手に荷台に腰かけた。

「乗せてってよ」

 そういった。

「また怒られちゃうよ?」

「じゃあ見つかるまで」

 僕はしょうがないな、と言って、彼女を乗せたまま走り出した。


 8


「このことわざ、私と博士の名前が入ってますね」

 ネットサーフィンと並行して、私は日本のことわざも相変わらず勉強していた。そんなある日、この言葉を発見したのだった。

「『青は藍より出でて藍より青し』か」

「これ、どういう意味ですか?」

「教え子が教える側の能力を超える、というような意味だ」

「じゃあ、私もいつか博士よりもずっと頭が良くなるかもしれませんね」

 私は冗談めかして言ったが、博士は「いや、無理だ」と即答した。しかし、その後にこう続けた。

「青には私と()()になってもらわねばならないからな」

「それって…」

 どういうことですか?と聞こうとした時、ドアの向こうでブザーの音が聞こえた。配給ドローンのものだった。今月分の食料などを運んで来たのだろうと思った私はドアを開けた。

 そこにいたのは確かにいつものドローンだったが、運んで来たものがいつもと違った。ドローンの上に乗っていたものはイチゴが乗ったホールケーキだった。

 そして中央に飾られたチョコプレートには『誕生日おめでとう 青』と書かれていた。

「これは…」

「今日は君の13歳の誕生日だ。正確には君が私の部屋に来た日だけどね。今日で三年目になる。人には誰しも誕生日があるし、それを祝われる権利がある。去年や一昨年はできなくてすまなかったね」

 博士はそう言った。私はなんだか胸がいっぱいになってしまった。

「欲しいものあったら取り寄せるけどなにかあるかい」

 博士と一緒なら、何もいらないです。そう思ったけど、恥ずかしかったから私は新しい服をねだった。


 7


 二年生の修学旅行の時、僕たちは北海道に行った。僕と青は違う班だったけど、青が楽しそうにしていたのを何度か見かけたので僕としては満足だった。

 夜に旅館の同じ部屋の友人が「女子の部屋行こーぜ!」と提案し、その部屋には青もいたのでついて行ったら途中で先生に見つかりめちゃくちゃ怒られたりした。


「綱介って鬼口さんと付き合ってんの?」

「ごふっ」

 友人が突然そんなことを言うから僕は食べてた米が気管に入ってしまった。

「な、なんで?」

「なんか仲良くね? 帰りとかたまに一緒になってなかった?」

「……」

 見られていたのか…。

「確かにあ…鬼口さんとは友達だけど、そういう間柄ではないよ」

「ふーん、でも好きじゃねえの?」

 友人に聞かれて僕はすぐに答えられなかった。僕は青のことをどう思っているのだろう。僕は唯一青の抱えている特殊な事情を知っている。だからこそ青の力になりたい、とおこがましくもそう思っていた。

 でも、本当にそれだけなのだろうか?

 僕は…


 7


「青、君にやってもらわねばならないことがある」

「何ですか?」

「お勉強だ」

 誕生日を迎えて数日後、博士はいきなりそう言った。

「私、もう日本語はかなりマスターしましたけど」

「日本語の勉強ではない、私の研究に関わることだ」

「博士の…?」

「ああ。まだ私の研究内容を教えるわけには行かないし。教えたところで理解することはできないだろう。だから、私が研究している分野を少しずつ学んでもらいたい」

 私は依然として、博士が一体どんな研究をしているのか知らなかった。ずっと知りたかったので勉強しないわけがなかった。

 だがこの『勉強』はとても難解だった。私にあらかじめインプットされていた知識の量をはるかに上回っていた。光速とか、量子がどうのとか空間の歪みがどうのこうのとかいろいろ聞いたがほとんど理解できなかった。

 テキストとして本を取り寄せてもらったが、一行を理解するのに3日かかるという有様だった。こんな難解なことを研究しているのかと思うと、改めて斎野博士とは何者なんだろうと思えた。

 博士は私に、『私と()()になってもらわねばならない』と言ったが、本当にそんな日が来るのか、と思った。


 そんな三歩進んで二歩戻るような勉強が一年ほど続いて、私は14歳になったが、結局博士が何の研究をしているのかさっぱりわからないままだった。


 7


「なんだ、ここにいたんだ」

 教室には青が一人でいた。

 ここは僕たちの教室だったが、今は机が一脚もない。椅子のみが整然と並べられていて、黒板の前にはスクリーンがかかっている。窓のカーテンは閉め切られ、ドアには暗幕が張ってあって暗かった。

 今日は文化祭だ。三年生の僕たちにとっては最後の文化祭だった。午前中、僕たちは一緒に校内の出し物を見て回り、一通り回った後、別れた。そしてさっきまで僕は青を探して校内を歩き回っていたのだった。

「うん、映画観てた」

 僕たちのクラスは『映画館』だった。暗幕を張って暗くし、スクリーンにプロジェクターで映画を写すだけのお粗末な作りだったけど、それなりに客は来たようだった。

 提案したのは青だった。しかも青は上映する映画を決める係に僕を推薦した。流石に僕一人で全部決めたわけじゃないけど、ラインナップの大半は僕のセレクトしたものだった。

 今、スクリーンには少し昔のSF映画が写し出されていた。これは完全に僕の趣味だった。少し小難しい部分もあるけど、世界観も音楽も()作りも全てが好みだった。

「綱介、これ好きだったよね」

 この映画のことはよく青に話していた。覚えていてくれたようだった。

「うん、記憶を消してまた一から観たいぐらいだね」

 なんて言いながら、僕は今までにないくらい緊張していた。体がわずかに震えるほどに。

 告白するなら、今しかないと思った。

 もう、隠すことはできなかった。僕は青が好きだ。自分の気持ちに気づき、いつかこの気持ちを伝えたいとここ一年くらい悩んでいたのだった。

 今が絶好のチャンスだった。僕は深呼吸して頭の中で考えていた告白の文句を確認した。そして、意を決して口を開いた。

「ね、ねえ青…」

「綱介」

 青は僕の顔を真っ直ぐに見据えて僕の名を呼んだ。初めて見るような真剣な表情だった。

「待ってて、くれる?」

「え…?」

 意外な青の表情に、僕は一瞬言葉を失った。

「トイレ、行ってくるから。もうすぐ体育館で全校終礼でしょ?」

「あ、ああ。もちろん…」

 青はそのまま教室を出た。

 僕は教室で一人ため息をついた。自分のヘタレ加減に嫌気がさした。だが、これで諦められるわけがなかった。いつか絶対に自分のこの気持ちを青に伝えよう。そう誓った。

 しかし、結局僕が彼女に想いを伝えることはできなくなってしまった。

 青は、僕の前から突然姿を消してしまったのだ。


「鬼口は海外へ留学するため転校することになりました」

 先生の言葉に、クラスはざわめいた。僕はしばらく呆然としていた。


 これは僕の前に突然現れ、そして突然消えた青という少女の話だ。

 彼女が今どこで何をしているのか、僕は知らない。


 8


『お勉強』が始まって2年が経とうとしていたが、未だに分からない部分が多かった。

 それでもなんとかついていけるぐらいにはなった、そんなある日のことだった。

「博士? 聞いてますか?」

「–––あ、ああ。すまない。どうした」

「ここがよく分からないんですけど…」

 その日の、というか最近の博士は少し様子が変だった。普段から口数の多い人では無かったが、ここのところますます無口だった。しかも、何か思いつめているようにぼんやりしていることが多くなった。

 なにかあったのだろうか、博士に聞こうと思った瞬間、ドアをノックする音が聞こえた。

 私はどきりとした、クレスかと思ったからだ。この部屋を訪れる人間なんてあの男以外に考えられなかった。

「私が出よう」

 博士は立ち上がり、ドアを開けた。意外にもそこに立っていたのはクレスではなかった。

 黒いスーツを着た男性だった。私はその出で立ちに見覚えがあった。そうだ、私を作り出した研究チームの部屋にいたあの男。私に『試験』を課したあの男と同じ格好だ。よく見ると胸元に『監察官(inspector)』と書かれたバッジを付けていた。

「アイ・イツキノ。許可が降りた。明日、ここで査定を行う」

「…わかった」

 私は二人がなんの話をしているのかわからなかった。「査定」とはなんのことだろうか。

「分かっているとは思うが、あなたは入所以来一度も成果を上げられていない。この査定が不合格だった場合、即刻除籍処分となることを今通達しておく」

「…ああ。分かっている」

 除籍? 何を言っているんだ? 博士がこのラボを追い出されるということだろうか。

「で? 今確認しておきたいんだが、被験体(モルモット)はどうやって調達するんだ? 人間相手に行って成功しないと意味がないからな。失敗した場合死亡するリスクもあるわけだろう? どうするんだ?」

 死亡…? 一体なんの…

「ああ、それは問題ない」

 博士はそう言って振り返った。

「彼女が被験体だ。明日の査定には彼女を使う」




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